日本の戦国時代に関すること全般。戦国武将や合戦、城、戦国時代に関する資料・書籍等について書いています。

(ちょうじゅいん もりあつ)

大善房。阿多盛淳、阿多長寿院とも。
島津氏の家臣。謀臣として島津義久義弘に仕えた。
後、家老。大隅蒲生(かもう)地頭。

天文16年(1547)?〜慶長5年(1600)
父は畠山頼国。河内畠山氏の一族と称す。

父の意向で僧となり、3歳の時に紀州高野山、11歳で根来寺で修行し、天文年間(1530年代)に下向。鹿児島安養院の住持となる。
鋭敏で知謀があり、島津義久、義弘から信頼厚く、国事の相談をされていたという。

豊臣秀吉?の九州征伐では交渉役となり、天正14年(1586)に使者として秀吉の元へ参上した。
同16年(1588)には、義久に同道し石田三成?と会っている。
同年、還俗を命じられ家老となっている。

慶長5年(1600)、関ヶ原に従軍。義弘の敵中突破の際、追手を食い止めるため主君義弘の影武者となり戦死した。

子、忠栄は阿多甚左衛門に屋敷を与え出家したことにより阿多吉房と呼ばれ、子孫は阿多を称した。

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