368からすの数霊 - ○食と酒の神
○食と酒の神
 保月神は豊穣神であること、同時に渡来系丹生(にう)の奉じる蛇神系の水神であった。ウカノミタマ大神は中世になると仏教に習合して、宇賀神という福神となった。宇賀弁才天とも呼ばれ、老人の顔をした人頭蛇体で、白蛇であった。稲荷神社系では、弁才天から、さらに、ダキニ天、大聖天、愛染明王にも変貌している。豊饒神は、さまざまに変容をしているが、食(稲)と蛇が同一の根っこのように結合している。古代では、神は蛇体形でこの世に顕れると信じられていたのだろう。豊受を”トヨウケ”を”トヨウカ”とも呼ぶ。「ウカ」は、海蛇の意味である。ウカノミタマは、「ウカ」がキーワードで、紀州の田辺では、海蛇をウカという。(渋沢啓三・日本魚名集覧)、南方熊楠(みなかたくまぐす)は、紀州方言では海蛇を「ウガ」と言うと書いている。ワカヒルメは、海蛇(ウカ)ノミタマであり、稲のウケモチノカミでもあった。スサノヲの渡海は、日本に稲作をもたらし、豊かな食生活をもたらしたのではないだろうか。
 「保食神」(うけもちのかみ)がいた葦原中国とは、丹生川のある吉野しか考えられないが、丹生都比売の線からも探ってみよう。
丹生族の基盤地域は和名抄で確認できる地名から七地域に絞れる。 上野国甘楽郡丹生郷 *  伊勢国飯高郡丹生郷 *  近江国坂田郡上丹郷 *  越前国丹生郡丹生郷 * 若狭国遠敷郡丹生郷 * 土佐国安芸郡丹生郷 豊後国海部郡丹生郷
 古地名と、延喜式の丹生神社の数で示すと、福井県(若狭・越前)の数が一番多く4社ある。(延喜式の延喜式の丹生神社は、大和に3社、伊勢に2社、紀伊に1社、上野に社)
 713年を境に、評制から郡制に変わった。このとき、地名も変わったが、小丹生という評(こおり)があった。遠敷郡に変更されている。琵琶湖の北西部の地域である。丹生は郡になっても変化がなかったが、越前の海側がその地帯であった。丹生の地名は近江、越前が圧倒的に古くしかも、強い地盤となっている。
 和名抄の丹生の地名は、紀伊が圧倒するが、古神社は若狭・越前に多い。ここで踏まえて置くのは、出雲には丹生の古社が一つもないということである。すくなくても、葦原中国とは出雲ではない。
*マークにはそれぞれ延喜式の丹生神社がある。