先行人 ダイハツ工業材料技術部・田中裕久さん
≪インド哲学ヒント 新触媒≫
いくら使っても自己再生し、排ガスを浄化する性能が低減しない自動車用触媒を開発した。「原理的には未来永劫(えいごう)、効果が持続する。こんなものは世の中で他にはないでしょう」と胸を張る。ヒントになったのは、20代のときに経験した世界放浪の旅で知ったインド哲学だったという。
学生時代から宗教的な考え方に興味を持ち、インドなどへ貧乏旅行を繰り返した。大学卒業後はセラミックメーカーに技術者として就職するが、その数年後にバブル時代が始まった。物質的な価値観に踊らされる世間の風潮に違和感を覚え、「自分が作るモノが本当に人を幸せにするのか」と自問を重ねた末、釈迦が出家した29歳の誕生日に辞表を出してロンドン行きの片道航空券を買って旅に出た。「釈迦のように裸のまま、何も持たない求道的な生き方にあこがれた」と当時を振り返る。
スペインからアフリカに入り、サハラ砂漠をバスで移動していたときのこと。砂漠の真ん中でぽつんと座ってバスを待つ男性がいた。バスに乗るため3日間かけて山の向こうの村からきたと聞き「世の中にはわれわれの想像を超えた世界で生きる人がいる」と感銘を受けた。アルジェリアでは井戸水のくみ上げ施設の修理をする人たちから「日本のエンジニアなら、直せるだろう」と助言を求められ、水が再び出ると大いに感謝された。「日本の工業技術への信頼が世界の隅々に浸透していることを知り、モノ作りの価値を見直すきっかけになった」という。
パキスタンでは有り金のほとんどを盗まれ、服や時計を少しずつ売って旅を続けた。タイから日本に戻るときは、文字通り裸の姿に近くなっていたという。
帰国後、ダイハツの中途採用試験に合格し、再び技術者に。「旅に出る前と違って、今度は『モノ作りは人を幸せにする』という仮説を立て、それを定年までの30年間で証明してやろう、という気持ちになっていました」
ダイハツでは触媒や燃料電池の開発に携わり、5年前、まったく新しい自動車用触媒を開発した。この「インテリジェント触媒」は、特殊酸化物の結晶に貴金属の原子を一部組み込み、排ガス中の酸素量に応じて貴金属が結晶に出たり入ったりする。
酸化と還元の中間で微妙なバランスを保つ独特の構造は、プラスとマイナスの間の「空(くう)」の領域に価値を見いだすインド哲学から発想を得たものだ。この新触媒は今ではダイハツが発売する新車種すべてに搭載されている。
「放浪の旅から学んだのは『答えは一つではない』ということ。そんな私がエリートで通してきた人と同じ価値観しか提示できなかったら、面白くない。車は環境面などで社会に迷惑をかけている部分もあり、自分しかできない発想で世の中のためになるものを作りたい」と目を輝かせた。(堀江政嗣)
◇
【プロフィル】田中裕久
たなか・ひろひさ 東大阪市出身。昭和55年京都工芸繊維大学工芸学部卒。セラミックメーカーに就職したが、61年に退職し、世界放浪の旅に。平成元年にダイハツ工業入社。10年7月に東京大大学院で工学博士号を取得した。今年3月から材料技術部エクゼクティブ・テクニカル・エキスパート(部長級)。定年退職後に二女と再びインドを訪れることを楽しみにしているという。
≪インド哲学ヒント 新触媒≫
いくら使っても自己再生し、排ガスを浄化する性能が低減しない自動車用触媒を開発した。「原理的には未来永劫(えいごう)、効果が持続する。こんなものは世の中で他にはないでしょう」と胸を張る。ヒントになったのは、20代のときに経験した世界放浪の旅で知ったインド哲学だったという。
学生時代から宗教的な考え方に興味を持ち、インドなどへ貧乏旅行を繰り返した。大学卒業後はセラミックメーカーに技術者として就職するが、その数年後にバブル時代が始まった。物質的な価値観に踊らされる世間の風潮に違和感を覚え、「自分が作るモノが本当に人を幸せにするのか」と自問を重ねた末、釈迦が出家した29歳の誕生日に辞表を出してロンドン行きの片道航空券を買って旅に出た。「釈迦のように裸のまま、何も持たない求道的な生き方にあこがれた」と当時を振り返る。
スペインからアフリカに入り、サハラ砂漠をバスで移動していたときのこと。砂漠の真ん中でぽつんと座ってバスを待つ男性がいた。バスに乗るため3日間かけて山の向こうの村からきたと聞き「世の中にはわれわれの想像を超えた世界で生きる人がいる」と感銘を受けた。アルジェリアでは井戸水のくみ上げ施設の修理をする人たちから「日本のエンジニアなら、直せるだろう」と助言を求められ、水が再び出ると大いに感謝された。「日本の工業技術への信頼が世界の隅々に浸透していることを知り、モノ作りの価値を見直すきっかけになった」という。
パキスタンでは有り金のほとんどを盗まれ、服や時計を少しずつ売って旅を続けた。タイから日本に戻るときは、文字通り裸の姿に近くなっていたという。
帰国後、ダイハツの中途採用試験に合格し、再び技術者に。「旅に出る前と違って、今度は『モノ作りは人を幸せにする』という仮説を立て、それを定年までの30年間で証明してやろう、という気持ちになっていました」
ダイハツでは触媒や燃料電池の開発に携わり、5年前、まったく新しい自動車用触媒を開発した。この「インテリジェント触媒」は、特殊酸化物の結晶に貴金属の原子を一部組み込み、排ガス中の酸素量に応じて貴金属が結晶に出たり入ったりする。
酸化と還元の中間で微妙なバランスを保つ独特の構造は、プラスとマイナスの間の「空(くう)」の領域に価値を見いだすインド哲学から発想を得たものだ。この新触媒は今ではダイハツが発売する新車種すべてに搭載されている。
「放浪の旅から学んだのは『答えは一つではない』ということ。そんな私がエリートで通してきた人と同じ価値観しか提示できなかったら、面白くない。車は環境面などで社会に迷惑をかけている部分もあり、自分しかできない発想で世の中のためになるものを作りたい」と目を輝かせた。(堀江政嗣)
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【プロフィル】田中裕久
たなか・ひろひさ 東大阪市出身。昭和55年京都工芸繊維大学工芸学部卒。セラミックメーカーに就職したが、61年に退職し、世界放浪の旅に。平成元年にダイハツ工業入社。10年7月に東京大大学院で工学博士号を取得した。今年3月から材料技術部エクゼクティブ・テクニカル・エキスパート(部長級)。定年退職後に二女と再びインドを訪れることを楽しみにしているという。