日本は言霊、数霊の国です。蘇民将来、八百万の神

○ディオニューソスも摩多羅神も境界神
 ギリシャ人は、霊魂を冥界へ導いてくれる神として、ディオニューソスやヘルメスを「霊魂導師」と呼んでいた。霊界へ橋渡しする「境界神」は、死後にすぐさま遭遇してあの世に導いてくれる神である。ところが、すでに紹介した女神ターラも、このあとで紹介する碧霞元君もまた「境界神」であった。つまり、大衆的な人気があり、かつ、祭が奔放な神は、何故か、不思議なことに、すべてが「境界神」なのである。いわゆる両性具有神(アンドロギュノス)だった。ディオニュソスは、ローマではバッカスとも呼ばれ、粗暴なブドウ酒の神、そのトーテムはパンサー(ピューマ)である。古くは、ディオニュソスは、キヅタという「つたの樹」の神であった。キヅタは古代ギリシアではキッソス kissos と呼ばれた。イギリスでは居酒屋の正面にキヅタの輪を飾る。一般の家では、壁面にこれをはわせる。キヅタは雷や魔物をよけると信じられ、その茂る家は裕福さの象徴とみなされていた。キズタは、踊り狂って死んだ同名のニンフを酒神ディオニュソスが、その樹木に変身させた神話に由来するという。ディオニュソスに仕える巫女たちは飲み、食い、裸になって騒いだ。キズタの葉の絞り汁を酒に入れて飲むと、ディオニュソス的錯乱を生じる。キズタは、このことから、麻酔作用、催淫作用、幻覚作用を誘発する媚薬であったとされる。しかし、その調合法は秘密にされていた。ディオニュソスのブドウ酒は、神託儀式に用いられており、憑依をかき立てるために用いられた。神託は、巫女が狂乱の絶頂、いわば興奮と痙攣の最中に行われたらしい。ポンペイでは、ディオニーソスを信仰する秘儀が流行していた。ローマの遺跡ポンペイには、ディオニソスの秘儀の壁画がある。富裕者の別荘で秘儀荘とよばれる。壁画は4つの壁を一周するように描かれている。この壁画は、ポンペイ・レッドと呼ばれる鮮やかな赤の背景を持つ。左側から入信式の秘儀の様子が順次描かれている。なにやら館の女主人が立って監督している。→少年が何かを読み上げ、それに若い女が腰かけて聞いている。→若い女性が二人の介添え人に手を借り、供物を捧げている。→シレノスが竪琴を弾いて唄い、若いサテュロスが笛を吹いている。バッカスの巫女は鹿に乳を飲ませている。→若い女性はディオニーソスと従者の前に立っている。→酒に酔ったディオニーソスが椅子に依りかかり、シノルスがブドウ酒をサテュロスに振る舞っている。→若い女性は秘教の男根のヘムメ柱を覆う布を取ろうとしている。→若い女性はバッコスの巫女の鳴らすシンバルに合わせて、有翼のデーモンに鞭打たれている。→若い女性はクピトの差しだす鏡を覗きこんでいる。
 ディオニーソスの秘儀を授かる女性はディオニーソスのブドウ酒を飲み、ヘルメ柱を敬拝する性的儀式を通過して、バッカスの巫女に変身したのだろう。サテュロス(半神)と交合するバッカス信女の壁画があって、バッカス信女が特別な巫女であることは明らかだ。彼女たちは、肉体的ばかりでなく、より以上の知性を持っていた高級な娼婦だった。
 ディオニソスは別に、オルトスと呼ばれていたが、これは直立した男根である。男根担ぎの祭は、ディオニソスが誇らしげに巨大な男根を担いで漫遊する様を再現している。ディオニューソスはイチジクの木から掘り出され、王冠を被せられて行列で運ばれていた。ブドウ酒祭は、どうやら女たち(バッカスの巫女)の乱痴来を大目に見る狂乱の祭だった。アテネではブドウの収穫後、12月に行われていた「野辺のディオニューソス祭」がそれである。彼は、輪廻と再生においては、最強の人気と尊崇を集めた神だったが、同時にいつも戯れる信女に取り囲まれている青年(女性的男性)のイメージに包まれている。「ブドウ酒の壷、ブドウの樹、牡ヤギ、イチヂクの籠、男根像」などが、祝祭のキーワードである。牡牛、牡ヤギは、昔も今も性的な本能を体現するもので、ディオニソスへの供犠に捧げられていた。ディオニュソスやヘルメスは、四大の仲介者、4を象徴する十字、4区分、四方位などを意味した。ユングは水星を世界を囲む4と関連があるとしている。また、ヘルメスは、なせか商人と盗人の庇護者である。これは水星の星座が象徴する”知恵”と重なる。
ヘルメス・マーキュリー
天体では水星を象徴し、そのアンクに似た象徴は水星を意味する。母なる月の半月形とアンクの組み合わせ。水星は、知恵の星とされる。
*キヅタ ウコギ科キヅタ属(ヘデラ属)Hedera のつる植物。北アフリカ、ヨーロッパ、アジアに広く分布し、ひっくるめて1種とされた、10種ほどに分類されたりする。日本にもキヅタが自生する。常緑低木で多数の気根を出し,他の物体(樹木,岩石)などに吸着してよじのぼる。キヅタは常緑で、ローマでは、永遠の友情や愛,または霊魂の不滅や永遠の生の象徴として,結婚式や葬儀にも用いられていた。
                         

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にわか神道三六屋からす一家の神道墓、奥都城(おくつき)ができました。奥都城、奥津城は共に「おくつき」と読み、神道で「お墓」の意味です。神道のお墓の竿石は、通常は細長い角柱型で頂上部は四面を三角形に切った角兜巾(かくときん)型です。 これは、「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ、三種の神器の一つ)を表しております。にわか神道三六屋からす一家の神道墓の竿石は上方にいくに従い細くする軍人墓型とし、四面を三角形に切った角兜巾は完全なピラミッドとしました。○○家は入れません。三六屋からす一家につながる全ての魂のよりどころ、三六屋からす一家の神社です。仏教徒がにわか神道になるのですから、これぐらいインパクトのある竿石が必要です。





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天1=2、2=2,3=2,123=6、人4=1、5=1、6=0,7=0、8=1,45678=3、地9=1,10 =3、910=4。日6月3星4,
天+1=日=天=6、6の現人神。67欠け、
 十3年(星)十2月(月)1日(日)。日が1で、月が十2、星十3で完全な生命の樹,十は0ですので321。月日の121は、正6面体ブロック4つで凸の形になって、御輿、三社造りとなっています。天地人634、日月星634。総数13で平成13年に符合。日=天で天照大神。








 中心に言霊スが入ります。音図の向って右半分を主基田すきたと呼びます。
 音図の向って左半分の上段はハマヤラワとなり、音の左半分の真中に言霊ユがはいります。そこでこの音図の半分を悠紀田ゆきたと呼びます。宮中に於いては毎年新嘗祭にいなめさいに、また、天皇一代に一度の即位の時の大嘗祭に主基・悠紀の田を定め、そこから獲れる新米の稲穂を天皇自ら主基田の月読命と悠紀田の須佐男命に言霊を表わす稲穂イの名なの穂ほ を献じて、ここ三千年の月読と須佐男の対立の構図が実は皇祖皇宗の物質科学探究のための言霊学による経綸なのである事を告げ、「物質科学文明成就の暁には天皇自ら言霊布斗麻邇の原理を以って、三千年の月読・須佐男の対立に終止符を打ち、第三の文明時代建設を親裁するぞ」との予告なのです。

悠紀と主基
大嘗祭が行われる年には、まず、所司(官庁の役人)が、その祭に供える稲を出す斎田を選ぶため、悠紀(ゆき)・主基(すき)の国・郡を卜定(ぼくじょう)する。悠紀・主基の国を斎国(いつきのくに)という。悠紀は東日本、主基は西日本から選ばれ、畿内の国から選ばれたことは一度もない。中世以降は、近江国が悠紀、丹波国と備中国が交互に主基とされ、その国の中で郡を卜定した。








東京スカイツリー 高さ世界一の634メートル(ム6サ3シ4)、



美智子皇后(みちこ、旧名:正田美智子(しょうだ みちこ)1934年(昭和9年)10月20日
地4458、人379、天9十2十、=434=11
天1=0、2=1,3=1,123=2、人4=2,5=1,6=0,7=1,8=1,45678=5、地9=2,10=2,910=4、日4月4星3、
つぐのみや、みちこ
天9十2十、地27238、人379=天4人3地5=12。
天1=0、2=3,3=2,123=5、人4=0,5=0,6=0,7=2,8=1,456783、地9=2,10=2,910=4、日4月5星3、1456欠け。

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