ビジルは6時半から8時過ぎまで、三条大橋で行われました。ビジル(vigil)とは、「寝ずの番」「夜伽(よとぎ)」「お通夜」などの意味で、キャンドルを灯し、亡くなった方々に思いをはせる集いです。それとともに、街に立って、意思表示をするというものでもあります。今回、のべ150人の参加があったそうです。
日中の抗議集会&デモとは違い、こちらは「追悼」、また、「静かなる抗議」といった印象を受けました。キャンドルを手にした人々が、三条大橋の両側に連なります。その中には、ガザから届いた写真入りのプラカードやパレスチナの旗などを掲げる人も多くいました。(写真入のプラカードは、列の人々の間にも置かれていました。)橋を行き交う人々にビラを配る人もいましたが、抗議集会&デモよりは少なかったように思います。また、比較的静かに配っていた気がします。私も、日中より抑え目の声で、自分たちの作ったビラを配りました。
ビジルでは、大きな声を上げてアピールすることはないのですが、だからといって人々の注意をひかないかといえば、全くそんなことはありません。私が見た限りでは、道行く人の多くがビジルの列に目を向け、中には食い入るようにガザから届いた写真を見る人もいました。バスからも人々の視線を感じました。ビジルを目にした人々は、どのようなことを思ったのでしょう?
私は後半、井上さんの隣でキャンドルと写真入りのプラカードを持っていたのですが、ある女性がお金を手に握って私たちに近づいてきました。そして、キャンドルを見て「あら、募金じゃないのね。募金活動はやってないの?」と言われました。キャンドルが募金箱に見えたようです。私たちはお心はありがたいのですが、募金はやってないんです、と答えました。女性が去ったあとで、お金をうけとればよかったと思いました。私たちが女性にかわり、関係する団体に募金させてもらえばよかったのではないかと思いました。女性が自分なりの方法でパレスチナ問題に関わろうとしていたのに対して、その思いをうまくつなぐ行動ができなかったことを反省しました。
自分自身がパレスチナ問題に「つながろう」とするのはもちろんですが、誰かの「つながり」の橋渡しをするような行動、それも考えていきたいと思いました。三条大橋にできたキャンドルの灯の連なりの中で。(noddy)