「木花開咲耶姫命」
三神たける
9月9日
-------------------------------------------------------------------- 秦氏が東国に勢力を拡大していたことは、承知のこと。神奈川県の秦野をはじめ、富士山周辺から伊豆にかけて、その痕跡は至るところにある。このあたりの神社は、大山祇命を祀っているところが多い。三島大社の祭神も、大山祇 命である。大山祇命を祀る神社の総本山は、伊予の大三島にある大山祇神社だが、ここに は大山祇命は百済からやってきたという伝承が残る。つまり、渡来人が祀っていた神だと いうのである。これを裏付けるように、三島大社と大山祇神社と並んで日本三大三島と呼ばれる大阪の 三島鴨神社は、その名にあるように、賀茂氏の神社。つまり、このことから、大山祇命を 祀っていたのは、賀茂氏であることがわかる。
三島大社の祭神は、事代主命だという説もあるが、これとても、もとは賀茂氏が祀って いたもの。鴨都津波八重事代主神社などは、その典型例である。東国においても、これは 顕著で、伊豆半島及び、伊豆諸島の神社は、みな事代主命を祀っている。地名にも、賀茂郡が見られる。
さて、このあたりは、前回も触れたが、今回は大山祇命にこだわってみたい。大山祇命 とは、山の神である。似たような名称の神に大山咋神がいる。祀っているのは、京都の日 吉大社と松尾大社、いずれも秦氏系の神社だ。同じく京都において、大山祇命を祭ってい るのは、梅宮大社である。こちらは、松尾大社のすぐ向かいに鎮座する橘氏の神社である が、神職として数多くの秦氏がいたことが記録に残っている。察するに、大山祇命もまた 、本来は秦氏が祀っていた可能性がある。
賀茂氏と秦氏が同族であることからすると、大山祇命の背後には、ユダヤ的な背景があるのではないか。そう思って調べていると、実に、興味深いことがわかった。大山祇命そ のものを見ていてはよくわからないが、注目は娘である。
大山祇命には、ふたりの娘がいた。姉を石長姫、妹を木花開咲耶姫命という。石長姫は 醜い顔をしていたが、木花開咲耶姫命は美しい容姿をしていた。記紀によると、天孫ニニ ギ命は木花開咲耶姫命と結婚したことになっている。が、本来、義父の大山祇命としては 、姉よりも先に妹が嫁にいくことを渋り、姉の石長姫をもらってくれるように頼んだという。が、結局ニニギ命は、これを拒否し、木花開咲耶姫命だけを娶った。このため、ニニギ命の子孫は木の花のように命が短くなったという。
実は、これと非常に似た話が『旧約聖書』にある。この事実は、日ユ同祖論者の間では 、かなり古くから指摘されてきた。イスラエルの祖ヤコブとラバンの物語である。「創世記」にはこうある。ヤコブを気に入ったラバンは、娘を嫁がせることにした。ラバンには、娘がふたりいた。姉はレアと いい、妹をラケルといった。レアは目が弱く(優しいと翻訳している『聖書』もある)、 ラケルは容姿が美しかった。ヤコブは、妹のラケルを見初めた。が、義父ラバンは姉より も妹が先に嫁ぐことを嫌い、ヤコブにレアを嫁にするようにいった。結局、ヤコブはレアを嫁とした後に、ラケルをも嫁としてもらった。ふたり姉妹の存在。姉よりも、妹の容姿が美しい。男は、ニニギ命にしても、ヤコブにしても、王家の祖となる人物。彼は妹を望むが、王家の外戚となる義父は、姉を勧める。神話の構造としては、ほとんど同じである。
ここに秦氏が関わっていないと考えるほうがおかしい。木花開咲耶姫命を祀るのは、富 士浅間大社である。浅間大社の創建は、はっきりとしたことがわからない。祭神が本来、 石長姫だとか、もとは諏訪神社であったという説もある。しかし、この周辺に秦氏が散在 していたことを考えると、秦氏が創建に関わっていたことは十分、考えられる。
事実、富士山の北側にある川口浅間神社に秦氏が関わっていたことは判明している。このあたりは、もと秦屋敷と呼ばれ、神社も秦氏が管理していた。これまで、日ユ同祖論において、ニニギ命とヤコブの関係は指摘されてきたが、その娘 である石長姫と木花開咲耶姫命が秦氏と関係があるのではないかという説はほとんど知ら れていない。富士山周辺の渡来文化を解明する上で、浅間神社は重要な鍵を握っていると考えて間違いない。
2.コノハナサクヤヒメの表記
コノハナサクヤヒメの表記は様々なバリエーションがあります。
浅間神社の 総本社である富士山本宮浅間大社では、「木花之佐久夜毘賣命」ですが、他の浅間神社などでは、
木花開耶姫命
木花咲耶姫命
木花之佐久夜比賣命
木花佐久也姫命
木花佐久夜比賣命
木花佐久夜毘賣命
などと多くの種類の表記がありますが、多いのは「木花開耶姫命」と「木花之佐久夜毘賣命」の表記です。
ひふみ神示 第一巻 上つ巻 第四帖(4) 昭和十九年六月十三日、旧閏四月二十三日(1944年)
急ぐなれど、臣民なかなかに言ふこときかぬから、言ふこときかねば、きく様にしてきかす。神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか、金(かね)のいらぬ楽の世になるぞ。早く神祀りて呉れよ、神祀らねば何も出来ぬぞ。表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。神をだしにして、今の上の人がゐるから、神の力出ないのぞ。お上に大神を祀りて政事(まつりごと)をせねば治まらん。この神をまつるのは、みはらし台ぞ、富士みはらし台ぞ、早く祀りてみつげを世に広めて呉れよ。早く知らさねば日本がつぶれる様なことになるから、早う祀りて神の申す様にして呉れ。神急けるよ。上ばかりよくてもならぬ、下ばかりよくてもならぬ、上下揃ふたよき世が神の世ぞ。卍も一十もあてにならぬ、世界中一つになりての国に寄せて来るぞ。それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか、分らねば神にたづねて政事(まつりごと)せねばならぬと云ふことまだ分らぬか。神と人とが交流(まつり)合はしてこの世のことが、さしてあるのぞ。人がきかねば神ばかりで始めるぞ。神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ、いつ何んなことあっても知らんぞ、神祭第一、神祭結構。二三の木ノ花咲耶姫の神様を祀りて呉れよ。コハナサクヤ姫様も祀りて呉れよ。六月十三の日、ひつくのか三。
三神たける
9月9日
-------------------------------------------------------------------- 秦氏が東国に勢力を拡大していたことは、承知のこと。神奈川県の秦野をはじめ、富士山周辺から伊豆にかけて、その痕跡は至るところにある。このあたりの神社は、大山祇命を祀っているところが多い。三島大社の祭神も、大山祇 命である。大山祇命を祀る神社の総本山は、伊予の大三島にある大山祇神社だが、ここに は大山祇命は百済からやってきたという伝承が残る。つまり、渡来人が祀っていた神だと いうのである。これを裏付けるように、三島大社と大山祇神社と並んで日本三大三島と呼ばれる大阪の 三島鴨神社は、その名にあるように、賀茂氏の神社。つまり、このことから、大山祇命を 祀っていたのは、賀茂氏であることがわかる。
三島大社の祭神は、事代主命だという説もあるが、これとても、もとは賀茂氏が祀って いたもの。鴨都津波八重事代主神社などは、その典型例である。東国においても、これは 顕著で、伊豆半島及び、伊豆諸島の神社は、みな事代主命を祀っている。地名にも、賀茂郡が見られる。
さて、このあたりは、前回も触れたが、今回は大山祇命にこだわってみたい。大山祇命 とは、山の神である。似たような名称の神に大山咋神がいる。祀っているのは、京都の日 吉大社と松尾大社、いずれも秦氏系の神社だ。同じく京都において、大山祇命を祭ってい るのは、梅宮大社である。こちらは、松尾大社のすぐ向かいに鎮座する橘氏の神社である が、神職として数多くの秦氏がいたことが記録に残っている。察するに、大山祇命もまた 、本来は秦氏が祀っていた可能性がある。
賀茂氏と秦氏が同族であることからすると、大山祇命の背後には、ユダヤ的な背景があるのではないか。そう思って調べていると、実に、興味深いことがわかった。大山祇命そ のものを見ていてはよくわからないが、注目は娘である。
大山祇命には、ふたりの娘がいた。姉を石長姫、妹を木花開咲耶姫命という。石長姫は 醜い顔をしていたが、木花開咲耶姫命は美しい容姿をしていた。記紀によると、天孫ニニ ギ命は木花開咲耶姫命と結婚したことになっている。が、本来、義父の大山祇命としては 、姉よりも先に妹が嫁にいくことを渋り、姉の石長姫をもらってくれるように頼んだという。が、結局ニニギ命は、これを拒否し、木花開咲耶姫命だけを娶った。このため、ニニギ命の子孫は木の花のように命が短くなったという。
実は、これと非常に似た話が『旧約聖書』にある。この事実は、日ユ同祖論者の間では 、かなり古くから指摘されてきた。イスラエルの祖ヤコブとラバンの物語である。「創世記」にはこうある。ヤコブを気に入ったラバンは、娘を嫁がせることにした。ラバンには、娘がふたりいた。姉はレアと いい、妹をラケルといった。レアは目が弱く(優しいと翻訳している『聖書』もある)、 ラケルは容姿が美しかった。ヤコブは、妹のラケルを見初めた。が、義父ラバンは姉より も妹が先に嫁ぐことを嫌い、ヤコブにレアを嫁にするようにいった。結局、ヤコブはレアを嫁とした後に、ラケルをも嫁としてもらった。ふたり姉妹の存在。姉よりも、妹の容姿が美しい。男は、ニニギ命にしても、ヤコブにしても、王家の祖となる人物。彼は妹を望むが、王家の外戚となる義父は、姉を勧める。神話の構造としては、ほとんど同じである。
ここに秦氏が関わっていないと考えるほうがおかしい。木花開咲耶姫命を祀るのは、富 士浅間大社である。浅間大社の創建は、はっきりとしたことがわからない。祭神が本来、 石長姫だとか、もとは諏訪神社であったという説もある。しかし、この周辺に秦氏が散在 していたことを考えると、秦氏が創建に関わっていたことは十分、考えられる。
事実、富士山の北側にある川口浅間神社に秦氏が関わっていたことは判明している。このあたりは、もと秦屋敷と呼ばれ、神社も秦氏が管理していた。これまで、日ユ同祖論において、ニニギ命とヤコブの関係は指摘されてきたが、その娘 である石長姫と木花開咲耶姫命が秦氏と関係があるのではないかという説はほとんど知ら れていない。富士山周辺の渡来文化を解明する上で、浅間神社は重要な鍵を握っていると考えて間違いない。
2.コノハナサクヤヒメの表記
コノハナサクヤヒメの表記は様々なバリエーションがあります。
浅間神社の 総本社である富士山本宮浅間大社では、「木花之佐久夜毘賣命」ですが、他の浅間神社などでは、
木花開耶姫命
木花咲耶姫命
木花之佐久夜比賣命
木花佐久也姫命
木花佐久夜比賣命
木花佐久夜毘賣命
などと多くの種類の表記がありますが、多いのは「木花開耶姫命」と「木花之佐久夜毘賣命」の表記です。
ひふみ神示 第一巻 上つ巻 第四帖(4) 昭和十九年六月十三日、旧閏四月二十三日(1944年)
急ぐなれど、臣民なかなかに言ふこときかぬから、言ふこときかねば、きく様にしてきかす。神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか、金(かね)のいらぬ楽の世になるぞ。早く神祀りて呉れよ、神祀らねば何も出来ぬぞ。表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。神をだしにして、今の上の人がゐるから、神の力出ないのぞ。お上に大神を祀りて政事(まつりごと)をせねば治まらん。この神をまつるのは、みはらし台ぞ、富士みはらし台ぞ、早く祀りてみつげを世に広めて呉れよ。早く知らさねば日本がつぶれる様なことになるから、早う祀りて神の申す様にして呉れ。神急けるよ。上ばかりよくてもならぬ、下ばかりよくてもならぬ、上下揃ふたよき世が神の世ぞ。卍も一十もあてにならぬ、世界中一つになりての国に寄せて来るぞ。それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか、分らねば神にたづねて政事(まつりごと)せねばならぬと云ふことまだ分らぬか。神と人とが交流(まつり)合はしてこの世のことが、さしてあるのぞ。人がきかねば神ばかりで始めるぞ。神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ、いつ何んなことあっても知らんぞ、神祭第一、神祭結構。二三の木ノ花咲耶姫の神様を祀りて呉れよ。コハナサクヤ姫様も祀りて呉れよ。六月十三の日、ひつくのか三。