○九州の地名が大和に残る
奈良・磯城の大神神社、三輪山の山頂には、神の峰に坐す日向(ひむかひ)神社があった。現在、麓に神坐日向神社があるが、これが謎めいた話である。日向(ひむかひ)神社は大国主命を祭る。大国主を祭る神社名が「日向」であることは、当の大国主命が九州、「日向の王」だったからだ。つまり、日向の王といえば、ニニギノミコトのことである。三輪山と言えば、山全体が神体とされ、(神奈備)大神神社(おおみわ)の御神体そのものである。三輪の大神は、大物主神と呼ばれ、スサノヲのことである。日向(ひむかひ)は、ニニギノミコトにとって鹿児島とともに勢力圏で、むしろ、日向(くまもと・みやざき)が軍事的拠点であった。日向(ひむかひ)を出発して、八年後に畝傍山(うねびやま)の東南(たつみのすみ)、国の中心に定めた。この大神大社にも、新旧の王朝の英雄が共に鎮座している。仮に、大国主命が三輪王朝のみだとすれば、日向(ひむかひ)という九州の地名の謎は解けない。ややこしいのは、大国御魂神という言う場合、本来、スサノヲで、その子ニギハヤヒは少彦名と一緒に国を平定し、三輪王朝完成させた。更に言えば、大国主命は、もとはスサノヲの肩書きであり、ニギハヤヒに移り、そして最後には、ニニギに譲られている。神名とは、固有人名とは限らない。大国主命は、身分を表わす肩書きだった。すぐの後説に記したが、大国主とは、オオ・ナム・チと同じ意味だったと推定できる。
奈良・磯城の大神神社、三輪山の山頂には、神の峰に坐す日向(ひむかひ)神社があった。現在、麓に神坐日向神社があるが、これが謎めいた話である。日向(ひむかひ)神社は大国主命を祭る。大国主を祭る神社名が「日向」であることは、当の大国主命が九州、「日向の王」だったからだ。つまり、日向の王といえば、ニニギノミコトのことである。三輪山と言えば、山全体が神体とされ、(神奈備)大神神社(おおみわ)の御神体そのものである。三輪の大神は、大物主神と呼ばれ、スサノヲのことである。日向(ひむかひ)は、ニニギノミコトにとって鹿児島とともに勢力圏で、むしろ、日向(くまもと・みやざき)が軍事的拠点であった。日向(ひむかひ)を出発して、八年後に畝傍山(うねびやま)の東南(たつみのすみ)、国の中心に定めた。この大神大社にも、新旧の王朝の英雄が共に鎮座している。仮に、大国主命が三輪王朝のみだとすれば、日向(ひむかひ)という九州の地名の謎は解けない。ややこしいのは、大国御魂神という言う場合、本来、スサノヲで、その子ニギハヤヒは少彦名と一緒に国を平定し、三輪王朝完成させた。更に言えば、大国主命は、もとはスサノヲの肩書きであり、ニギハヤヒに移り、そして最後には、ニニギに譲られている。神名とは、固有人名とは限らない。大国主命は、身分を表わす肩書きだった。すぐの後説に記したが、大国主とは、オオ・ナム・チと同じ意味だったと推定できる。