福岡を拠点とした表現活動全般にわたるコミュニティーです。



花田コウキ

福岡県出身
「天籟堂(てんらいどう)」主人
高校から大学にかけて数多くのイヴェント、ライブに参加。
大学卒業後「ミューズ音学院」に入学、演奏法と基礎理論を学ぶ。
ここ10年くらいの主な活動
1997年 舞踏ライブ「原郷」 音楽監督
1999年、2000年 久留米アートラリー参加
2000年 福島泰樹 短歌絶叫「ダンス・デカダン」 音楽
2003年 福岡アジア美術館 「第5回アーティスト・イン・レジデンスの成果展 パート2」 ハヌラ・ホセア氏とコラボレーション
with 山口千春 「prima materia」 2001〜2002年 他
with田崎ちょこ 「デュオ・ショコラ」 2003年〜2005年 他
with峰尾かおり 「耳と指」2007年 他
グループ:「plug in」、「Trio Grosso」、「monstermovie」、
「オンゴロ」他



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その31
をどり・まひ

 「役者の技量は、舞台で両足の指を反らしているか否か、という点にある。足の指先の踏む用意をしているか否か」と折口信夫がどこかで語っていたが、これは本当だ。私も踊り手と舞台で共演する際、専ら踊り手の足先を見ている。しっかりした踊り手は足の指ですべてを伝えてくれる。そして、足の指先に見えるものは?

 「をどる(踊る)」とは元々、上へ向けて飛び上がることを繰り返す動作を言う。跳躍を続けると人は次第にトランス状態に入っていく。歌舞伎芝居の祖「出雲阿国(いずものおくに)」の「かぶき踊り」も宗教的恍惚感に包まれながら激しく跳躍する動きであったろう。「かぶく」は乱暴狼藉するという意味であるから、阿国を中心とした「かぶき踊り」の集団の姿が目に浮かぶではないか。同じく「念仏踊り」も弥陀の称号を唱えながらの狂熱的ダンス、跳躍が始まりだったろう。この激しさ、強力なエネルギーを歴史の教科書から読み取るのは難しい。要注意だ。

 さて、飛び上がる為には強く地面を踏み、反動をつけなければならない。踊りのために地面を踏む行為を「力足(ちからあし)を踏む」という。力足を踏むと、大地の下に潜んでいる土地の霊が呼び醒まされる。話しは逸れるが、芝居の重要な場面で役者が強く舞台を踏み大きな音を立てるが、これは舞台の下に眠っている霊を呼び醒ます行為だ。この音によって召喚された大地の霊の力によって、舞台は一挙に神聖な空間へと変容していく。この変容の有様を明治以前の観客は楽しみ、これが芝居の醍醐味だった。話を戻そう。力足を踏むことで霊は呼ばれるが、その霊が障りをもたらす場合もある(霊とは圧倒的な生命力だ。霊の力に人の善悪の判断基準はそのまま当てはまらない)。この障りガミが現れようとする時は、同じく力足を踏みカミを抑えつけた。土地の神=カミを抑えつける力足を「反閇(へんばい)」という。同じ大地を踏む行為でも「をどり」は力を得て上昇していく「たまふり」であり、「反閇(へんばい)」は障りなす地霊を踏みしめる「たましずめ」であろう。
 
 「まひ(舞)」は空間を移ろい行く動きだ。「舞い」は「まわる」動作を主としているが、必ずしも「まわる」ことは大事ではない。たとえば「幸若舞(かうわかまひ)」は直線的な歩行のみの「舞い」だ。思うに、「まひ」とは「めぐる」ことであろう。徘徊といっても良い。「こちら」から「あちら」へ、土地から土地へ巡り巡ることが「まひ」である。

 この移ろい行くもの、「遊行」していくものに古来より人々は「神聖」を感じていた。折口の「まれびと」も「車寅次郎」も「天皇の巡幸」も「一遍上人」も「まひ」とつながる私たちの「神聖」なるもののとらえかたであろう。この「神聖」とは?「神聖」とは不動のものではない。硬く屹立するものではない。「神聖」は一箇所にとどまらず、やってきては去っていく。「神聖」は空気のように循環し、川の流れのように流転しながら常に新鮮である。舞い手は舞台の空間を移ろい巡ることにより世界の地の果てまで遊行する。舞うことによって世界はかき回され、その移ろい行く軌跡から新たな組み合わせの世界が赤子のように生まれ出る。この「うぶすな」の力が「まひ」の本質であろう。「舞踏手」の足先から、指先から生命樹の芽が吹き出てくるようなイメージ。今夜はここまで。

2004年8月10日 「大耳だより」第44号掲載


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その32
もやもやする日本の文字

 私たちが日常使っている文字は「漢字」と「ひらがな」と「カタカナ」だ。英語やフランス語など外来語も使うが、日本語を英語で表記することはほとんど無い。日本語が難解だといわれるのは、三種の文字が文章に混在していることが理由のひとつだが、漢字はともかく「ひらがな」と「カタカナ」の使い分けは日常的には「何となく」それぞれの場合に応じて行っており、あまり意識化していないが、使い間違うと何となく「もやもや」してくる。この「もやもや」を肴に今夜は「ひらがな」と「カタカナ」にまつわる放談をひとつ。

 「ひらがな」と「カタカナ」はそれぞれが独立して発生したのは誰でも知っていると思うが、発生の経緯を簡単にまとめれば以下のとおりだろう。

 「ひらがな」は万葉仮名から発生している。「万葉仮名」は「話し言葉」としての日本語を「書き言葉」として表すにはどうしたらよいかという実験、試行錯誤から作られた文字だ。漢字を上手に日本語に「当て字」している。例えば「春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香具山」は「春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天の香具山」となる。この「書き言葉」が楷書から行書、草書と「くずされ」て書かれていくうちに「日本的変容」をとげ日本語を表記するための文字、「平仮名」が成立していった。「平仮名」は公的文書の漢字とことなり私文書(=物語)の世界で女性を中心に広まっていった。

 「カタカナ」は仏教の経典に関係している。漢字の経典を「日本語」で読んでいく場合、そのままの順序では読めないので、読み下すための補助的な記号や符号をつけていった。この記号や符号は漢字を略字化して使ったが、これらの補助記号から「片仮名」が発生した。従って片仮名は主に仏教寺院の中で発達を遂げていく。

 ・・・とここまでが学校で寝ながら聞いていた一般常識の話。「もやもや」はあまり晴れてこない。では、一歩踏み出そう。

 法学部の学生ならお分かりと思うが、法令の条文は読みにくい。特にカタカナ表記された文体は目で追っていっても言葉としての理解が非常に困難だ。法律関係で言えば、以前は裁判のとき被告、原告の言葉を記録する際は「漢字+片仮名」が使われていた。この書面を「宣命書き」という。他にも被告の白状を書面にした「白状記」も片仮名が使われていた。

 これらのルーツをたどれば「起請文」(神に何かを誓う)、告文、願文(神に願い事をする)となり、これらの表記はすべて「片仮名」だった。これらに共通するのは神や仏が人間の行為に関係していることと、なおかつ内容が「口」で語られたことを文字にしていることであろう。他に古文書で「片仮名」が使われている場合は、誰かが言ったことを「聞いて」そのまま文字にした場合、出来事が起きてすぐにその内容を文字にした場合(夢日記も含まれる)などで、口語をそのまま書き写すから「方言」もそのまま記されていたりする。落書(らくしょ=イタズラ書き)も「カタカナ」だ。それに比べ「ひらがな」使いの文章はどの地域、どの時代の文書でも時代的な言い回しを考慮すれば、あまり苦労せずに理解できる。

 つまり、「ひらがな」は「書くための文字」であり日常性があり標準的な世界を基本としているのに対して「カタカナ」は「語りを写すための文字、詠み文字」であり非日常的な世界と接触する際に使われたのではないか?私たちの周りで外来語、新造語に「カタカナ」が使われるケースが多いのはその言葉が「新しくこの世界に入ってきた言葉」であり、「非日常性」を表明しているからだが、「カタカナ」を見ると「無意識に口に出し、詠んでしまう」ことにより、日本語の大きな特徴(=語り言葉や歌い言葉のつながりかたによってイメージやメッセージを組み立てていく言葉)であるイメージの訴求力を言葉に与えようとしているからであろう。

 ・・・と、どうだろう。「書き言葉」と「詠み言葉」の違いで少し「もやもや」は晴れただろうか?しかし、ならばなぜ、明治に入り江戸までの「かな文字」から「カタカナ文字」に標準が切り替わったのか?また、戦後「かな文字」が採用されたのはどうしてか?等々問題続出だが紙面が尽きた。今夜はここまで。

2004年10月1日 「大耳だより」第45号掲載


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その33
観音力

 思うに、十九世紀より始まった資本主義による世界の大変革は、「地球」にとって次なるステージへの覚醒に必要なことだったのだろう。資本主義はその根底に全てのものに対する「挑発」という精神を宿している、といったのはハイデッガーだったか。それまで安定的に存在していた「自然」の仕組みを「挑発」し「変容」させることで、自然に「内在するチカラ」を引き出してくるシステムである資本主義は、二十世紀を通じて全世界を席巻した。資本主義の原理は「原子力」にいたってその本質を明らかにしたといえよう。この資本主義から産み出された「共産主義」も「ファシズム」も「挑発する行為」を根底にすえている点で、本質的には資本主義となんら変わりはない。

 「挑発する行為」は「テクノロジー」という言葉で表現され、わたしたちは日常的な環境の中であまりにもこの言葉に慣れ親しみ、もはや「異質」とも感じていないが、実はこの「テクノロジー」というのはかなりアブノーマルな感覚だ。「テクノロジー」は安定した世界を「挑発」し「変容」させ「内在するチカラ」を引き出す覚醒剤だ。このドラッグは別名を「スピード」ともいう。ともかく現代社会の「加速する感覚―刺激」への嗜好は強烈で、「速度」は今やわたしたちのエクスタシーに結びついている。しかし、なぜ、わたしたちはこれほど「変化」と「はやさ」を求めているのだろうか?それは、わたしたちという存在を通して自己表現をおこなう「地球」という「有機生命体」が「急速なる変容」を欲求しているからなのである。

 「地球」は成長し続ける生命体だ。五十億年も生き続けているにもかかわらず熱力学第二法則から予測される平衡状態へ、静寂の世界へ移ろうともせず、地表に酸素と窒素の絶妙の混合物からなる大気圏をつくりあげ、海洋を組織、運営し、水系の循環機能を維持し、適度の温度と湿度によって地表面を徘徊する脆弱な生物の命を保護し、膨大な種類の生命を溢れさせるこの地球という生命体。この巨大な生命組織が「テクノロジー」というシステムを使い、おのれの「意識」の「変容」を試みようとしているのが、今、わたしたちの生きている世界だ。この生命体がおのれ自身の姿を見たのはつい最近、1966年だ。人工衛星が宇宙から送ってきた画像を眺めるわたしたちの眼を通して、「地球」は初めて自分自身を認識した。そして、突然、「インターネット」が現われ、わずか20年程で世界はネットワークされた。この巨大な生命体は「インターネット」という神経回路を使って、「人類」という情報端末が蓄えていた「情報」というエネルギーを全体化して引き出す作業を「恐るべきスピード」でもって続けている。その姿はまるで永い間の眠りから覚めたかのようだ。

 シャーマンがトランス状態になるとき、彼の意識は「速度の変化」を感じている。シャーマンは魂の世界へ「動物のようにすばやくなった意識」に変容して飛込んでいき、その世界から宝物を持って現実世界へ返ってくる。

 意識の変容を試みる「地球」はシャーマンになろうとしているのか?

 わたしたちの脳髄のなかに半ば埋もれている「松果体」に神経回路を通して脳内電流が流入すると、目の前に光がリング状で現われ、爆発する。すると、天のそこが抜けたように意識が拡大し、宇宙を形成している「あるもの」とつながり、時間・空間を超えた「たましひの世界」へわたしたちの実在が溶け込んでいく。

 地球はインターネット神経回路を通じ、情報というエネルギーを自らの脳髄の「松果体」へスパークさせ、「あるもの」とつながろうとしているのか?

 いずれにしても、わたしたちをとりまく世界は今や「尋常」でないことは確からしい。

 「地球」の覚醒が訪れるのか?

 「地球」の覚醒?もし覚醒がくるならその世界に飛込むまでだ。

 幸いわたしたちには進化の過程でその時に備えて準備がされているようだ。それは、実に97%が未使用の「脳」であり、「イマジネーションするチカラ」だ。
わたしたちは「こころ」と「たましひ」で時空を超えた全宇宙につながっている。このつながっているチカラを古来より「観音力」(カンノンリキ)という。この「観音力」を信じ、きたるべき「覚醒の時代」、やがて訪れる「ラストウェーブ」の波頭をサーフィンして行こうではないか?

 さて、観音力も出たことだし、観音の三十三世界に到達した今回を持って天籟堂の夜話もめでたく終了ということにしよう。

2005年1月1日 「大耳だより」第46号掲載

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ところで私は、今日4日からasi-paraで写真展をやります。
主にミュージシャンやダンサー、パフォーマーの人達を
題材にした写真展です、ぜひご来場下さい。

日時/1月4日〜31日・12:00〜20:00
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場所/アートエリアasi-para
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