【詩の置き場:目次】
【下記:拙詩を投稿順に記載してあります】
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最終更新:oxooo 2011年05月14日(土) 14:35:09
大切なあなたに
地に蠢く微生物は遍く清掃即腐植土
爪は身を助け欠け擦り減り地に帰る
髪は伸び身を輝かせて滅び地に帰る
身は普く変遷して滅し地に帰る約束
微生物は微生物の約束を果して生き
爪は爪の儘に生き髪は髪の儘に生く
身は身の約に生き滅して楽を須く得
爪髪身黴菌有機物無機物尽溶融混解
あなたとわたし自他彼此即和合極楽
憎悪怨恨嫌悉皆溶合者痛苦悩乱極限
嗚咽慟哭之衆を慰撫して過せる而已
諸行無常是生滅法生滅滅已寂滅為楽
嗚呼自他彼此の差異なき者腐植土哉
最終更新:oxooo 2010年09月23日(木) 19:28:00
あなたは天才
あなたは天才です、
名声を得て満足ですか、
そんなことを呟いてみる、
天才と騒がれたいかも知れない、
だけどそれは
天才でないからそう思うんだなあ、
人は大概、
自分でない自分になりたいもの、
自分を離れるのは厭だけど、
自分の手の届く範囲へ出掛けたい、
ほど良い長さの、
リード線に繋がれていて、
安全圏にいたいもの、
天才って不安定な存在、
リード線に繋がれていない犬、
どこへでも行けるみたいで、
危難に陥るか知れないし、
罠に嵌まるかも分からない、
不自由なのは誰とも同じ、
ま!それが愉しいと言えば、
愉しいのだけど、
勇気の一歩で、
あなたの天才の始まりだよね、
最終更新:oxooo 2010年09月12日(日) 21:23:04
♪
詩人・森川雅美氏が開設なさってらっしゃるHPを拝見しました、
そこに『わたしがはじめて現代詩を意識した一編』がありました、
執筆者は鈴木啓之・森川雅美氏・詩仙かをり氏・廿楽順治氏です、
それを読んだ私の、これは“想い”です。
中学生のころ、彼らは既に、言葉にこだわりを持っていたらしい。
言葉にこだわりを持てば当然、気になる文との出合いにも気づく、
同じ教科書を読んでいても気づく人、気づかない人、色々ですが、
どんな価値観を持つも個人の自由という感覚が広まっている日本。
関心を持つ分野は、理系・文系・商系・研究…人それぞれですが、
職業にも、スポ−ツ・研究・農業・工業・産業・芸術色々あって、
どんな価値観を持つも自由という、一往、もっともらしい屁理屈、
これは、自由の意味を知らない日本人が自ら掘った墓穴でしょう。
今、ほとんどの日本人の関心は、お金に集中しているようですが、
そんな人は仕事を楽しまず、札束を数えながらほくそ笑んでいる、
人間を手段にしている自称・文化人もゴロゴロしていて、彼らは、
コミュニケーションさえ金に換金して、ほくそ笑んでいるのかな。
ホンモノの出番、真打ち登場、即ち、世界の終末が近づいている、
あらゆる業種にホンモノが出てきて、それぞれの立場で立ち上る、
言葉にこだわりを持つホンモノは、思想界から世界をリードする、
詩人はそのために心を養い、言葉をたくわえ、詩心を護ってきた。
詩人が用いこなす時、言論は人々を包みこむ翼になれるだろうし、
言い逃れする卑怯な屁理屈などは、叩き潰す強力なプレス機だし、
モノ分りの悪い人を易しく教えさとす温かい言霊となるだろうし、
なによりも、自分自身の羅針盤となり、己が身を護る鎧兜なのだ。
詩を口ずさむ人の誰もが、己の知る世界観を己の器量で詠み謳う、
詩が巧いとか下手とか、詩人はそんな詰らないことに捉われない、
技巧に走り詩心を失くした言葉に、温もりはなく、詩にならない、
何だか知らないけど、そんなことを教えてもらった気がしている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
下記『わたしがはじめて現代詩を意識した一編』からの引用です。
森川雅美氏の許しをいただきましたので、ここに公開いたします。
鈴木啓之氏
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」
国語の副読本と言うのだろうか、資料集の中にこの詩が載っていた。中学生だったのか高校生だったのかはまるで覚えていない。(略)しかし、この詩のことだけは妙なぐらいにはっきりと覚えている。(略)韃靼海峡が具体的にどこにあるのかは知らないが寒々とした「海峡」を風に揉まれながら一匹の蝶が必死にもがきながら飛んでいる様が当時の私には随分と新鮮だった。(略)「必死にもがいて」いるかどうか何てどうでもいいのだ。(略)私が詩集を初めて買ったのも中学三年ぐらいの頃だったと思う。古書店だったような気がする。どこかの文庫で「中原中也詩集」を買った。一緒にいた友人は私が詩集をレジに差し出したことに随分と驚き、しかもやたらと大声で笑った。(略)生真面目なんだ。私は。
( http://shurandx.web.fc2.com/gendaishi-suzuki.html )
森川雅美氏
「さやうなら一万年」(作・草野心平)
いい詩である。非常に大きな世界を感じさせる。(略)心平さんの「蛙の詩」というと、「秋の夜の会話」や「誕生祭」など、日本の詩の歴史に残る傑作も少なくなく、それらと比べるとこの詩は、やや劣ることは否定できない。しかし、私にとっては特別な意味がある。まさに私が始めて意識した現代詩なのだ。(略)掲載されていたのは、中学校の国語の教科書。私は本をほとんど読まない少年だったが、なぜか国語の教科書は好きだった。その中でも、この「さやうなら一万年」という、決して長くない一篇の詩は、説明のできない強い衝撃だった。まず、他に掲載されていた近代詩と比べて、言葉の動きが自由に思えた。(略)小さな蛙が宇宙や一万年に、毅然と向き合っていることに感動した。(略)私は決して幸福な幼少年期を過ごしたわけではない。(略)家にいても学校にいても居場所がなく、現実は遺棄すべきもの以外の何者でもなかった。そんな日々の中で、この詩に出会ったのだ。(略)今にして思えば、詩を読んで感じたのは、私が感じている世界をさらに包み込む、大きな世界だったのだろう。そのような世界を感じることが、私にとっていかに大きな救いであったか。今の苦痛がずっと続くのではないということも、おぼろに思ったろう。(略)私は詩によってすでに救われていたのだ。(略)私の詩が誰か一人にでも、そのような力を与えられればと願っている。
( http://shurandx.web.fc2.com/sikashu/sikashu03.html )
詩仙かをり氏
「銀水録」(作・小川三郎)
幼い頃から美術が好きで、本質を捉えることをささやかな資質としているわたし(略)哲学とはどんなものか、興味津々で眼を輝かせている、計三五〇名の学生(略)九十分の授業における、たった一分の朗読。そのわずかな時間の流れのうちに、混沌としていた思考空間が沈黙の一点に集中する、その瞬間を、わたしは自分の身体を通してはっきりと感得した。その一点は、学生とわたしとが、一篇の詩を介して宇宙の中心で出会う、奇跡的な瞬間であった。 (略)記憶、他者、言語、植物といった、哲学の基本的な問いのほぼすべてを、概念においてではなく、感性において、一瞬のうちに刻み込むことを可能にしている。 (略)絵画も哲学も詩も、物理的には何の役にもたたない。(略)世界と他者と、無限に、永遠に、ダイレクトに繋がってゆける。そこに、社会性や個人史から解き放たれた真の「わたくし」が、確かに存在する。(略)
( http://shurandx.web.fc2.com/sikashu/sikashu02.html )
廿楽順治氏
「河童の墓」(作・宗左近)
近代詩と現代詩なんぞという区分はどうでもよい。問題は詩なのだ、という考えはよく分かる。まあ、理論的に言えばそうなのだろう(略)確か中学三年生の頃だ。早熟な同級生に中央公論社の『日本の詩歌 現代詩集』というアンソロジーを紹介された。(略)少し古いこともあって、(略)今の現代詩というイメージとは少し違う編集になっていた。 「河童の墓」が作品として、これが他のものを凌ぐようなものかどうかは分からない。(略)自分にとっては特別な一編だ。トラウマと言い換えてもよいかもしれない。文学少年でなかった自分にとって、「詩とはおもしろい言葉のことだ」という認識は、敷居をまたぐ上でとても重要だったと思う。しかしこの後、詩集『炎える母』を読んでしまう。「戦後詩」とやらの重い扉もまた開いてしまったのだった。
( http://shurandx.web.fc2.com/sikashu/sikashu01.html )
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詩人・森川雅美氏が開設なさってらっしゃるHPを拝見しました、
そこに『わたしがはじめて現代詩を意識した一編』がありました、
執筆者は鈴木啓之・森川雅美氏・詩仙かをり氏・廿楽順治氏です、
それを読んだ私の、これは“想い”です。
中学生のころ、彼らは既に、言葉にこだわりを持っていたらしい。
言葉にこだわりを持てば当然、気になる文との出合いにも気づく、
同じ教科書を読んでいても気づく人、気づかない人、色々ですが、
どんな価値観を持つも個人の自由という感覚が広まっている日本。
関心を持つ分野は、理系・文系・商系・研究…人それぞれですが、
職業にも、スポ−ツ・研究・農業・工業・産業・芸術色々あって、
どんな価値観を持つも自由という、一往、もっともらしい屁理屈、
これは、自由の意味を知らない日本人が自ら掘った墓穴でしょう。
今、ほとんどの日本人の関心は、お金に集中しているようですが、
そんな人は仕事を楽しまず、札束を数えながらほくそ笑んでいる、
人間を手段にしている自称・文化人もゴロゴロしていて、彼らは、
コミュニケーションさえ金に換金して、ほくそ笑んでいるのかな。
ホンモノの出番、真打ち登場、即ち、世界の終末が近づいている、
あらゆる業種にホンモノが出てきて、それぞれの立場で立ち上る、
言葉にこだわりを持つホンモノは、思想界から世界をリードする、
詩人はそのために心を養い、言葉をたくわえ、詩心を護ってきた。
詩人が用いこなす時、言論は人々を包みこむ翼になれるだろうし、
言い逃れする卑怯な屁理屈などは、叩き潰す強力なプレス機だし、
モノ分りの悪い人を易しく教えさとす温かい言霊となるだろうし、
なによりも、自分自身の羅針盤となり、己が身を護る鎧兜なのだ。
詩を口ずさむ人の誰もが、己の知る世界観を己の器量で詠み謳う、
詩が巧いとか下手とか、詩人はそんな詰らないことに捉われない、
技巧に走り詩心を失くした言葉に、温もりはなく、詩にならない、
何だか知らないけど、そんなことを教えてもらった気がしている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
下記『わたしがはじめて現代詩を意識した一編』からの引用です。
森川雅美氏の許しをいただきましたので、ここに公開いたします。
鈴木啓之氏
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」
国語の副読本と言うのだろうか、資料集の中にこの詩が載っていた。中学生だったのか高校生だったのかはまるで覚えていない。(略)しかし、この詩のことだけは妙なぐらいにはっきりと覚えている。(略)韃靼海峡が具体的にどこにあるのかは知らないが寒々とした「海峡」を風に揉まれながら一匹の蝶が必死にもがきながら飛んでいる様が当時の私には随分と新鮮だった。(略)「必死にもがいて」いるかどうか何てどうでもいいのだ。(略)私が詩集を初めて買ったのも中学三年ぐらいの頃だったと思う。古書店だったような気がする。どこかの文庫で「中原中也詩集」を買った。一緒にいた友人は私が詩集をレジに差し出したことに随分と驚き、しかもやたらと大声で笑った。(略)生真面目なんだ。私は。
( http://shurandx.web.fc2.com/gendaishi-suzuki.html )
森川雅美氏
「さやうなら一万年」(作・草野心平)
いい詩である。非常に大きな世界を感じさせる。(略)心平さんの「蛙の詩」というと、「秋の夜の会話」や「誕生祭」など、日本の詩の歴史に残る傑作も少なくなく、それらと比べるとこの詩は、やや劣ることは否定できない。しかし、私にとっては特別な意味がある。まさに私が始めて意識した現代詩なのだ。(略)掲載されていたのは、中学校の国語の教科書。私は本をほとんど読まない少年だったが、なぜか国語の教科書は好きだった。その中でも、この「さやうなら一万年」という、決して長くない一篇の詩は、説明のできない強い衝撃だった。まず、他に掲載されていた近代詩と比べて、言葉の動きが自由に思えた。(略)小さな蛙が宇宙や一万年に、毅然と向き合っていることに感動した。(略)私は決して幸福な幼少年期を過ごしたわけではない。(略)家にいても学校にいても居場所がなく、現実は遺棄すべきもの以外の何者でもなかった。そんな日々の中で、この詩に出会ったのだ。(略)今にして思えば、詩を読んで感じたのは、私が感じている世界をさらに包み込む、大きな世界だったのだろう。そのような世界を感じることが、私にとっていかに大きな救いであったか。今の苦痛がずっと続くのではないということも、おぼろに思ったろう。(略)私は詩によってすでに救われていたのだ。(略)私の詩が誰か一人にでも、そのような力を与えられればと願っている。
( http://shurandx.web.fc2.com/sikashu/sikashu03.html )
詩仙かをり氏
「銀水録」(作・小川三郎)
幼い頃から美術が好きで、本質を捉えることをささやかな資質としているわたし(略)哲学とはどんなものか、興味津々で眼を輝かせている、計三五〇名の学生(略)九十分の授業における、たった一分の朗読。そのわずかな時間の流れのうちに、混沌としていた思考空間が沈黙の一点に集中する、その瞬間を、わたしは自分の身体を通してはっきりと感得した。その一点は、学生とわたしとが、一篇の詩を介して宇宙の中心で出会う、奇跡的な瞬間であった。 (略)記憶、他者、言語、植物といった、哲学の基本的な問いのほぼすべてを、概念においてではなく、感性において、一瞬のうちに刻み込むことを可能にしている。 (略)絵画も哲学も詩も、物理的には何の役にもたたない。(略)世界と他者と、無限に、永遠に、ダイレクトに繋がってゆける。そこに、社会性や個人史から解き放たれた真の「わたくし」が、確かに存在する。(略)
( http://shurandx.web.fc2.com/sikashu/sikashu02.html )
廿楽順治氏
「河童の墓」(作・宗左近)
近代詩と現代詩なんぞという区分はどうでもよい。問題は詩なのだ、という考えはよく分かる。まあ、理論的に言えばそうなのだろう(略)確か中学三年生の頃だ。早熟な同級生に中央公論社の『日本の詩歌 現代詩集』というアンソロジーを紹介された。(略)少し古いこともあって、(略)今の現代詩というイメージとは少し違う編集になっていた。 「河童の墓」が作品として、これが他のものを凌ぐようなものかどうかは分からない。(略)自分にとっては特別な一編だ。トラウマと言い換えてもよいかもしれない。文学少年でなかった自分にとって、「詩とはおもしろい言葉のことだ」という認識は、敷居をまたぐ上でとても重要だったと思う。しかしこの後、詩集『炎える母』を読んでしまう。「戦後詩」とやらの重い扉もまた開いてしまったのだった。
( http://shurandx.web.fc2.com/sikashu/sikashu01.html )
最終更新:oxooo 2011年05月01日(日) 17:06:59
この小さな星で
なにか特別な体験というのではありません
じっさい、生きてること自体が不思議です
めぐり合わせで、地球に暮らしてる私たち
人との出逢いも約束されてたことなんです
この事実…よその星の誰が信じるでしょう
この素敵な日々は無かったことにならない
誰もがお気に入りの小さな星の上の出来事
あなたにとっても不思議な幸せでしょうか
最終更新:oxooo 2010年08月30日(月) 20:39:00
送り盆の未明、幼い頃の夢を見て、朝早く起きました。
お盆の習慣が段々と廃れるのは流れでしょうか、
そういう私も、特別な何もしませんけど、
暑かった八月ももうすぐ終わり、だけどまだまだ暑いです、
姉とちい姉ぇは、とっても仲良しでした、
姉は気ぃが強うて、ちい姉ぇはやさしくて、、
二人を比較したらのお話し…念のため、
やさしさでは姉も、誰にも引けを取りません、
つまり、ちい姉ぇの優しさは格別やったのです。
わたしを気遣って、ちい姉ぇがこの盆に訪ねてくれました、
けど、いつから来とらしたか、迂闊にも、気付かんかって、
ちい姉ぇちゃん、持て成しせんと帰してしもて、ごめんなさい。
春、桜が真っ盛りのころ、ちい姉ぇは、海で亡くならはってんけど、
母が私に気を取られてる隙に、眠るように息を引き取らはって、
それまで、普通に話出来てたのに、まさか死ぬなんて、
そやのに今もこうして、私は生きている、
ちい姉ぇのおかげで、生きてるんですけど、
母のためには、ちい姉ぇに生きて欲しかった…。
以来、姉が私の子守を引き受けてくれはって、
幼稚園の遠足は、母の代りを姉が務めてくれはって、
その遠足でちぃ姉ぇに再会した記憶があって、
あれは春昼の暖かな砂浜、打寄せる波は穏やかで、
おとなしい子は波打ち際で遊んでた、そのとき、
喚声の『ワアッ!』って、あがって、
みんな、急いで陸に駆けあがったんは分かった。
海はいっこうに引かんと、膝まで瞬く間にきて、
足にしっかり纏わって、見つめられてる気のして、
それで連れて行かれる気のして、悲しくなって泣いたと。
姉が跳びこんでしっかり捉まえてくれはって、
そのとき海は、もう、太もものとこまで来てらして、
姉の手にしがみ付いて泣いてた。
そんな姉は強うて、頼もしゅうて、大好き。
姉は海面をじっと見つめて、海も動かんようになって、
姉と海はそのまま互に見つめ合ってて、
なつかしいような、嬉しいような、そんな空気に満ちてて、
やがて、足に絡んでた手をそぉっと放して、
海はしずかに引いていってんよ。
悪さする気なんか、海は、ちっともなかったし、
ぜったい、あれは、ちぃ姉ぇちゃんに違いない、
無事に生きてる姿を知って、会いに来てくれはったんや、
姉に守ってもろうてるのを知って、納得したんやな、
仲良しの姉にも会えて、きっと満足したと思う。
そのときのこと、姉の記憶には残ってないようやし、
それで今は、私だけの思い出になってしもうてる。
ちい姉ぇの命を使わしてもろてるけど、
気の好いちい姉ぇは、返して欲しいとも言わんと、
そのうえ、いつも、護ってくれてはる、
ちい姉ぇの綺麗な命、大切に使わなあかんと思う、
いつか返すときまで、大切に使わなあかんと思う。
母も姉も家族も、みんなで支えてくれてはる、
みんなの思いは、心でしっかり受けとめなならん、
ちぃ姉ぇが残してくれた置き土産、
大好きやよ、ちぃ姉ちゃん。
(別ブログに載せた記事、少し変えて再掲しました)
最終更新:oxooo 2011年05月01日(日) 17:09:13
生きてる 懸命に生きてる
だけど懸命に生きてるだけ
どっちを向いて歩いてるか
そんなこと見当もつかない
計画を立てると言ったって
それは過去の夢の屋上屋か
明日が昨日のくり返しなら
懸命に生きる意味は少ない
新しい明日を夢見るゆえに
希望も勇気も必要となろう
何が起きるか分らないから
どきどき・わくわくもする
昨日に生きるのは退屈する
今日に生きるのは忙しくて
明日に生きるとき夢をみる
不思議な世界に冒険してる
生きてるって、不思議です
人との出逢いも不思議です
不思議なめぐり合わせから
いつも新しい何かが起きる

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