今宮神社役行者(役小角)
えんのぎょうじゃ(えんのおずぬ)
役小角は、舒明6年(634)、葛城山の麓、茅原の里(現奈良県御所市)に出雲の加茂氏と葛城氏の娘渡都岐(とつき)の間に生まれ、仙道、道教、古神道、仏教を学びました。しかしこれに満足せず「人間完成の探求と実践こそ神仏の境地到達の路であり、国家平安、万民幸福の根本である」と悟り、葛城山、金峰山へ入り難行苦行され、遂に法起、龍樹菩薩から乱れた世を救う秘法を授かりました。当時人心は荒れ、凡教も頽廃して末世の様相であることを嘆いた役小角は、悪魔(悪病や災厄、人間の欲望や煩悩)を降伏させることのできる御本尊を求めてさらに修行し、金峰山で忿怒の相の金剛蔵王権現を祈り出して、吉野の金峰山寺山下の蔵王堂にまつりました。
羽黒、立山、浅間山等を開き、道場を建てること二百余ヶ所、厳しい自然の中に御仏の教えを求めて、強固な精神力と高邁な人格を身につけられた姿は、何人をも魅了してやまなかったと伝えられています。いつも弱者の側に立ち、治水工事、病気治療、鉱山開発、情報収集などを指導し、「神か仏か、仙人か」と人々から仰がれました。一説に、壬申の乱(672)では天武天皇を勝利に導き、後天皇より重く用いられました。
文武3年(699)、弟子の韓国連広足(からくにのむらじひろたり)に図られて、無罪の罪により伊豆大島に流されましたが、再び文武天皇に迎えられ「国人(くにびと)の心の親」となられ、寛政11年(1799)の千百年遠忌には、朝廷(光格天皇)から「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)」の称号を賜りました。
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-------------------------------------------------------------------- 聖観音
(しょうかんのん)
-------------------------------------------------------------------- 八大龍王神
(はちだいりゅうおう)
八大龍王は、水の神、仏法を守る神であり観音菩薩から慈悲の心(宝珠=玉)をいただいた神様です。
四月四日の秩父神社のお田植え祭は、今宮神社の霊水をいただきに来られることから始まります。役行者と八大龍王は、秩父霊場や秩父の人々の生活に深く係わられて、今日の秩父発展の礎となられました。
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-------------------------------------------------------------------- 伊邪那岐大神・伊邪那美大神・須佐之男命
(いざなぎのおおかみ・いざなみのおおかみ・すさのおのみこと)
-------------------------------------------------------------------- 宮中八神(御巫八神)
(きゅうちゅうはっしん(みかんなぎはっしん))
大宮売神・高御産霊神・神御産霊神・生産霊神・足産霊神・事代主神・御食津神・魂積産霊神
-------------------------------------------------------------------- 弁財天
(べんざいてん)
--------------------------------------------------------------------
---------------------------------------------------- ◎ 御 祭 神
八大龍王神
役尊神(役小角=役行者=神変大菩薩)
聖観音神
伊邪那岐(いざなぎ)大神・伊邪那美(いざなみ)大神
須佐之男(すさのお)命
弁財天
宮中八神(大宮売神・高御産霊神・神御産霊神・生産霊神・足産霊神・事代主神・御食津神・魂積産霊神)
-------------------------------------------------------------------- ◎ 御 社 殿
仮本殿 =30年間の児童館事業をする為、本社殿は聖神社(大野原)に寄進された
役尊神祠=この地に八大龍王を祀った修験の開祖役行者を御祭神とする小祠(行者堂)
弁天堂 =江ノ島弁財天より御分霊を受けて平成12年秋に建立
今宮坊観音堂 =秩父観音霊場札所第14番
-------------------------------------------------------------------- ◎ 御 神 徳
『宇宙の生命(いのちのおおもと=宇宙の法則=自然の法則)を感得できる力を授けて下さる』
という御神徳があります。
(開運長生・産業興隆・癌封じ・縁結び・合格祈願・身体安護・交通安全・ぼけ封じ)
-------------------------------------------------------------------- ◎ 名 跡・社 宝
一 今宮の欅 8.76メートル(平成3年6月測定 胴まわり)
推定樹齢1000年以上
呼称『龍神木』『駒つなぎのケヤキ』
天然記念物(昭和19年3月埼玉県指定、昭和31年秩父市指定)
一 龍神池 武甲山の伏流水が湧き出ている秩父最古の泉
4月4日の水分(みくまり)祭ではこのお水を秩父神社に授与(秩父神社御田植祭)
一 行者堂 役尊神祠 この地に八大龍王を祀った修験の開祖役小角を祀る祠 (写真)
一 行者石 役小角が母を偲んでこの石に座り笛を吹いたと伝えられています。
小角の誕生の寺奈良吉祥草寺の腰掛石にそっくりです。社務所脇。
一 和銅石 自然銅、凡そ4貫目。現存する最大級のもの。
元明天皇の御代(701〜715)出土のものと伝えられています。
一 今宮古地図 江戸中期、五色づかい、90センチ×120センチの掛図
一 古文書 多数
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-------------------------------------------------------------------- ◎ 年間行事予定(平成16年度)
龍神祭 4月4日
水分祭 4月4日
行者祭 6月6日
例 祭 9月28日
--------------------------------------------------------------------
今宮神社に関する資料 ◆「今宮神社由緒略記」
◆「日本説話文学大事典」 志村有弘ほか編 勉誠出版
今宮神社に関する書籍 ◆「秩父 竜人三代記」 和田健夫著 叢文社
◆「秩父 今宮神社」 和田健夫著 叢文社
◆「秩父今宮神社1800年史」 今宮神社研究会編 叢文社
-------------------------------------------------------------------- 宗教法人 今宮神社
埼玉県秩父市中町16-10 (地図)
電 話 0494ー22ー3386
FAX 0494ー22ー3332
e-mail: shion@db3.so-net.ne.jp
宮 司 塩谷 治子
禰 宜 塩谷 崇之
権禰宜 杉本 昌子
氏子総代 鷹啄 忠男
氏子総代 塩谷義三郎
今 宮 神 社 ( 元 今 宮 坊 ・ 八大 宮 ) 略 記
一 役行者、八大龍王を祀る
当社には古代より龍神池と言われる霊泉があり、ここに伊邪那岐・伊邪那美の二神が祀られていました。大宝年間(七〇一〜七〇四)、役行者(えんのぎょうじゃ)が飛来し、神仏混淆を旨とする修験の教えを広めるとともに、この地に宮中八神と、観音菩薩の守護神である八大龍王を合祀し、以後、明治維新まで『八大宮』と称するようになりました。
八大龍王神は『水』をつかさどる偉大な神であり、生きとし生けるものすべてに『生命のおおもと』(生きる力)を授けるという素晴らしい御神徳をお持ちです。当社において毎年四月四日に執り行われる水分(みくまり)神事では、今宮神社から秩父神社に『水幣(みずぬさ)』が授与されますが、この『お水』によって育った稲が秋になって無事収穫されたことの喜びとともに、感謝の気持ちを込めてこの『お水』を再び武甲山に戻すお祭り、これが十二月三日の秩父神社の『秩父夜祭り』なのです。
二 観音堂及び八大権現社の建立
役行者に続いて、八二五年には弘法大師が来遊して大日如来を奉斎。次いで大宮山満光寺、長岳山正覚院金剛寺が建てられ、長歴二年(一〇三八)には、二つの観音堂(現在の札所十四番今宮坊観音堂及び札所二十八番橋立寺観音堂)も建立されました。十二世紀には熊野権現を勧請。宮中八神と大日如来の習合である八大権現社が建立され、寺院、神社、観音堂、祠と併せて百をゆうに越える一大修験道場となりました。
三『今宮神社』『今宮坊』の創建
一六世紀初め全国的に疫病が蔓延したため、八大権現社では、天文四年(一五三五)、京都今宮神社より須佐之男命(樹木神・健康神)を勧請して『今宮神社』を創建しました。このころ満光寺の弁天堂も再建され、翌年には札所も三十四カ所整えられて未曾有の宗教ブームが到来し、秩父は日本に冠たる霊場となりました。永禄十二年(一五六九)には、これらの寺・社を総称して、一山を『長岳山今宮坊』と称し、組下四十九寺を擁する本山派修験聖護院直末として隆盛を極め、諸国先達二十九寺の一つにも数えられました。
天正十九年(一五九一)には、徳川家康より御朱印地十石、除地七石を賜り、松平大炊頭(初代は水戸藩主の弟。明治維新まで七代続いた。)の祈願所としても栄え、およそ百年後の元禄十四年(一七〇一)、今宮坊は真っ先に江戸開帳を行い、組下の力を結集して秩父札所の紹介と発展に寄与したといわれています。
四 今宮神社と今宮坊観音堂の分離
明治元年、明治政府の神仏分離令により修験道は廃止、今宮坊もその解体を余儀なくされ、今宮神社・八大宮と今宮観音堂(現札所十四番)、橋立観音堂(現札所二十八番)に分離され、二十八番は昭和八年に石竜山橋立寺として、十四番は昭和二十七年に長岳山今宮坊観音堂として、それぞれ今宮神社から独立して管理されるようになりました。しかし、御神体、御朱印、社宝、古図、古文書、今宮坊歴代別当・宮司の墓所、それに今宮の由緒とその精神は、当神社に継承されて今日に至っております。
御神意と時代の要請に則り、昭和二十年代より平成五年まで凡そ五十年間、御神域を児童公園に開放。秩父市と協力し、地域住民の健やかな心身の拠りどころとして、福祉事業に専念いたしました。かつてここに遊び育った子どもたちも立派に成人して、現在は、郷土社会の力強い担い手となっております。
五 神社活動の再開
御神慮の成就に感謝し、平成四年を以て神社活動を再開。神域並びに神社の活動を本来の姿に復す努力を続けております。
往古の由緒をふまえて平成六年には百三十年ぶりに龍神祭が復活、平成八年には全国の篤志家の浄財により役尊神祠(行者堂)が建立され、龍神祭、行者祭も年毎に盛大に行われるようになり、改めて今宮坊・今宮神社は、水の神、観音様の守護神、秩父霊場発祥の地、番外霊場としてにわかにクローズアップされるところとなりました。その中でも特に、神仏合わせた力を備えられ「きれいな水」と「正しい教え(仏法・真理)」をもって道なき道を切り開かれる八大龍王様は、観音様と一体となられ、万物を生かし育まれるという利他の業をされながら新しい時代を拓いて下さる神様として、多くの崇敬者たちの信仰を集めております。
現在は仮社殿となっておりますが、八大龍王宮社殿や手水舎の新築、また参集所建立の企画も出され、復興の足音の一段と高まりつつある昨今に新たな決意を持って歩みを進めております。
平成十年一月
秩父 今宮神社 宮司 塩 谷 治 子
えんのぎょうじゃ(えんのおずぬ)
役小角は、舒明6年(634)、葛城山の麓、茅原の里(現奈良県御所市)に出雲の加茂氏と葛城氏の娘渡都岐(とつき)の間に生まれ、仙道、道教、古神道、仏教を学びました。しかしこれに満足せず「人間完成の探求と実践こそ神仏の境地到達の路であり、国家平安、万民幸福の根本である」と悟り、葛城山、金峰山へ入り難行苦行され、遂に法起、龍樹菩薩から乱れた世を救う秘法を授かりました。当時人心は荒れ、凡教も頽廃して末世の様相であることを嘆いた役小角は、悪魔(悪病や災厄、人間の欲望や煩悩)を降伏させることのできる御本尊を求めてさらに修行し、金峰山で忿怒の相の金剛蔵王権現を祈り出して、吉野の金峰山寺山下の蔵王堂にまつりました。
羽黒、立山、浅間山等を開き、道場を建てること二百余ヶ所、厳しい自然の中に御仏の教えを求めて、強固な精神力と高邁な人格を身につけられた姿は、何人をも魅了してやまなかったと伝えられています。いつも弱者の側に立ち、治水工事、病気治療、鉱山開発、情報収集などを指導し、「神か仏か、仙人か」と人々から仰がれました。一説に、壬申の乱(672)では天武天皇を勝利に導き、後天皇より重く用いられました。
文武3年(699)、弟子の韓国連広足(からくにのむらじひろたり)に図られて、無罪の罪により伊豆大島に流されましたが、再び文武天皇に迎えられ「国人(くにびと)の心の親」となられ、寛政11年(1799)の千百年遠忌には、朝廷(光格天皇)から「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)」の称号を賜りました。
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-------------------------------------------------------------------- 聖観音
(しょうかんのん)
-------------------------------------------------------------------- 八大龍王神
(はちだいりゅうおう)
八大龍王は、水の神、仏法を守る神であり観音菩薩から慈悲の心(宝珠=玉)をいただいた神様です。
四月四日の秩父神社のお田植え祭は、今宮神社の霊水をいただきに来られることから始まります。役行者と八大龍王は、秩父霊場や秩父の人々の生活に深く係わられて、今日の秩父発展の礎となられました。
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-------------------------------------------------------------------- 伊邪那岐大神・伊邪那美大神・須佐之男命
(いざなぎのおおかみ・いざなみのおおかみ・すさのおのみこと)
-------------------------------------------------------------------- 宮中八神(御巫八神)
(きゅうちゅうはっしん(みかんなぎはっしん))
大宮売神・高御産霊神・神御産霊神・生産霊神・足産霊神・事代主神・御食津神・魂積産霊神
-------------------------------------------------------------------- 弁財天
(べんざいてん)
--------------------------------------------------------------------
---------------------------------------------------- ◎ 御 祭 神
八大龍王神
役尊神(役小角=役行者=神変大菩薩)
聖観音神
伊邪那岐(いざなぎ)大神・伊邪那美(いざなみ)大神
須佐之男(すさのお)命
弁財天
宮中八神(大宮売神・高御産霊神・神御産霊神・生産霊神・足産霊神・事代主神・御食津神・魂積産霊神)
-------------------------------------------------------------------- ◎ 御 社 殿
仮本殿 =30年間の児童館事業をする為、本社殿は聖神社(大野原)に寄進された
役尊神祠=この地に八大龍王を祀った修験の開祖役行者を御祭神とする小祠(行者堂)
弁天堂 =江ノ島弁財天より御分霊を受けて平成12年秋に建立
今宮坊観音堂 =秩父観音霊場札所第14番
-------------------------------------------------------------------- ◎ 御 神 徳
『宇宙の生命(いのちのおおもと=宇宙の法則=自然の法則)を感得できる力を授けて下さる』
という御神徳があります。
(開運長生・産業興隆・癌封じ・縁結び・合格祈願・身体安護・交通安全・ぼけ封じ)
-------------------------------------------------------------------- ◎ 名 跡・社 宝
一 今宮の欅 8.76メートル(平成3年6月測定 胴まわり)
推定樹齢1000年以上
呼称『龍神木』『駒つなぎのケヤキ』
天然記念物(昭和19年3月埼玉県指定、昭和31年秩父市指定)
一 龍神池 武甲山の伏流水が湧き出ている秩父最古の泉
4月4日の水分(みくまり)祭ではこのお水を秩父神社に授与(秩父神社御田植祭)
一 行者堂 役尊神祠 この地に八大龍王を祀った修験の開祖役小角を祀る祠 (写真)
一 行者石 役小角が母を偲んでこの石に座り笛を吹いたと伝えられています。
小角の誕生の寺奈良吉祥草寺の腰掛石にそっくりです。社務所脇。
一 和銅石 自然銅、凡そ4貫目。現存する最大級のもの。
元明天皇の御代(701〜715)出土のものと伝えられています。
一 今宮古地図 江戸中期、五色づかい、90センチ×120センチの掛図
一 古文書 多数
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-------------------------------------------------------------------- ◎ 年間行事予定(平成16年度)
龍神祭 4月4日
水分祭 4月4日
行者祭 6月6日
例 祭 9月28日
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今宮神社に関する資料 ◆「今宮神社由緒略記」
◆「日本説話文学大事典」 志村有弘ほか編 勉誠出版
今宮神社に関する書籍 ◆「秩父 竜人三代記」 和田健夫著 叢文社
◆「秩父 今宮神社」 和田健夫著 叢文社
◆「秩父今宮神社1800年史」 今宮神社研究会編 叢文社
-------------------------------------------------------------------- 宗教法人 今宮神社
埼玉県秩父市中町16-10 (地図)
電 話 0494ー22ー3386
FAX 0494ー22ー3332
e-mail: shion@db3.so-net.ne.jp
宮 司 塩谷 治子
禰 宜 塩谷 崇之
権禰宜 杉本 昌子
氏子総代 鷹啄 忠男
氏子総代 塩谷義三郎
今 宮 神 社 ( 元 今 宮 坊 ・ 八大 宮 ) 略 記
一 役行者、八大龍王を祀る
当社には古代より龍神池と言われる霊泉があり、ここに伊邪那岐・伊邪那美の二神が祀られていました。大宝年間(七〇一〜七〇四)、役行者(えんのぎょうじゃ)が飛来し、神仏混淆を旨とする修験の教えを広めるとともに、この地に宮中八神と、観音菩薩の守護神である八大龍王を合祀し、以後、明治維新まで『八大宮』と称するようになりました。
八大龍王神は『水』をつかさどる偉大な神であり、生きとし生けるものすべてに『生命のおおもと』(生きる力)を授けるという素晴らしい御神徳をお持ちです。当社において毎年四月四日に執り行われる水分(みくまり)神事では、今宮神社から秩父神社に『水幣(みずぬさ)』が授与されますが、この『お水』によって育った稲が秋になって無事収穫されたことの喜びとともに、感謝の気持ちを込めてこの『お水』を再び武甲山に戻すお祭り、これが十二月三日の秩父神社の『秩父夜祭り』なのです。
二 観音堂及び八大権現社の建立
役行者に続いて、八二五年には弘法大師が来遊して大日如来を奉斎。次いで大宮山満光寺、長岳山正覚院金剛寺が建てられ、長歴二年(一〇三八)には、二つの観音堂(現在の札所十四番今宮坊観音堂及び札所二十八番橋立寺観音堂)も建立されました。十二世紀には熊野権現を勧請。宮中八神と大日如来の習合である八大権現社が建立され、寺院、神社、観音堂、祠と併せて百をゆうに越える一大修験道場となりました。
三『今宮神社』『今宮坊』の創建
一六世紀初め全国的に疫病が蔓延したため、八大権現社では、天文四年(一五三五)、京都今宮神社より須佐之男命(樹木神・健康神)を勧請して『今宮神社』を創建しました。このころ満光寺の弁天堂も再建され、翌年には札所も三十四カ所整えられて未曾有の宗教ブームが到来し、秩父は日本に冠たる霊場となりました。永禄十二年(一五六九)には、これらの寺・社を総称して、一山を『長岳山今宮坊』と称し、組下四十九寺を擁する本山派修験聖護院直末として隆盛を極め、諸国先達二十九寺の一つにも数えられました。
天正十九年(一五九一)には、徳川家康より御朱印地十石、除地七石を賜り、松平大炊頭(初代は水戸藩主の弟。明治維新まで七代続いた。)の祈願所としても栄え、およそ百年後の元禄十四年(一七〇一)、今宮坊は真っ先に江戸開帳を行い、組下の力を結集して秩父札所の紹介と発展に寄与したといわれています。
四 今宮神社と今宮坊観音堂の分離
明治元年、明治政府の神仏分離令により修験道は廃止、今宮坊もその解体を余儀なくされ、今宮神社・八大宮と今宮観音堂(現札所十四番)、橋立観音堂(現札所二十八番)に分離され、二十八番は昭和八年に石竜山橋立寺として、十四番は昭和二十七年に長岳山今宮坊観音堂として、それぞれ今宮神社から独立して管理されるようになりました。しかし、御神体、御朱印、社宝、古図、古文書、今宮坊歴代別当・宮司の墓所、それに今宮の由緒とその精神は、当神社に継承されて今日に至っております。
御神意と時代の要請に則り、昭和二十年代より平成五年まで凡そ五十年間、御神域を児童公園に開放。秩父市と協力し、地域住民の健やかな心身の拠りどころとして、福祉事業に専念いたしました。かつてここに遊び育った子どもたちも立派に成人して、現在は、郷土社会の力強い担い手となっております。
五 神社活動の再開
御神慮の成就に感謝し、平成四年を以て神社活動を再開。神域並びに神社の活動を本来の姿に復す努力を続けております。
往古の由緒をふまえて平成六年には百三十年ぶりに龍神祭が復活、平成八年には全国の篤志家の浄財により役尊神祠(行者堂)が建立され、龍神祭、行者祭も年毎に盛大に行われるようになり、改めて今宮坊・今宮神社は、水の神、観音様の守護神、秩父霊場発祥の地、番外霊場としてにわかにクローズアップされるところとなりました。その中でも特に、神仏合わせた力を備えられ「きれいな水」と「正しい教え(仏法・真理)」をもって道なき道を切り開かれる八大龍王様は、観音様と一体となられ、万物を生かし育まれるという利他の業をされながら新しい時代を拓いて下さる神様として、多くの崇敬者たちの信仰を集めております。
現在は仮社殿となっておりますが、八大龍王宮社殿や手水舎の新築、また参集所建立の企画も出され、復興の足音の一段と高まりつつある昨今に新たな決意を持って歩みを進めております。
平成十年一月
秩父 今宮神社 宮司 塩 谷 治 子