神話における卑弥呼の異名
木花佐久夜比売=スサリヒメ=卑弥呼=イスケヨリヒメ=オキナガタラシヒメ
大穴牟遅神(OonamujiーNoーKami)>Yagamiーhime(八上比売)
葦原色許男神(AshiharasikowoーNoーKami)>Susariーhimeスサリヒメ(須世理毘売)
八千矛神(Yatihoko−No−Kami)>スサリヒメ
宇都志国玉神(Utsusikunitama−No−Kami)>スサリヒメ
大国主神(Ookuninusi−No−Kami)>神矢楯比売命(カンヤタテヒメノミコト)
神倭伊波礼毘古命(Kamuーyamatoーiwarebikoーnomikoto)>イスケヨリヒメ(富登多々良伊須須岐比売命=比売多々良伊須気余里比売)、大和勢夜陀多良比売(Seyadatarahime)は母。ストーリーのキャストとして比定できる。
瓊々杵命(NinigiーNoーMikoto)>木花佐久夜比売=神阿多都比売(かむあたつひめ)=鹿葦津比売(かしつひめ)
崇神天皇>大和迹迹日百襲姫尊(Yamato・totohimosohimenomikoto)
応神天皇(OojinーTenno)>神功皇后(記紀で応神の神母にされてしまった。)
誉田別尊(Homutawake−No−Mikoto)>同上
上の一覧で、分かるように「神」が名前につくのは卑弥呼だけだと考えられる。ほかの姫には付けられない。
鴨別(かものわけ)が和平交渉をして狗奴国と婚儀が整ったことは第一章で説明した。この経緯で、神武記には神話として語られるには、「摂津に三島という土地がございますが、その三島の溝くいの娘で、勢夜陀多良比売という評判の美人がおります。三輪の大物主神に気に入られて、ある日のこと、丹塗(にぬり)の矢に姿をお変えになって、溝を流れ下り、便殿で便をしていた比売のホトをお突きになった。驚いた比売は、その矢を床の上においてお休みになった。丹塗(にぬり)の矢はたちまちに美男子に姿を変え、二人の間に生まれたのが伊須須岐比売命でございます。神のと比売の間にお生まれになったので、神の子と言われています。これまたたいへん美しい姫でございます。」・・・と、大久米命が薦めたとされる。この話は、神武記。一方、比売は大久米命の目の下に入れ墨があるのを見ると、「天地の間に千人勝りの勇士だというのに、どうして目に入れ墨をしているのですか?」「あめつつ ちどりましとと、など裂ける利目」と問うた。大和の比売にとって、九州南部から来た大久米命の目の下の入れ墨は、非常にめずらしかった。裏を返せば、大和の戦士たちは入れ墨をしていなかった。この文章に学者は、さして関心を払ないのは不思議である。大久米命、「をとめに 直に逢はむと わがさける利目」と答えた。「あなたに直ぐに逢おうと思って目に入れ墨をしております」と、当意即妙な答えを歌で返した。比売はうなずくと、「仰せの通りにいたしましょう」と承諾する。王はすでに九州で2児をもうけていた。しかし、ここは大和である。ここでは、橿原に宮をおいた後、后を所望したことになっている。古事記では、二人は葦原の粗末な小屋のなかで、愛のちぎりを結んだと書かれる。
富登多々良伊須須岐比売命(ほとたたらいすすきひめ)、大物主神の御子であるので、神の子と称されるのである。そこで、神を冠する姫の名は、たった独り、卑弥呼に独占されるはずである。九州からともに凱旋した二人は、まだ正式に正后になっていなかった。正后は大和で娶ったと古事記は言いたかった。意図することは「神の子である比売」が、矢に当たって死ぬアメノワカヒコの后だった関係を隠すことができる。
木花佐久夜比売=スサリヒメ=卑弥呼=イスケヨリヒメ=オキナガタラシヒメ
大穴牟遅神(OonamujiーNoーKami)>Yagamiーhime(八上比売)
葦原色許男神(AshiharasikowoーNoーKami)>Susariーhimeスサリヒメ(須世理毘売)
八千矛神(Yatihoko−No−Kami)>スサリヒメ
宇都志国玉神(Utsusikunitama−No−Kami)>スサリヒメ
大国主神(Ookuninusi−No−Kami)>神矢楯比売命(カンヤタテヒメノミコト)
神倭伊波礼毘古命(Kamuーyamatoーiwarebikoーnomikoto)>イスケヨリヒメ(富登多々良伊須須岐比売命=比売多々良伊須気余里比売)、大和勢夜陀多良比売(Seyadatarahime)は母。ストーリーのキャストとして比定できる。
瓊々杵命(NinigiーNoーMikoto)>木花佐久夜比売=神阿多都比売(かむあたつひめ)=鹿葦津比売(かしつひめ)
崇神天皇>大和迹迹日百襲姫尊(Yamato・totohimosohimenomikoto)
応神天皇(OojinーTenno)>神功皇后(記紀で応神の神母にされてしまった。)
誉田別尊(Homutawake−No−Mikoto)>同上
上の一覧で、分かるように「神」が名前につくのは卑弥呼だけだと考えられる。ほかの姫には付けられない。
鴨別(かものわけ)が和平交渉をして狗奴国と婚儀が整ったことは第一章で説明した。この経緯で、神武記には神話として語られるには、「摂津に三島という土地がございますが、その三島の溝くいの娘で、勢夜陀多良比売という評判の美人がおります。三輪の大物主神に気に入られて、ある日のこと、丹塗(にぬり)の矢に姿をお変えになって、溝を流れ下り、便殿で便をしていた比売のホトをお突きになった。驚いた比売は、その矢を床の上においてお休みになった。丹塗(にぬり)の矢はたちまちに美男子に姿を変え、二人の間に生まれたのが伊須須岐比売命でございます。神のと比売の間にお生まれになったので、神の子と言われています。これまたたいへん美しい姫でございます。」・・・と、大久米命が薦めたとされる。この話は、神武記。一方、比売は大久米命の目の下に入れ墨があるのを見ると、「天地の間に千人勝りの勇士だというのに、どうして目に入れ墨をしているのですか?」「あめつつ ちどりましとと、など裂ける利目」と問うた。大和の比売にとって、九州南部から来た大久米命の目の下の入れ墨は、非常にめずらしかった。裏を返せば、大和の戦士たちは入れ墨をしていなかった。この文章に学者は、さして関心を払ないのは不思議である。大久米命、「をとめに 直に逢はむと わがさける利目」と答えた。「あなたに直ぐに逢おうと思って目に入れ墨をしております」と、当意即妙な答えを歌で返した。比売はうなずくと、「仰せの通りにいたしましょう」と承諾する。王はすでに九州で2児をもうけていた。しかし、ここは大和である。ここでは、橿原に宮をおいた後、后を所望したことになっている。古事記では、二人は葦原の粗末な小屋のなかで、愛のちぎりを結んだと書かれる。
富登多々良伊須須岐比売命(ほとたたらいすすきひめ)、大物主神の御子であるので、神の子と称されるのである。そこで、神を冠する姫の名は、たった独り、卑弥呼に独占されるはずである。九州からともに凱旋した二人は、まだ正式に正后になっていなかった。正后は大和で娶ったと古事記は言いたかった。意図することは「神の子である比売」が、矢に当たって死ぬアメノワカヒコの后だった関係を隠すことができる。