2ちゃんねるオカルト板「心霊ちょっといい話」のまとめwiki

212 本当にあった怖い名無し 2009/09/26(土) 09:29:25
以前、ここで戦死したお兄さんに守られているAさんの話を
書かせてもらった福祉委員の者です。
たくさんの良いお話の中に埋もれて覚えてもらえているとは思えないので(汗)
ちょっと簡単に書きますと、近所の高齢のAさんが肺炎を起こして倒れていた時に
私の夢の中にAさんのお兄さんらしき方が現れて知らせてくれ、
その方の顔が私に似ているという話でした。
またちょっと不思議なことがあったので書かせてください。

先日、私たちの地域でも敬老会が開催されました。
もちろん、Aさんもお元気に出席してくださいました。
私は来賓受付の担当として、市や地域のお偉方の案内をしていたので、
Aさんが遠くからにこやかに手を振っておられるのに応えただけで
ゆっくりお話は出来ませんでした。

受付が始まってすぐ、首にぶら下げる名札を忘れてきたことに気づきました。
慌てて家に電話をかけて、出てきた息子に持ってきてほしいと頼みました。
会場の小学校までは自転車で5分もかからない距離なので、名札はすぐに届きました。
息子は今中学生なのですが、小学生の頃に担任してもらってた先生が、その日余興に
出演してくれる3年生の担任ということで引率してこられてたのにお会いし、
「背が伸びた」と成長を喜んでくださって、しばらく入口近くで話し込んでいたようでした。
そこにたまたま通りかかったBさんという80代の男性の方が息子に声をかけてこられました。
もしかして○○という名前ではあるまいか、もしくはお母さん(私ですね)の旧姓か、
親戚にそういう苗字の人はいないか、というような内容のことを聞かれたそうです。
Bさんのお知り合いにとてもよく似ていると・・・。

その場に私が一緒に居たならすぐにピンときたと思うのですが、
来賓の方々がどんどんやってこられてバタバタしていたため、
名札を受け取ってすぐに受付の方に戻ってしまっていたのです。
私の息子ですから私に似ていて当然で、もしかしたら男の子で年も私より近い息子の方が
Aさんのお兄さんに似ているのかもしれません。
結局、息子は自分には分からないが、母親が来賓受付に居るから聞いてほしいと言い
Bさんもとりあえず席につかれました。

私も一応、肩書きは福祉委員会の役員ですが、書記なので主に後援班なんです。
名簿、レジメ、議事録、ポスター、プログラムといった全ての書類を1人で作っているので、
それ以外のことは民生委員さんを含めた他の役員さんたちが切り盛りされ、
私は高齢者の方と直に接することは実は少ないんです。
大きな行事や、何回か給食会のお手伝いに行くぐらいで、ひとりひとりの高齢者の方を
把握しているわけではなく、Bさんのこともそれまで存じ上げていませんでした。
Aさんとの出会いは、本当にたまたま通りかかったからという偶然の産物なのです。

まずは式典が終わり、余興が始まるまでの休憩時間にBさんが受付まで来られたのですが、
私はその時、裏方の仕事がいろいろあって席を外していました。
もう1度あった休憩のときもBさんは訪ねてくださいましたが、やはりその時も
私は別のところで仕事をしていました。
余興が終わり、しめの挨拶が終わらないうちに、片付けの際のお茶や軍手の用意をするために
会場である体育館を出ました。
床に敷いたシートや椅子を片付ける力仕事の前に着替えもしたかったのです。

入口を出て隣接の公民館に向かって走り出したとき、誰もいなかったはずの渡り廊下で
誰かに呼び止められました。
「すみません、ちょっと受付までお戻り下さい」
反射的に「はーい」と返事して振り返ると、ほんの一瞬、軍服のお兄さんが立っているのを
見た気がしました。
見間違えかもしれないと、自信が持てないぐらい一瞬です。
声も、もしかすると会場内の拍手の音に紛れた空耳かもしれません。
それでも、何となく戻ってみました。
続々と参加された高齢者の方が帰られる中を逆行して受付に行くと、
Bさんがおられたのです。
「やぁ、やっと会えました」と笑っておられる顔にこちらは見覚えありません。
そこで漸く息子に会われたときのことからお話を聞くことが出来ました。

私は慌ててAさんを探しました。
民生委員さんに聞くと、今しがた帰られたところだということだったので、
まだ追いつけるかも、と走りかけた時、出口に向かう群れから遡ってこられる
Aさんの姿が見えたのです。
「あなたに挨拶するのを忘れてたわ。そこまで行って帰ってきたのよ」と
のんびりおっしゃるAさんの手を引いて、待ってもらっていたBさんに引き合わせました。

その後、再び公民館に向かったので触りの部分しか聞けませんでしたが、
Bさんのおっしゃっていた○○というのはやはりAさんの旧姓でした。
Aさんのお兄さんとBさんは同じ隊に所属していた戦友だそうです。
年齢も同じで、親しくされていたということでした。
出撃の際、Bさんの飛行機が不具合で飛べず、そのまま出撃されたお兄さんたちは
全員戦死されたということでした。
お兄さんは終戦の年に19歳で亡くなられたそうです。
Bさんはずっと負い目を感じながら生きてこられたと、涙を拭いておられました。
お兄さんは、あの時代には珍しく手足が長いひょろっとした体型だったそうで、
今時の体型の息子が一瞬お兄さんに見えて本当に驚いたとおっしゃっていました。
それと、息子には額に薄い縫い傷があるのですが、お兄さんにも同じ場所に傷が
あったということで、生まれ変わりなのは私ではなく息子なのかもしれないと
2人で盛り上がっておられました。
もっとも、息子の傷は野球の試合中、サードでフライを追いかけていて相手のベンチに
突っ込んで出来たものです。
生まれつきの痣やホクロならもう少し信憑性があったかもしれないなあ・・・と
私は思ったのですが(笑)。

それにしても、何かが導いてくれたという思いはあります。
名札を忘れていなければ息子は来ていませんでした。
息子が来ていなければBさんは何も気づかないまま帰られていたでしょう。
渡り廊下で誰かが呼んでくれなければ、バタバタと忙しくしていた私がBさんと
お会いすることはありませんでした。
帰りかけていたAさんが戻ってこられたのも、もしかしたらお兄さんが引きとめて
くれたんじゃないかと、ちょっと思っています。
そのお話をする時間がなかったので、次にお会いできる時にゆっくり話したいと思っています。
216 本当にあった怖い名無し 2009/09/26(土) 09:53:00
連投規制に引っかかってしまいました。
携帯から書き込むのは初めてで息子に手伝ってもらったりで
手間がかかってごめんなさい。

あと、○/○と打つのも忘れています。
読みにくくて重ね重ねごめんなさい。

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