○赤穂の坂越は昔、「しゃくし」と呼んだ
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/Frame_N_...
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大避神社のある佐越はいまは”さこし”と読むが、かつて、”しゃくし”と呼ばれていた。別名、「尺師」(しゃくし)という字もあてられていた。”しゃくし”について、柳田国男は「しゃくし」、「しゃくじ」は石神(しゃくじん)、塞の神(さいのかみ)の意だったと言う。だが、「尺師」は、「尺星」の意味で、北斗七星のことであり、文字通り「北斗七星の師」と訳せる。そして、それは誰あらん『秦河勝』であるのである。佐越の浦は、瀬戸内の西海道を守護する重要な地理的位置にあり、播磨国の有数の明港であった。かつて村上水軍の拠点とする港で、たくさんの海賊が居留していた。村上源氏は秦氏の余流だろうと言われている。この社はたいへん繁栄していたに違いない。 ここで、驚くべきことに、この赤穂の大避神社の末社が、7つ星と同じように千種川沿いに点在している。(2004/06)