「 遷御の儀」、天皇陛下が御治定 伊勢神宮の式年遷宮。
伊勢神宮(三重県伊勢市)は25日、社殿などを20年に一度造り替える式年遷宮で、ご神体を新殿に移す「遷御(せんぎょ)の儀」の日時について天皇陛下の御治定(ごじじょう)を受けたと発表した。
日時は陛下が定められる習わしで、内宮で10月2日、外宮で同月5日、
天皇陛下、外宮遷御で伊勢神宮ご遙拝 皇后さま、皇太子ご夫妻も,
天皇陛下は5日夜に行われた伊勢神宮の外宮(げくう)の「遷御の儀」と同時刻、皇居・神嘉殿(しんかでん)の庭で、伊勢神宮に向かって拝礼する「遙拝(ようはい)の儀」に臨まれた。皇后さまも、皇居・御所で拝礼された。皇太子ご夫妻も、東宮御所(東京・元赤坂)で拝礼された.
伊勢神宮:内宮 荒木田氏
伊勢神宮:外宮 度会氏
伊勢神宮(三重県伊勢市)は25日、社殿などを20年に一度造り替える式年遷宮で、ご神体を新殿に移す「遷御(せんぎょ)の儀」の日時について天皇陛下の御治定(ごじじょう)を受けたと発表した。
日時は陛下が定められる習わしで、内宮で10月2日、外宮で同月5日、
天皇陛下、外宮遷御で伊勢神宮ご遙拝 皇后さま、皇太子ご夫妻も,
天皇陛下は5日夜に行われた伊勢神宮の外宮(げくう)の「遷御の儀」と同時刻、皇居・神嘉殿(しんかでん)の庭で、伊勢神宮に向かって拝礼する「遙拝(ようはい)の儀」に臨まれた。皇后さまも、皇居・御所で拝礼された。皇太子ご夫妻も、東宮御所(東京・元赤坂)で拝礼された.
伊勢神宮:内宮 荒木田氏
伊勢神宮の宮司の下で、実際の祭祀や事務万般を取り扱っていたのが禰宜であった。禰宜には初め荒木田神主・根木神主・度会神主の三姓があったが、根木神主は早くに絶え、平安時代中頃以降、内宮は荒木田氏が、外宮は度会氏が専ら奉仕するようになった。荒木田氏は天見通命を祖とし、垂仁天皇が神宮を創祀したときから奉仕したと伝えられる。 景行天皇の時、大貫連の姓を賜わり、成務天皇の時、神田開墾の功により新墾田の意味で荒木田神主の姓を賜わったという。十一世石敷の子の代から二流に分かれ、一門は度会郡小社曽禰に、二門は田辺に移った。ついで両門とも神宮の所在地宇治郷に移り住み、交代で禰宜職を世襲した。 一門からは沢田・井面・薗田、二門からは中川・世木・藤波・佐八の七流が分かれて、神宮家または重代家といい、さらに沢村・井向・家田・宇治などの諸氏を分出した。
伊勢神宮:外宮 度会氏
豊受大神宮家の禰宜家で、天日別命を祖とし、垂仁天皇のとき、大若子が越国の賊を討ってその地を神宮に寄せた功により、伊勢国造に任じられ、大神主を兼ねて神宮に奉仕するようになったという。その弟乙若子の後の乙乃古の子から四流に分かれた。 初め石部(磯部)氏といったらしいが、単に神主ともいい、1001年神主貞雄・連信らが度会神主の姓を賜わって、子孫が大いに栄えた。檜垣・松木・久志本・佐久目・河崎・宮後の六氏は重代家と称され、さらに横地・川田・岩淵・赤畝・蒜田・吹上・大世古・村松・曽禰・松原・堤・出口・幸若などの諸氏を分出した。 鎌倉時代に外宮の地位を高めようと計り、宮司の大中臣氏を排し、内宮と争い、伊勢神宮を中心とする神道説を唱えた。