第六十四景 消失 << 物語 >> 第六十六景 大御所
濃尾無双虎眼流の剣圧に、泰然と構える月岡雪之介。短慮でもなく温和なこの男が、太平の世にあって刀に血を吸わせた経験は、実に五度。斬りたくないと心より願いつつも、かかる事態に陥る運命にあり、恨みを持つ者から逃れるため国許を離れ、星川生之助と名を変えていた。源之助の構えを見て手ごわいと感じる雪之介。虎眼流を目の前にして、斬られることよりも斬ってしまうことを恐れるのは、剣界広しといえども月岡のみであった。流れで先に仕掛ける源之助。その軌道を見つつ、足を踏み込みながら剣先をかわす雪之介。振り切った流れの握りは、二の太刀を生み出せないでいた。そこに雪之介の峰打ち不殺が襲い掛かった。太刀を捨て、脇差に手をかけた源之助は、袈裟まで届いた雪之介の太刀を茎受けで防いでいた。膠着した二人だったが、力を入れ小刀を搦め取ったのが月岡の剣。源之助の小刀ははるか後方に飛んでいき、勝負あったと思われたが、月岡の首には、月岡自身の小刀が当てられていた。驚愕する月岡に、伊良子清玄の者かと尋ねる源之助。話に割り込んだのは見守っていたいく。勝った清玄様があなたをつけ狙う理由などないと言い放った。藩庁公認の敵討で決着がついた以上、更なる報復は法に触れる行為だった。
仏間で会話をする二人。清玄どのにいくどのを預かっている自分が、今度は三枝様から源之助どのを預かったのは、御仏が恨みの結ぼれを解きほぐすためにした縁と感じた月岡。あの二人は黄泉の国から舞い戻ってきたような姿と、先ほどの出来事を思い返していた。今度はいくが、駿府城で催される上覧試合の伊良子様の相手が源之助というのは真実かと聞いた。月岡ははっきりとはわからないが、源之助は武士の魂である刀を、使えぬとなればためらいなく投げ打ち、使えると見れば相手の刀にさえ手をかける、それほど大胆な戦法を用いながらも、心の揺れはまったく感じられず、正直怪物だと告げた。
月岡のいる仏間から、台所と六畳の居室を挟んだ、庭に面した客間に二人は停泊していた。食べているのは、家老屋敷から持ち帰った食膳の残り。影膳は亡き当主、岩本虎眼のもの。元三百石の武家の娘と跡目の、痛々しいほどつつましい夕げだった。
深夜、扉が開き気配を感じた源之助と三重。そこにはすでに点火された短筒を構えたいくの姿があった。殺意が三重から発せられていることを見抜いていたいくは、銃口を源之助ではなく三重に向けていた。抗わんとする源之助を止める三重の目。三重はおまえは清玄と密通をしたのかといくに訊ねた。根も葉もないとうそをつくいくだったが、あの聞き覚えのある声が響いた。三重とも源之助とも異なる、しわがれた地の底より呻くがごとき虎眼の声が。問い詰められるいくは、恐怖のあまり発砲した。銃声で駆けつけた月岡が目にしたものは、撃ち抜かれた左袖から煙を上げる源之助と、紅を指す乙女。
同じころ、駿府城下の岡倉木斎の屋敷では、清玄が護衛の女剣士二名を抱いていた。
仏間で会話をする二人。清玄どのにいくどのを預かっている自分が、今度は三枝様から源之助どのを預かったのは、御仏が恨みの結ぼれを解きほぐすためにした縁と感じた月岡。あの二人は黄泉の国から舞い戻ってきたような姿と、先ほどの出来事を思い返していた。今度はいくが、駿府城で催される上覧試合の伊良子様の相手が源之助というのは真実かと聞いた。月岡ははっきりとはわからないが、源之助は武士の魂である刀を、使えぬとなればためらいなく投げ打ち、使えると見れば相手の刀にさえ手をかける、それほど大胆な戦法を用いながらも、心の揺れはまったく感じられず、正直怪物だと告げた。
月岡のいる仏間から、台所と六畳の居室を挟んだ、庭に面した客間に二人は停泊していた。食べているのは、家老屋敷から持ち帰った食膳の残り。影膳は亡き当主、岩本虎眼のもの。元三百石の武家の娘と跡目の、痛々しいほどつつましい夕げだった。
深夜、扉が開き気配を感じた源之助と三重。そこにはすでに点火された短筒を構えたいくの姿があった。殺意が三重から発せられていることを見抜いていたいくは、銃口を源之助ではなく三重に向けていた。抗わんとする源之助を止める三重の目。三重はおまえは清玄と密通をしたのかといくに訊ねた。根も葉もないとうそをつくいくだったが、あの聞き覚えのある声が響いた。三重とも源之助とも異なる、しわがれた地の底より呻くがごとき虎眼の声が。問い詰められるいくは、恐怖のあまり発砲した。銃声で駆けつけた月岡が目にしたものは、撃ち抜かれた左袖から煙を上げる源之助と、紅を指す乙女。
同じころ、駿府城下の岡倉木斎の屋敷では、清玄が護衛の女剣士二名を抱いていた。