○泰山府君の娘、碧霞元君が摩多羅神か?
泰山府君は、「死人も生き返えす」と言われるほど、験(しるし)が強く、陰陽道(おんみょうどう)の祖と言われる安部晴明(あべのせいめい)は、とくにこれをあつく信仰していた。安部晴明は、「泰山府君の祭」を行い、重い病気を癒す効験をしばしば表わした。(今昔物語巻一九) 泰山府君は、生命を司るとされ、厄除け、福録長寿の神として日本中世においては、多くの人びとにたいへん人気があったのである。 泰山府君は、中国の名前のまま、日本で信仰されたという事では珍しい。 その本家本元の泰山は、標高1545?。さほど高い山ではないが、その頂上に行き着くには、7,412段の階段を上ることになっている。「天にかかる梯子」と呼ばれ、なんと約9000?も続く。この階段を登って泰山登頂を果たすと、永遠の命が得られることになっている。登りはじめてから降りるまで、たっぷり一日を要する。今は、南大門まで、ロープウェイが敷設されているが、利用すると御利益が薄くなる。いまは、世界遺産のひとつとなっている。 驚くことに山頂には、あの泰山府君よりも、盛大に奉られている神がいた。その名前を碧霞元君(へきかげんくん)という。 「碧」は純粋という意味と緑色をも意味する。「霞」は夕暮れを。「元」はもともとの。君は女性名にはよくつけられる尊称。この緑と純粋の意味をもつ「碧」は女性名にしか使われない文字である。東嶽大帝(とうがくたいてい)の娘ともされ、また、この碧霞元君、泰山娘娘(たいざんにゃんにゃん)、天仙聖母(てんせんせいぼ)、天仙玉女(ぎょくじょ)とも呼ばれ、慈悲深くあらゆる願いをかなえてくれる。また、人々の生活を占う霊籖を降す神でもある。あまりに多くの人々が参拝したため、明代には参拝者に入山税(香税)を課したほどであった。華北各地に碧霞元君の廟が建てられた。泰山信仰といえば、泰山娘娘(碧霞元君)を指すようになった。観音菩薩(アボロキティシュバラー)は、中国に入って”観音娘娘”(くわんいん−にゃんにゃん)となり、台湾では、観音(くわんいん−ま)と呼ばれて、道神といっしょに中国民衆に愛され、広く分布されて信仰されていた。こうした道神、「娘娘」(にゃんにゃん)が、法華経第二五品の観世音菩薩普門品で説かれる観音菩薩であると言われている。道教に編入されたアボロキティシュバラーが観音娘娘”(くわんいん−にゃんにゃん)なのである。他方、法華教の普門品、そのものが原典には存在せず、中国で付け加えられたものと今日では考えられている。漢訳経典だけからは、こうしたことは知ることができない。