伊呂勢(いろせ)と言う言葉、ヤマタのオロチの項で、スサノヲが「わたしは、天照大神の伊呂勢だ」との記述がある。「いろせ」とは、古代、兄弟という意味だという。「わたしはアマテラスの弟である」となるが、もうすこし深く考えると、弟か兄かは不明なのである。
書記の景行天皇に「兄」を「いろね」(伊呂禰)と呼び、神代巻ではコノハナサクヤヒメが姉を「いろね」と言っている。「いろ」は、母系社会特有の表現で、同じお腹から生まれた(兄弟姉妹)という意味。今日では、実母の「実」にあたる。実母のことを「いろは」と言う。「いろ」は、「同母」という意味なのである。「ね」は年上の、という意味だ。上の2つの用例からは、「いろね」は、「同じ母親から生まれた年上の姉、もしくは兄」というになる。そこで、同じ母親から生まれた兄弟姉妹の呼び方は、それぞれ、「いろ」がつくとすると、次のようになる。「いろえ」(兄)、「いろね」(あね)「いろど」(おとうと)、「いろも」(いもうと)。これを踏まえて、下の表を作成すると、ちょっと面白いことが見えてくる。
1表 実母 実兄 実姉 実弟 実妹
日本古語 i lo ha i lo e i lo ne i lo do i lo mo
客家語 Ah Mak lo ko Ah tci lo tai lo moi下段は客家語。
客家語では、moi は女という意味。e は子息という意味。
いろの「い」は、[ji]で、「jit] のtがとれたもの、つまり、一、一つのという意味だろう。「ろ」「lo」は、単純明快に同母の一族を示す*類別詞(るいべつし)と解する。すると、すっきりする。(客家語の母は、アマ、姉はアチである。天照の「ama」は、母という意味。姉の「ane」は「Ah tci] が訛った可能性がある。)
*類別詞 本のことを一冊という。瓶を一本、船を一隻というように、冊、本、隻を類別詞という。類別詞、そのものがアジア語の汎用的な特徴。
2表 息子 娘
客家語 lai e moi eここでは、「e」が「子供」の意味になる。「e」単独では息子になる。
laiは男子を、Moiは女子を意味することになる。
3表 男(勢) 女(妹)
恋人 se imo
恋人 waga se wagi mo古代の日本での表現。「いも」は、今の妹(いもうと)のいもに残っている。
書記の景行天皇に「兄」を「いろね」(伊呂禰)と呼び、神代巻ではコノハナサクヤヒメが姉を「いろね」と言っている。「いろ」は、母系社会特有の表現で、同じお腹から生まれた(兄弟姉妹)という意味。今日では、実母の「実」にあたる。実母のことを「いろは」と言う。「いろ」は、「同母」という意味なのである。「ね」は年上の、という意味だ。上の2つの用例からは、「いろね」は、「同じ母親から生まれた年上の姉、もしくは兄」というになる。そこで、同じ母親から生まれた兄弟姉妹の呼び方は、それぞれ、「いろ」がつくとすると、次のようになる。「いろえ」(兄)、「いろね」(あね)「いろど」(おとうと)、「いろも」(いもうと)。これを踏まえて、下の表を作成すると、ちょっと面白いことが見えてくる。
1表 実母 実兄 実姉 実弟 実妹
日本古語 i lo ha i lo e i lo ne i lo do i lo mo
客家語 Ah Mak lo ko Ah tci lo tai lo moi下段は客家語。
客家語では、moi は女という意味。e は子息という意味。
いろの「い」は、[ji]で、「jit] のtがとれたもの、つまり、一、一つのという意味だろう。「ろ」「lo」は、単純明快に同母の一族を示す*類別詞(るいべつし)と解する。すると、すっきりする。(客家語の母は、アマ、姉はアチである。天照の「ama」は、母という意味。姉の「ane」は「Ah tci] が訛った可能性がある。)
*類別詞 本のことを一冊という。瓶を一本、船を一隻というように、冊、本、隻を類別詞という。類別詞、そのものがアジア語の汎用的な特徴。
2表 息子 娘
客家語 lai e moi eここでは、「e」が「子供」の意味になる。「e」単独では息子になる。
laiは男子を、Moiは女子を意味することになる。
3表 男(勢) 女(妹)
恋人 se imo
恋人 waga se wagi mo古代の日本での表現。「いも」は、今の妹(いもうと)のいもに残っている。