日本の戦国時代に関すること全般。戦国武将や合戦、城、戦国時代に関する資料・書籍等について書いています。


【生没年】享禄3年(1530)1月21日、春日山城にて誕生。天正6年(1578)3月13日春日山城にて死去。享年49歳
《身長:156cm 血液型:AB》

越後守護代、長尾為景の末子として生まれる。幼名は干支の庚虎にちなんでは虎千代と名づけられる。元服し、長尾平三景虎と名乗る。天文22年24歳で突然出家をし宗心と号をするがすぐ還俗し景虎に戻る。永禄4年亡命した上杉憲政から関東関東管領職を賜った際に上杉家の名前の『政』の一字を継ぎ政虎と名乗る、同年末には、上洛して将軍義輝の『輝』の字をもらい輝虎と名乗る。元亀元年に出家し以降、不織庵謙信と号す。

父、為景が病死後、家督は兄の長尾晴景が継ぐ。景虎は城下の林泉寺に入門し、天室光育住職の教えを受ける。
謙信は兄・晴景と対立して戦うが、晴景は謙信に家督を譲り隠居し謙信は越後守護代となる。

武田信玄と川中島の合戦で五度も衝突したが、決着は着かなかった。
関東への出陣も重ね、北条氏康・氏政と戦い続けた。
上杉憲政から関東管領を譲られた。
北陸へ力を伸ばし、柴田勝家の軍勢を加賀・手取川で撃破した。

戦国最強の武将の一人で、越後の虎とも越後の龍とも呼ばれる。

数々の伝説、挿話を残し、1578年、遠征準備中に急死、享年49歳。死因は日頃の大酒が災いし脳溢血とされる。

辞世の句「極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし」
    
「四十九年一夢の栄 一期栄花一盃の酒」

法名は不織院殿真光謙信。
官職は従五位下・弾正少弼。
墓所は新潟県上越市の林泉寺と山形県米沢市の上杉家廟所にある。

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