[24]
二回目の競い合いは直前に取り止めとなり、あなたは宮中を出て行った。
あなたの姿が消えて、水剌間のあたりが急に静かになった。
あなたがいなくなるのは、これで三度目。最初の時は、戻ってきて欲しいと心から祈り、二度目は、初めはあなたのことを思って、でもあのことがあってからは居たたまれなくて、早く帰ってくるようにと願った。
けれど今は……。
このたびの使臣には特に気を遣わなくてはならないけれど、頑張ったって難癖を付けられるに決まっている。だからあなたもハン尚宮様も、もう戻れないわ。
……たとえ戻れたとしても、チョン尚宮様もご無事ではないでしょう……。このままチェ尚宮様が、あの座をお継ぎになる。
そうしてでも、あなたの全てを奪う。あなたの未来に続く道を、あなたが支えだと言った人、あなたを受け入れ、あなたをここまで育て上げた人の望みも何もかもを。
夢や希望、心の支えがなくても、あなたは今までのように無邪気でいられるかしら? 変わらず、輝いていられるかしら?
あなたを傷つけたい。あなたが私を傷つけた分だけ………。
そうして初めて私の痛みと孤独をあなたも感じるだろうから。少しは私の気持ちに気付いてくれるでしょうから。
そうでもしなきゃ、私のみじめな気持ちを、慰めることができないだろうから。
………あなた………。どうして? どうして他の人ではなく、あなたなの? ……あなたでなければ……こんなにも恨めしく感じることはなかったのに。心が痛むことなんてなかったでしょうに。
あなたに出会わなければよかったの?
でも私たちは出会ってしまった。あの月の夜、その時から私は……惹かれ続けた。あなたに、何かを感じていたから。
誰もやろうとしないことに取り組み、誰よりも情熱を注ぐことができ、誰にもできないことをやってのける。あなたは、自分で道を切り開いていける人。
そんなあなたに導かれ、私も新しい道を開いていけるかもしれない。この運命を変えられるんじゃないかって。
そして私そのものを……一門の子としてではなく、チェ尚宮様やチェ大房の姪としてでもなく、ただ一人の、チェ・グミョンとして見てくれたのは、あなただけだった。
……誰も、あの方もしてくれなかったことを、あなたはしてくれた。
私にはあなたが必要だった。
だから私はあなたを心の支えにした。
あなたも私を必要としていると思っていた。
だからあなたも私を支えにしてくれると思い込んでいた。
でもそれは………まぼろし。
雲岩寺であの日、私は心の支えを一遍に失くした。私の居場所はミン・ジョンホナウリにも、そしてチャングム、あなたにも無かった。
私がいなくても、きっとあなたは他の誰かと生きていけるでしょう。あなたは私と違って、たくさんのものを持っているし、みんなに愛されているのだから……。
あなたにとって私は、ただの大勢いる友達の一人……ちょっと料理がうまい友達……それで料理のことを相談できる人、にしか過ぎないのでしょうから。
……あまりにも長い間、夢を見ていて……やっと夢から覚めた。
あなたと向き合うなんてできるはずがない。私のことを分かってくれるはずがない。住む世界も背負うものも違うのだから。
叶わぬ夢なら初めから見なければ……いや、それを見させたのはあなた! 無邪気な顔で騙したのよ!
あなたは私に寄り添い、私の心を受け止めているかのように振舞った。私は心を許そうとしたのに。
そうして私が大切にしているものを根こそぎ持って行こうとしている。
ひどい人。次は何を奪う気?
月に思う。
やっぱり私は月のような人間。日の光のようなあなたと、共に歩むことはできない。
あなたの前では月すらも霞み、行き場を無くしてしまうから。
私が光を取り戻すために、あなたには消えてもらうしか……ないの。
そしてこのまま、あなたに係わる思い出を、無くしてしまいたい。
[25]
うつむいたまま、もう半時ほど座っていただろうか。
気配がして顔を上げると、少し離れた所から、チェ尚宮様がこちらを見ておられる。
―――いつから? 全然気が付かなかった。
何も言われず、隣に座られた。
朧(おぼろ)月……雲が薄く広がり、光がふんわり、丸く大きく夜空に浮かび上がっている。
二人で眺める。
ふと見ると尚宮様……深く憂いに満ちた面差しをされて……どこかで見た気がする。
そう、思い出したわ。以前あなたと裏山に登った時に、ハン尚宮様がされていたような……あの寂しげな横顔に似ている。
その時、背中に温もりを感じた。尚宮様の腕が回され、私の肩は抱き寄せられていた。
―――こんなことをされるなんて初めて……。
腕から伝わる温かさが心地よい。
私の肩にもたれかかり眠っていた、あなたの温もりを思い出した。
見習い時代、ここであなたとおしゃべりしながら月を見た。
内人に成って、あなたを見守りながら月を仰いだ。
今は、尚宮様……叔母様と黙って月を眺めている。
同じ部屋でお仕えしていた頃、叔母様がうなされておられたことがあった。夜更けに飛び起きられるのを見たこともある。寝言でハン尚宮様の下のお名前と、知らない方のお名前を呼ばれていたことも。そしてある時の大声。
「ごめんなさい! お願いだからもう……」
あの悲痛な呻きを聞いた時、私まで胸の鼓動が鳴り止まなかった。
―――このお悩みは、仕事のことではない?
もっと深くお心を苦しめるものって……何だろう。
そう言えば……叔母様は前に、『友の絆が己を苦しめる』と言われたっけ。
―――……叔母様も、私と同じような気持ちをお感じになられたことがあるのかしら。
でも、どなたのことだろう? まさかハン尚宮様のこととは思えないし。他に
そのような方は……。
! 呪いのお札を隠すよう言われたあの時、『仲間を一人死に追いやった』と
話された……その人が叔母様の……大切なお友達だったっていうの? そして
その方との絆が、叔母様を苦しめている……? 今でも、あれほどにまで。
そうなのですか、叔母様?
お心の内をお聞きしたかったが、結局言い出せなかった。
―――もしそうなら私も同じように……絆を断ち切る苦しみに、耐えていかなければ
ならないのだろうか。
でも叔母様の温もりに包まれていると……寂しさがやわらいでいく。
―――この腕の中に帰ろう。この血のもとへ戻ろう。
私が居られる場所は、この中にしか、料理と一族にしか無いのだから。少なくともこの場所は、私をのけ者にはしない……心からの望みではなくても、私に期待し、受け入れてくれるのだから。
尚宮様の肩に、涙がこぼれ落ちる。けれど、泣くなとはおっしゃらなかった。
私そのものを認めてくれた、あなた……。
あなただけは……こんな私のことを分かってくれると思っていたのに……。
私の心の叫びは、伝わっていたの……? 気付いてくれていたの……?
今まであなたは、本当に理解してくれていたの……?
好きだった……。大好きだった……。
だけど……今はもう、憎まざるを得ないの…………チャングム…………。
夜空一面、重く雲がたれこめ、月はぼやけて見えなくなった。
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