http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/1917/
より抜粋。
玄界灘漁船「第18光洋丸」沈没事件と水産庁取締船「からしま」衝突事件とは?
〜このページは不可解な報道姿勢の続く、玄界灘の2つの事故について〜
2003年7月2日未明、福岡県沖の玄界灘で、ある海難事故が発生しました。貨物船と漁船が衝突した事故です。漁船は大破沈没。乗組員は海に投げ出されました。
テレビでは、NHKを初め民放も各社が第一報を、その日のうちに流しました。パナマ船籍の貨物船「フン・ア・ジュピター」が鳥取県境港市の巻き網漁船「第18光洋丸」と衝突。1名死亡、6名が行方不明、その他重軽傷者多数2年前の「えひめ丸事故」以来の、今年最悪の海難大惨事となりました。
でも皆さんはこの事故を、知っていますか?もしかして、初耳ですか?これほどの海難大惨事であったのに、なぜテレビや新聞ではあまり報道されないのでしょう?行方不明者の捜索中であるにも関わらず、当日はNHK以外は「その他のニュース」程度の非常に小さな扱いでした。翌日の3日昼からは、ほとんどのマスコミから報道は完全に消えてしまいます。いつものマスコミならワイドショーまで総動員してこぞって取り上げる、被害者の証言や家族の怒り、涙、CGや模型を使った原因究明などは、ほとんどなされませんでした。
さらに事故の4日後である7月6日朝、6名の行方不明者を捜索している水産庁の取締船「からしま」が、またも別の貨物船にぶつけられ大破、16名が海に投げ出されました。この海域は「第18光洋丸」の救助海域であり、すぐ仲間の取締船が駆けつけたので幸い全員無事でしたが、「からしま」は大きく傾きました。この事故も、その日の昼にテレビで不可解な報道をされた後、全国放送からは完全に消え去りました。翌7日「からしま」は、船体の半分以上が海につかり、曳航は不可能と判断され、やむなく自沈処理の検討にはいります。
この2つの事故には、マスコミがろくすっぽ伝えないという共通点の他にも、一致する点が驚くほどたくさんあります。衝突してきた船が「韓国の貨物船」であり、そのどちらもが洋上のルールを無視して事故に至ったこと、救助活動を一切行わずに現場海域から逃走(未遂)したこと、さらにどちらの関係者も謝罪や遺憾の意を、全く示していないことです。日本のマスコミが持っている一部の国々に対する異常なまでの「配慮」、「自主規制」。それがこうした「偏向」した報道の姿勢に影を落としてはいないでしょうか?
6名の行方不明者の必死の捜索は地元漁師さんはもちろん、水産高校の練習船までも駆り出され、海上保安庁、水産庁の艦艇も協力、7月7日いっぱいまで続きました。しかし懸命な捜索も空しく7月8日、ついに大幅な規模の縮小を余儀なくされました。船体の半分を水に沈めながら曳航されていた「からしま」も、捜索の縮小の報の直後、後を追うように力尽きて玄界灘に沈没。「からしま」の旧船名は「韓島丸」。海の男たちによって、日韓友好を願ってつけられた名前でした。
地元の漁師さんたちはまだ一縷の望みを掛けて、「生活のための漁」を行いながら、ぎりぎりの捜索を続けています。でもマスコミの報道は、ぷっつりと途切れたままです。 追記:有志の働きかけにより、民主党議員が当局から情報を得て下さいました。6名の行方不明者の捜索は、艦艇160隻以上、航空機18機を動員して行った極めて大規模なものだったそうです。この情報はテレビはもちろん、あらゆるマスコミでほとんどまともに公表されていません。なお第18光洋丸を沈没させ書類送検されていた韓国船の二等航海士は7月23日起訴されたとの報道が、一部新聞とネットニュースのみで小さく流れました。7月27日現在、韓国船会社からの謝罪やお悔みは一切ありません。また16日には、枕崎沖でこの月3度目の韓国船による日本漁船衝突事故(当て逃げ)が、9月19日にも玄界灘で韓国タンカーによる日本漁船衝突事故がまた起きています → こちら(日経ウェブ)。
去る8月6日に、お亡くなりになられた方1名と、行方不明者6名の方々の
合同葬が営まれました。国会議員はじめ3000人が参列した大規模なものでした。
わたしはテレビや全国紙で、この合同葬の報道を見ていません。
■ あるスレッド(掲示板)住人の書き込み(03/07/08 01:44)
先程帰宅。父より、捜索打ち切ったの、今知りました。
お別れとして、18光洋丸が沈められた場所の周りを1周して、汽笛を鳴らして別れを告げる「儀式」を行ったそうです。全ての船がやったのですが、行方不明者のご家族が乗る若鳥丸がやった時は、とても可哀想に見えたそうです。
捜索を打ち切ったということは、認めたくないが、死亡を認めたということか。心より7人のご冥福を申し上げます。