卑弥呼の軍師だった*猿田彦(さるたひこ)武内宿禰、タケミカヅチは、東国(あずま)の香取から遣って来た物部の主将だった。斎(いわい)の大人(うし)、いまで言えば武人の英雄。出雲の美保に居た旧主、事代主神=ウマシマジ=(これはニギハヤヒの子)に引導を渡すと、熊野から大和に攻めあがる。一方、卑弥呼は自らは船に乗り大阪に上陸、これを女軍(めいくさ)と呼ぶ。熊野から攻め上った武内宿禰の軍を男軍(をいくさ)と呼び、敵を挟み撃ちにする作戦にでた。忍熊皇子(おしくまのみこ)は、紀州の高峰を、敵の軍勢が越えてくるなど夢にも思わない。最後に追い詰められて自殺した。さらに、戦は続く。卑弥呼の異腹の兄=ニギハヤヒの妻、三炊屋姫(みかしきやひめ)の兄、ナガスネヒコは「忠臣二君に仕へず」とばかり、憤然と天つ神ニニギを拒否、最後まで抵抗した。この戦では、千余人も死傷者をだした。この死傷者数は日本の戦国時代でもあまり例がないほどの大戦争である。彦五瀬命は生駒山で負傷し、膝の傷が元で戦死。だが、ナガスネヒコは諏訪に幽閉されるにとどまった。諏訪湖の蛇の精霊「ミナカタノカミ」となる。オオミワ神を奉じる蝦夷(えみし)はそう簡単に三輪王朝を捨てなか?た。諏訪は、いまも出雲の伝統を随所に見いだせる希有な土地である。
この内戦を魏志では「男王がたって国中服せず」とみた。卑弥呼は妹のワカヒルメムチを女帝にすると、みずからは微行に殉じていた。三輪大神の神の子「臺与」が女王になると、内乱は集結した。魏の長政ら一行は、このなりゆきを見届けると、帯方郡に帰還した。このとき、長政らを送るついでにその足を伸ばし、魏の朝廷に赴いて貢献をした。使節を出したのが臺与で、男女の奴隷30人、真珠五千個、翡翠大玉二枚、錦織物20匹を献上した。三輪王朝最後の純血の女帝である。
この内戦を魏志では「男王がたって国中服せず」とみた。卑弥呼は妹のワカヒルメムチを女帝にすると、みずからは微行に殉じていた。三輪大神の神の子「臺与」が女王になると、内乱は集結した。魏の長政ら一行は、このなりゆきを見届けると、帯方郡に帰還した。このとき、長政らを送るついでにその足を伸ばし、魏の朝廷に赴いて貢献をした。使節を出したのが臺与で、男女の奴隷30人、真珠五千個、翡翠大玉二枚、錦織物20匹を献上した。三輪王朝最後の純血の女帝である。