気長足姫尊
『日本書紀』では気長足姫尊、『古事記』には息長帯比売命と記されています。お父さんの気長(息長)宿禰王は開化天皇の皇子の彦坐王の後裔で、お母さんの葛城高額媛は新羅の王子天之日矛の後裔にあたります。まあ、かろうじて皇族といえなくはない程度のご家系ですね。
彼女が24歳の時に仲哀天皇の皇后にたっています。『日本書紀』は彼女を称して「若くして聡明く叡知しく、貌容壮麗し」とあります。賢くて美人というある意味では理想的な女性だったんですね。
さてこの方は漢風諡号を神功皇后と仰いまして、『日本書紀』『古事記』共にそれぞれ一巻が割り当てられています。これは天皇以外では彼女だけです。というのも気長足姫は夫の仲哀天皇の死後に摂政として69年もの間政務を取り仕切り、しかも彼女の子の応神天皇が即位したのは彼女の死後ということで実質天皇だったわけですね。
『日本書紀』では気長足姫尊、『古事記』には息長帯比売命と記されています。お父さんの気長(息長)宿禰王は開化天皇の皇子の彦坐王の後裔で、お母さんの葛城高額媛は新羅の王子天之日矛の後裔にあたります。まあ、かろうじて皇族といえなくはない程度のご家系ですね。
彼女が24歳の時に仲哀天皇の皇后にたっています。『日本書紀』は彼女を称して「若くして聡明く叡知しく、貌容壮麗し」とあります。賢くて美人というある意味では理想的な女性だったんですね。
さてこの方は漢風諡号を神功皇后と仰いまして、『日本書紀』『古事記』共にそれぞれ一巻が割り当てられています。これは天皇以外では彼女だけです。というのも気長足姫は夫の仲哀天皇の死後に摂政として69年もの間政務を取り仕切り、しかも彼女の子の応神天皇が即位したのは彼女の死後ということで実質天皇だったわけですね。
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