音楽ってすばらしい。みゆうのライブ情報はここにあります。

自己紹介


 皆様、こんにちは。
 ただいま、ご紹介いただきましたオカリーナ奏者の岸本みゆうといいます。
 岩美町田後から参りました。これから約1時間、オカリーナの音色を交えながら、少しお話をさせていただきます。
 まずご挨拶代わりに「星月夜(ほしづきよ)」という題名の曲をお聴きください。

挨拶の代わりに

「星月夜」(作詞:斉藤信夫、作曲:海沼実)の演奏
 この曲は、すでにお気づきの方があると思います。今の季節によく歌われている「里の秋」という題名で知られた曲です。
 詞を書かれたのは、斉藤信夫さんと言います。この方は、昭和十七年、日本が第二次世界大戦に突入した頃、千葉県で小学校の先生をしておられた方です。その当時の先生がみんなそうだったように、教壇で子どもたちを日本のため「お国のため」にと戦意高揚に鼓舞していた方です。斉藤さんがその頃書いた詞に、童謡作曲家の海沼実さんという方が曲をつけました。
 1番と2番の歌詞は皆さんよくご存じだと思いますので、当時の3番、4番の歌詞を読んでみますね。

きれいなきれいな 椰子の島
しっかり護って くださいと
ああ父さんの ご武運を
今夜もひとりで いのります

大きく大きく なったなら
兵隊さんだよ うれしいな
ねぇ母さんよ 僕だって
必ずお国を 護ります

 いかにも戦争中の日本の歌ですね。
 1番の歌詞も、よく読んでみれば、「しずかなしずかな里の秋」・・・これは、父親がいなくなったため静かすぎる田舎の風景です。「お背戸に木の実の落ちる夜は」・・・裏の木戸のひさしを、落ちる木の実が叩くたびに、戦地に赴いた父の安否を気遣った。「ああ母さんと二人きり」・・・そうして、数少ない食料のひとつの栗の実を黙ってぐつぐつと煮ている情景です。これが1番。
 2番となると、「あかるいあかるい星の夜、鳴き鳴き夜鴨の渡る夜は、ああ父さんのあの笑顔、栗の実食べては思い出す」これはもう、寂しいどころではないんですね。灯火管制で家の明かりが制限されてしまったため、まぶしいくらいにあかるい星の夜、眠れずに必死で耐えている情景です。すべてはお国のため。
 先ほど読んだ当時の3番は、1番で母さんと二人だったのが、「今夜もひとりで いのります」と変わっています。これは、学童疎開を表しています。
 これを作曲者の海沼実さんが終戦後、NHKの「外地引き揚げ同胞激励の午後」という番組で取り上げるに当たり、斉藤さんに詞を書き換えるように依頼して出来上がったのが、「星月夜」あらため、「里の秋」だったのです。
 書き替えられた3番では、「きれいなきれいな」と書かれた椰子の島に「さよなら」を言います。これは、斉藤さんが戦争に対する決別を込めた詞でした。実際、斉藤さんは、この後永年勤めた小学校を自ら退職することになります。

さよならさよなら 椰子の島
お船に揺られて 帰られる
ああ父さんよ ご無事でと
今夜も母さんと 祈ります

 このように戦争のとき、戦意高揚に音楽が使われた。いわゆる軍歌をはじめ、たくさんの曲が作られました。そしてその曲のほとんどが楽譜も軍歌以外は残っているものがなく、今はまったく歌われることはありません。でもその中で、「里の秋」のように詞が替えられて残った曲もあるわけです。
 海沼実さんの戦後の代表曲のひとつである、「みかんの花咲く丘」をお聞きください。この曲の作詞は、「かわいい魚屋さん」の加藤省吾さんです。戦後を明るく照らした歌声は、川田正子さんでした。
「みかんの花咲く丘」の演奏
 この「みかんの花咲く丘」という曲には、ぼく自身思い出があって、岡山の長島愛生園というハンセン病療養所があるんですが、そこの丘の上に慰霊塔があって、ここから見える景色がまさにこの曲の情景と重なるんですね。
 実際には、この曲が作られたのは静岡の西伊豆の明るい情景なんですが、そこに故郷を思う気持ちと重ねてしまうわけです。
 終戦直後には、鳥取にもゆかりのある團伊玖磨さんの「花の街」など名曲がたくさん生まれています。世の中を照らしたのも音楽の力でした。

歌と差別問題

 中には、差別に向き合う中で生まれた曲も少なくありません。「竹田の子守唄」という曲は、もともと京都伏見の竹田という被差別部落で歌われていた歌でした。歌詞は、昭和初期に見られた少女の子守の情景や心情を歌ったもので、特に差別を強調したものではありません。ただ、この歌詞の中で「在所」とあるのが、ふつうなら単に「部落」、「田舎」とか「故郷から離れた場所」という意味であるにもかかわらず、京都地方では、被差別部落を指す言葉だということになって、赤い鳥が歌ったこの唄そのものが放送禁止となってしまいます。
「竹田の子守唄」の演奏
 ちなみに、赤い鳥が「竹田の子守歌」のシングルレコードのB面に収録したのが「翼をください」でした。

 主にアメリカには、黒人差別を歌った曲もたくさんあります。
 奴隷商人であり、イギリスの船乗りだったジョン・ニュートンは、ある日大西洋をアメリカに渡る船で航海中に、大きな嵐に遭遇します。彼は、その後アメリカで牧師となり、この曲を書き上げます。
「アメージング・グレース」の演奏
 「朝鮮民主主義人民共和国」という国の名前は、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」を単に「イギリス」と呼ぶ日本独特の風習によって、現在単に「北朝鮮」と呼ばれています。
 日本人は、本当はこの国の人々のことをよく知らないのだけれど、ニュースで見ると、戦時中の日本のような軍隊が闊歩し、人々は貧困にあえいでいるというイメージを多くの人が抱いています。国民の思想も共産主義でがんじがらめになっている近寄りがたい存在だと日本人の誰もが思っているのではないでしょうか。
 しかし、北朝鮮という国そのものも、このイメージもほとんどが終戦直後に作られたものです。それから60年もたっているのですが、本当はどうなんでしょうか。北朝鮮も、田舎の方では案外穏やかに日々笑いながら大家族で生活をしているのではないでしょうか。拉致被害者の米子の松本京子さんが「翼をください」という曲が好きで口ずさんでいたそうです。なんとか道を開くことができないでしょうか。
 つい最近までアメリカの言いなりになって「敵国はソ連」と言っていたことを思い出しても、日本人ほどイメージに踊らされる国民性はないような気がします。
 その北朝鮮から生まれて、今も歌い継がれている曲は、実は韓国でも日本でも親しまれている曲が多いものです。「アリラン」もそうですね。今日は、そういった中の曲から1曲、「イムジン河」を聞いてください。
「イムジン河」の演奏
 この曲は、日本では、1968年にザ・フォーク・クルセダーズが歌いました。北と南の境界にあるイムジン河を、鳥は渡るのに、なぜ故郷の南に帰れないのか。こんな曲が歌われていたんですね。今、皆さんは、北朝鮮の人々からこんな曲が生まれることが想像できますか?
「夕焼小焼(ゆうやけこやけ)」演奏
 日本人で、この曲を知らない人はいないでしょう。夕方になると防災のラッパスピーカーから流れたり、学校の下校に流れたり、スーパーの閉店の音楽に使われたりもしています(最近は『蛍の光』はあまり聞かなくなりました)。
 この曲は、1923(大正12)年の関東大震災で焼け残った楽譜から出てきました。もとは、楽器を買うとおまけでついてきた楽譜集の中の1曲として作られたものだそうです。
 「ゆうやけこやけで日が暮れて・・・」1番の歌詞の最後では「からすといっしょにかえりましょう」と歌われていますね。この曲は、日常ではどちらかといえば嫌われ役の動物である「からす」に親しみを寄せて歌われています。
 こういうことは、実は歌の世界ではよくあることなんですね。「黒猫のタンゴ」なんて曲もありました。世界を見渡すと、「オオカミ」や「コウモリ」も歌の世界では、親しみのある動物として歌われています。「森のくまさん」なんか、「お嬢さんお逃げなさい」ですよ。
 これはどういうことでしょうか。歌の世界が平等だなんてキレイゴトを言うつもりはありません。しょせん歌の世界は空想の世界です。それでも言えることは、歌の世界には独特な力があるということです。それは、受け止め方によっては、大きな力になるということです。
 「山のお寺の鐘が鳴る」という歌詞があるんですが、当時は、どこでも夕方になるとお寺の鐘が鳴ったんですね。ところが、第二次世界大戦のさなか、金属類の供出によって、お寺の鐘も集められて、溶かされて鉄砲や大砲になった。
 こんな替え歌が実際に歌われたそうです。

夕焼け小焼けで日が暮れない
(都市は連日連夜の空襲で上空はまっ赤に染まっていた)
山のお寺の鐘鳴らない
(国中の寺の鐘は武器・砲弾の材料として供出させられた)
お手々つないでみな帰れない
(学童疎開で親許から引き離されていた)
烏も一緒に帰れない
(食糧難で烏も捕獲して食べた)

 実は、今でも鐘のないお寺は多いんです。戦争で金属類が集められてしまった。とにかくいちばん目につくのがお寺の鐘だったわけです。今、お寺の鐘が残っているのは、供出をまぬがれたものは稀で、檀家さんたちが戦後お金を出し合って新たに作られたものがほとんどです。
 からすがもっと大胆に主役になっている曲をご紹介しましょう。この曲です。
「七つの子」演奏
 この曲は、野口雨情の詞です。世の中には、「七つの子」が7歳なのか、7羽なのかというどうでもいい議論がありますが、雨情がホトトギスやウグイスじゃなくて、カラスを選んだのには、弱いものや偏見に光を当てようとする詩人の心情がはたらいているように思います。そこを考えてほしいものです。

現代社会の反戦歌


 現代の詩人たちも、差別や偏見、反戦を歌にしています。私は「君が代」で見られるように思想に縛られ、行政が何かしら規制を設けるような働きは好ましくないと思っています。何より、歌は、音楽は、他の芸術と同じように、聞く人の心を映す鏡であるからです。それが「国歌」でも、です。
 ピカソのゲルニカを見て、本当に心打たれる人もいれば、単純におもしろい絵だ思う人もいる。なんとなくいやだなあと思う人もいる。それが真実です。
 そこで、それぞれが少しでも自分と向き合う心が持てるのなら、音楽には大きな役割があると思います。
「いつも何度でも」の演奏

ジョン・レノン「イマジン」をBGMとして
レディー・ガガ「ボーン・ジス・ウェイ」をBGMとして

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☆イベント情報☆

2018年11月

[22(木)] 生協デイサービスにオカリーナふくふくの皆さんと訪問演奏。
[25(日)] 宍粟市最上山もみじ祭りにぽんかん。出演。

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代表 岸本みゆう

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音楽ライブユニットぽんかん。のオカリーナ、ギター奏者岸本みゆうのホームページ。
オカリーナ、クラリネット、サクソフォン、フォーク・ギター、エレキ・ギター、初心者向けギターなど。

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