○襲津彦帰還
ここで驚くべきことは、天皇が自ら精鋭の軍を新羅に投じて弓月の民(秦一族)を救出したことである。葛城襲津彦は大和御所市一体を本拠地にした天皇の外戚の大豪族である。御所市市の室宮山古墳は彼の墳墓であるという説がある。この古墳から、加羅の船形陶質土器が出土した。このことで、襲津彦が朝鮮半島へ自ら軍を率いて渡ったことは明らかだ。
津の意味は助詞の”の”にすればよい。もう少し掘り下げると、どこどこに居るという意味。では、葛城は大和の地名として置いておくとして、次の「襲」”そ”は、何とする? これは熊襲のソ、これをさらに「曽」、と考えると、曽はスサノオがやってきたソシモリのソのことで、この人物は百済からの渡来人である。祖先は武内宿禰だとされる。さらに、武内宿禰が事勝国勝長狭に比定できる。と、すると、葛城・蘇我はかつて、百済・または任那からやってきた出雲の豪族である。
ここで驚くべきことは、天皇が自ら精鋭の軍を新羅に投じて弓月の民(秦一族)を救出したことである。葛城襲津彦は大和御所市一体を本拠地にした天皇の外戚の大豪族である。御所市市の室宮山古墳は彼の墳墓であるという説がある。この古墳から、加羅の船形陶質土器が出土した。このことで、襲津彦が朝鮮半島へ自ら軍を率いて渡ったことは明らかだ。
津の意味は助詞の”の”にすればよい。もう少し掘り下げると、どこどこに居るという意味。では、葛城は大和の地名として置いておくとして、次の「襲」”そ”は、何とする? これは熊襲のソ、これをさらに「曽」、と考えると、曽はスサノオがやってきたソシモリのソのことで、この人物は百済からの渡来人である。祖先は武内宿禰だとされる。さらに、武内宿禰が事勝国勝長狭に比定できる。と、すると、葛城・蘇我はかつて、百済・または任那からやってきた出雲の豪族である。