テストSS2
これは炎のような女の物語だ。
一条和江は美しい。彼女を表現するときは少女という言葉の前に必ずと言っていいほど「美」という冠詞を付与するし、黒井沢ならロリータな魅力な満ち溢れているとでも言うかもしれない。
彼女の長い黒髪はロリコンでなくても、女性であっても見れば指を通したくなるし、彼女が満面の笑みを浮かべて軽く首をかしげて「ねっ?」といえば誰であっても二の句を告げず説得されるだろう。
一条和江はその柔らかな物腰とは裏腹に、その生き方は炎と表現するにふさわしい。周囲にある燃やしつくせるものを全て燃やしてしまえばあとは自分だって消えるしかないのに、それでも炎は激しく燃え続ける。
しかし、消えるまでの間発するエネルギィは人の社会を支えるものだし、なにより燃える炎は美しい。
―――悪を憎み
―――不正を嫌い
―――背徳を厭い
―――不義を疎み
そして猛る心の命ずるままにこの世の悪と闘う道を選択する。
正義の味方と呼ぶには憎しみが激しすぎるし、子供の癇癪と呼ぶには持続時間が長すぎる。
そんな炎のような彼女の性分に気づいたのはいつだったか。
この世には産まれてきただけで無条件の愛と祝福と喜びを与える博愛主義者の神様も、努力に対して正当な平等に報酬を与えようと不眠不休で働いている正義の味方も、女の子が奇跡みたいに純粋で透明で奇麗な恋ができるように頑張って例え挫けても最後の最後にはハッピィエンドで終わらそうと苦心している脚本家もいないんだな、って気づいたのは割と最近の話。
そしてそれをちゃんと実感するのは未来の話だろう。
悲しくないといえば嘘になるが、周囲の私よりもそれに気づいた大人たちが醜いものに不完全な蓋をしてくれていたおかげで少しずつそれを知っていくことになって悲しさも小出しになってなんとか泣かないでいられた。
できることなら完全な蓋をしてもらって、最後まで醜いものに気づかないで生きていたかったがそれに文句をいうのは都合がいいというものだろう。
醜いものをちゃんと知って私が大人になったら子供に対してそれを隠蔽しなきゃいけないのだろう。
かくして世界は回っていく、子供に優しく。
でもやっぱり、その蓋は不完全だから完全には子供を騙すことができず、時として世界の厳しさが漏れ出してしまう。
近所の胡散臭いおじいさんが死んだ。
神社近辺の土地の管理委員会の偉い人だったみたいでちょっとそのへん揉めてるみたいだったけど、子供の私にはそのへんのことはよくわからない。
ゲームショップの店長さんなんかはしばらく閉店になるほどのショックだったみたいだけど大多数の人にとってはそんな大きな出来事でもなかった。
子供たちにとってはゲームショップが閉まっていることのほうが大事件だったみたいだけど中学生になった私にとってはそれだってどうでもよくて―――つまり私にとっては本当にどうでもいい出来ごとだった。
あの人が一条和江の祖父だと知るまでは。
私と一条和江はそこまで仲良くなくて、お互いに教室の中で話したりあるいは大人数で遊ぶときは一緒に集まったりするけど3人くらいで集まる時はお互い別の人と遊ぶ、それくらいの関係だった。
彼女はいつも毒舌で有名な恵子さんや、唯一の上級生男子の純一さんとつるんでいたから遊びづらかったというのもある。
でも本当はずっと彼女と仲良くなりたかった。私は知ってしまったから、彼女の炎のような生き方を。
保健室に行こうとして聞いてしまった、彼女の新興宗教に対する苛烈なまでの態度を。
―――お前だ!お前が諸悪の根源だ!
それは怨嗟の声。
彼女にしたら被害者も、被害者が身近にいながら何もアクションを起こさない人たちも、自分は大丈夫って顔をして無関心を決め込んでいる人間もひとしく平等に憎いのだろう。
でも、誰だって彼女のように新興宗教を潰そうだなんて考えない。例え、自分の周囲の人が被害にあおうともその人さえ救えればそれでいいわけで、潰そうとまでは考えはしない。
もしかしたら、彼女は私のことだって嫌いなのかもしれない。私は憎い人がいたってそれをどうにかしようだなんて思わないし、いつだって考えるだけで行動なんてしない。
例えば、片道5時間くらいかかる家から友達が「自殺するかも知れない」と電話をかけてきたら私はどうするだろうか。きっと私は電話で説得しようとする、でも一条和江ならきっとその足で友達を抱き締めに行くだろう。電車が必要なら電車に乗り、船が必要なら船に乗り、宇宙船が必要なら宇宙船にだって乗るかもしれない。
それが徒労に終わることなんて考えないだろうし、それを考えてしまう賢しさは彼女の嫌悪の対象内だろう。
だから私は玄関で靴を履くことにした。
自分が行ったところで一条和江の助けになってあげられるとは思わないけど、それでもきっと一条和江なら迷わずに行ってあげるだろうから。
「どこ行くのー!?」
「一条さんちー!」
台所で夕飯の準備をしている母親から声をかけられたので返す。玄関と台所は距離が離れているために会話しようと思ったら自動的に「!」がつくことになる。
「夕飯までには帰ってくるのよー!」
「はーい!」
靴の先をトントンとやって靴のずれを直す。
ドアを開けると、一斉にひぐらしのなく声が私を包んだ。
一条和江の家は神社の隣にある。
なにやら、由緒ある神社と森らしく鎌倉時代か室伏時代から続いているらしい。もっとも、私には鎌倉時代と室伏時代どっちが古いかなんてわからないけど。
きっと、室伏時代っていうくらいだからことあるごとにハンマーを投げて雄たけびを上げていた時代なのだろう。室伏時代に生まれなくてよかった、どこからハンマーが飛んでくるかわからないんじゃ老後の趣味に盆栽をはじめてもちょくちょくハンマーが飛んできて壊れてしまうだろう。
一条和江の家の前まで来たところで、私の足は止まった。チャイムを押して、和江またはジェニファーが出たとして私は何を言えばいいのだろうか。
しかし、迷っている時間はそうは長くはなかった、悩んでいる私に天から声が降って来たのだ。
「あら、こんにちは」
2階の窓のヘリに座って紫色のリンゴジュースを片手に一条和江は私に挨拶した。
どうやら、あんなところでジュースを飲んでいるところに私が来て、なにやらオロオロしていろうようだから声をかけたらしい。
そして、それは退路は断たれたということ。
「待ってて、今そっち行くから」
彼女はそう言うとグイ、と一気にコップを傾け、窓の前から消えた。
ああ、足音的に1階に下りてきてるんだなと、ボンヤリと考えた。私の思考は最初に彼女に話しかけられてからフリーズしていてようやく稼働したのは目の前にあるドアが開いてからだった。
彼女は普段学校では見せない大人びた表情をしていた。
「こんにちは」
「こ、こんにちはですっ。このたびはご愁傷様でごずっ―――」
本日二回目の挨拶をされて、私はさっきから彼女を無視していたことにようやく気付いて慌てて挨拶を返したのだが致命的な噛み方をしてしまった。
このたびはご愁傷様でございます、とだけ言いたかったのに噛んでしまたために「ごずっ」なんていう言葉を語尾につける面白いキャラクターになってしまった。
そんなキャラで定着してしまったら挨拶するときは「おはようでごずっ」と言って食事の前は「いただきますでごずっ」とか言わなくてはいけないのだろうか?
そんな強すぎる個性は私には強すぎる、「ぞよ」とか「ヤンス」とかそういう個性的な語尾を持っていいのは常軌を逸したロリコンだとか、またの付け根から和菓子を出すことができるだとかそういう個性をもった人だけなのだ。小市民の私には荷が重すぎる。
「このたびはご愁傷様でございます」
と、いうわけで変なキャラクターが定着する前にキチンといい直すことにする。
「ご多用中のところ、さっそくのお悔やみありがとうございます。それで、古手神社に何の用?お母さんはいまちょっと忙しいんだけど」
私に合わせて形式通りの挨拶を返す。
きっと、彼女の母は葬儀やら何やらの準備で忙しいのだろう。そういえば、前に彼女の父親が死んだ件で遺産関係のゴタゴタがあったと聞いたことがある。もっとも、彼女がパパと呼ぶ人間と一緒にいたことがあるとその後聞いたことがあるので単なる噂の可能性もあるけど。
「あ、いえ。古手神社に用があったわけじゃなくて一条さんに会いに」
それ以降は言葉にならずにごにょごにょと口の中でつぶやくだけになった。
そんな私の様子に彼女は微笑みで返した。
「だったら、すぐ家に来てくれればよかったのに。ウロウロしてたから何か神社に用があるのだと思ってたわ」
「あ、いえ、その、すみません」
「なんでそこで謝罪よ。どうしてるか心配で来てくれたんだ、ありがと」
「あ、どうも」
沈黙。
「あ、えっと、ジェニファーちゃんはどうしてるんですか?」
「ジェニファーは今ちょっと買い物、悲しくてもお腹は減るし朝は来るもの。買い物も洗濯もサボってはいられないわ」
一緒に行けばよかったのに、と思ったが彼女の祖父は雛見沢町の住民から必ずしも好かれているとは言い難く、むしろ嫌っている人だって多い。低い労働賃金で働かせたらしいとか詐欺行為を働いたらしいとか悪い噂も絶えない。
そういう空気を感じたくなくて今はあんまり町を歩きたくないのだろう。
「まあ、悲しいっていっても正直今は戸惑ってるって感じ。これからきっと、もっとつらくなるんだろうけどね」
「ひ、人が死ぬとその身体から魂が抜けて空に上がっていくらしいです。それでその空から私たちを見守って―――」
喋っている途中でどういえばいいのかわからなかったので黙ってしまう。空からいつも見守ってくれているから、という話に繋げたかったのだがそういうえば彼女に対してはそういう魂とかそういう話はご法度ではなかっただろうか?
「半分正解」
黙ってる私に彼女は呟いた。
「魂が身体から出ていくところまでは正解。でも、高いところになんかいかない。私を見守っているおせっかいなのがいるのも正解だけど、それはおじいさんじゃないし」
「え?」
「魂も転生もあるけど、それは必ずしも救いを意味しないってこと」
例えば牛肉を食べれば身体の一部がそれで形作られるんだから牛さんから人間になったって言えるけどそれは牛さんの意思が残っているってわけでもないし牛さんにとってなんら救いにもならない、つまりはそういうこと―――と彼女はまとめた。
「偽りの救いに身を委ねてはダメ。アイツらはそういう人の弱さを食い物にする。言われない不幸にであった人間にあいつらは善人面して近づいてきて安易な理由なり安易な解決方なりを与えてくる」
口から歯が少しのぞく。笑ったわけではなく怒りに口を歪めたからだ。
彼女の言いたいことはつまりこういうことだろう。
天災、病気、事故など突然の災難にあった時、人は素直にそれを享受することは難しい。何故こういう目にあわなきゃいけないんだ、自分が何をやったんだと考える。あるいは何をやれば避けられたのかと考える。
それに対して彼女が「アイツら」と呼ぶ存在、つまり新興宗教は理由や解決策を与えてくれる。
曰く、前世の業によって不幸な目にあった、だから功徳を積むことで業を清めれば幸せになれる。
曰く、先祖の霊を大切にしていないために災害がやってきます、大切になさい。
曰く、教祖様ならこの世の不幸をなくすことができるので協力してください。
「そしてその罠にかかった人間は善意で災害を広げていく。罪の意識も持たずに。新興宗教がこの世を駄目にするんだ」
そう、この構造の恐ろしいところは被害者がそのまま加害者に移行するところだ。
悪意ならそれを見破ればいい、詐欺ならそれさえ見抜けばだまされない、でも宗教の勧誘をする人間というのはだいたいの場合は隣人愛に満ち溢れ相手のためにやっている。
相手のため、という錦の御旗を持つ人間はとてもとても強い。しかも、その人の喋ることには一切のやましさも嘘もない、何故なら自分の信じていることを相手に喋っているのだから。
「………ごめんなさいね。おじいちゃんが死んで少し不安定だったのかも」
「あ、いえ」
そうとしか言えない。
私は彼女の苛烈な生き方を前にしてなにも言えなくなってしまった。
例えば、不治の病にかかって死にそうになったとしよう。
そして、現代医学では治せませんけど教祖様なら治せますよと言われる、あるいはこれこれこういった風に考えれば例え死んだとしても有意義ですよ、と言われたとしてもその一切を否定する。
いや、実際に彼女は一時期、そういった病を患っていたこともあるらしい。きっとその時だって自分が死ぬという現実から一切逃げなかったのだろう。
それはあまりにも強すぎる生き方だ。第一彼女は偽りの救いに身を委ねてはダメというがそんな理屈は本物の救いがどこかにあった場合だけ有効なわけで、そんなものがなかったとしたら彼女は決して救われない。
私だったらきっと耐えられない、お祖父ちゃんが死んだ直後なんて状況だったらなおさらだ。
「一条さんはおじいちゃんの事、好きだった?」
酷い質問だけどどうしても聞きたかったから聞いてしまった。
「うん、好き」
なんの衒いもなく即答する。
「おじいちゃんは胡散臭くて鈴木に冷たくてウザかったけど、それでも好き」
知り合いが自殺してしまったのに妙に冷たかった話。
自分の味方だといいながら何もやってくれなかった話。
フランスパンの話をしつこくしてきてウザかった話。
天才的な和菓子職人としての腕を振るった話。
何もやってなかったと思ったら裏で相当動き回っていた話。
アメリカの議会に対しても発言力を持っていた話。
その話す口調や態度から彼女が本当に祖父のことが好きなんだな、って伝わってきて、それだけに心配だった。
「その後で聞いたんだけどね。おじいちゃんったらダイエーにフランスパンがなくて焼きそばパンを買ったわけ。もうこの話は本当におかしいんだから。それでね―――」
「一条さんはさ」
ダイエーのパン屋さんでフランスパンが買えなくて焼きそばパンを買ったあとどうなったのか相当に気になるけどつい遮ってしまう。
「なに?ここからが面白いのに」
彼女は話を止められてものすごく不満そうな顔だ。
「一条さんはさ、大丈夫なの?」
私の言葉に一瞬、豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしたがすぐ微笑んだ。
「私にはジェニファーとみさおと、それに貴方がいるから。だから大丈夫、安心して―――ねっ?」
不意打ちだった。
やばい、口の端が私の命令を無視してつり上がる。まずいまずいまずい、これ以上ここにいるとテンパって何を口走るかわからない。
「ごめん、暗くなって来たから帰るね!?」
「え、ちょっと待ちなさい!フランスパンの話だけは聞いていきなさいよ!絶対おなかかかえちゃうから!」
制止の声を背中に聞きながら早足で神社の階段を駆け降りる。
降りている最中に松川ジェニファーとすれ違った。きっと、私の前では気丈に振る舞っていた一条和江も彼女の前では泣いたりするのだろう。
正直くやしいがそんなことを言ってもしょうがない。
これは炎のような女の物語だ。
一条和江はその柔らかな物腰とは裏腹に、その生き方は炎と表現するにふさわしい。周囲にある燃やしつくせるものを全て燃やしてしまえばあとは自分だって消えるしかないのに、それでも炎は激しく燃え続ける。
しかし、消えるまでの間発するエネルギィは人の社会を支えるものだし、なにより燃える炎は美しい。
一条和江は美しい。彼女を表現するときは少女という言葉の前に必ずと言っていいほど「美」という冠詞を付与するし、黒井沢ならロリータな魅力な満ち溢れているとでも言うかもしれない。
彼女の長い黒髪はロリコンでなくても、女性であっても見れば指を通したくなるし、彼女が満面の笑みを浮かべて軽く首をかしげて「ねっ?」といえば誰であっても二の句を告げず説得されるだろう。
一条和江はその柔らかな物腰とは裏腹に、その生き方は炎と表現するにふさわしい。周囲にある燃やしつくせるものを全て燃やしてしまえばあとは自分だって消えるしかないのに、それでも炎は激しく燃え続ける。
しかし、消えるまでの間発するエネルギィは人の社会を支えるものだし、なにより燃える炎は美しい。
―――悪を憎み
―――不正を嫌い
―――背徳を厭い
―――不義を疎み
そして猛る心の命ずるままにこの世の悪と闘う道を選択する。
正義の味方と呼ぶには憎しみが激しすぎるし、子供の癇癪と呼ぶには持続時間が長すぎる。
そんな炎のような彼女の性分に気づいたのはいつだったか。
この世には産まれてきただけで無条件の愛と祝福と喜びを与える博愛主義者の神様も、努力に対して正当な平等に報酬を与えようと不眠不休で働いている正義の味方も、女の子が奇跡みたいに純粋で透明で奇麗な恋ができるように頑張って例え挫けても最後の最後にはハッピィエンドで終わらそうと苦心している脚本家もいないんだな、って気づいたのは割と最近の話。
そしてそれをちゃんと実感するのは未来の話だろう。
悲しくないといえば嘘になるが、周囲の私よりもそれに気づいた大人たちが醜いものに不完全な蓋をしてくれていたおかげで少しずつそれを知っていくことになって悲しさも小出しになってなんとか泣かないでいられた。
できることなら完全な蓋をしてもらって、最後まで醜いものに気づかないで生きていたかったがそれに文句をいうのは都合がいいというものだろう。
醜いものをちゃんと知って私が大人になったら子供に対してそれを隠蔽しなきゃいけないのだろう。
かくして世界は回っていく、子供に優しく。
でもやっぱり、その蓋は不完全だから完全には子供を騙すことができず、時として世界の厳しさが漏れ出してしまう。
近所の胡散臭いおじいさんが死んだ。
神社近辺の土地の管理委員会の偉い人だったみたいでちょっとそのへん揉めてるみたいだったけど、子供の私にはそのへんのことはよくわからない。
ゲームショップの店長さんなんかはしばらく閉店になるほどのショックだったみたいだけど大多数の人にとってはそんな大きな出来事でもなかった。
子供たちにとってはゲームショップが閉まっていることのほうが大事件だったみたいだけど中学生になった私にとってはそれだってどうでもよくて―――つまり私にとっては本当にどうでもいい出来ごとだった。
あの人が一条和江の祖父だと知るまでは。
私と一条和江はそこまで仲良くなくて、お互いに教室の中で話したりあるいは大人数で遊ぶときは一緒に集まったりするけど3人くらいで集まる時はお互い別の人と遊ぶ、それくらいの関係だった。
彼女はいつも毒舌で有名な恵子さんや、唯一の上級生男子の純一さんとつるんでいたから遊びづらかったというのもある。
でも本当はずっと彼女と仲良くなりたかった。私は知ってしまったから、彼女の炎のような生き方を。
保健室に行こうとして聞いてしまった、彼女の新興宗教に対する苛烈なまでの態度を。
―――お前だ!お前が諸悪の根源だ!
それは怨嗟の声。
彼女にしたら被害者も、被害者が身近にいながら何もアクションを起こさない人たちも、自分は大丈夫って顔をして無関心を決め込んでいる人間もひとしく平等に憎いのだろう。
でも、誰だって彼女のように新興宗教を潰そうだなんて考えない。例え、自分の周囲の人が被害にあおうともその人さえ救えればそれでいいわけで、潰そうとまでは考えはしない。
もしかしたら、彼女は私のことだって嫌いなのかもしれない。私は憎い人がいたってそれをどうにかしようだなんて思わないし、いつだって考えるだけで行動なんてしない。
例えば、片道5時間くらいかかる家から友達が「自殺するかも知れない」と電話をかけてきたら私はどうするだろうか。きっと私は電話で説得しようとする、でも一条和江ならきっとその足で友達を抱き締めに行くだろう。電車が必要なら電車に乗り、船が必要なら船に乗り、宇宙船が必要なら宇宙船にだって乗るかもしれない。
それが徒労に終わることなんて考えないだろうし、それを考えてしまう賢しさは彼女の嫌悪の対象内だろう。
だから私は玄関で靴を履くことにした。
自分が行ったところで一条和江の助けになってあげられるとは思わないけど、それでもきっと一条和江なら迷わずに行ってあげるだろうから。
「どこ行くのー!?」
「一条さんちー!」
台所で夕飯の準備をしている母親から声をかけられたので返す。玄関と台所は距離が離れているために会話しようと思ったら自動的に「!」がつくことになる。
「夕飯までには帰ってくるのよー!」
「はーい!」
靴の先をトントンとやって靴のずれを直す。
ドアを開けると、一斉にひぐらしのなく声が私を包んだ。
一条和江の家は神社の隣にある。
なにやら、由緒ある神社と森らしく鎌倉時代か室伏時代から続いているらしい。もっとも、私には鎌倉時代と室伏時代どっちが古いかなんてわからないけど。
きっと、室伏時代っていうくらいだからことあるごとにハンマーを投げて雄たけびを上げていた時代なのだろう。室伏時代に生まれなくてよかった、どこからハンマーが飛んでくるかわからないんじゃ老後の趣味に盆栽をはじめてもちょくちょくハンマーが飛んできて壊れてしまうだろう。
一条和江の家の前まで来たところで、私の足は止まった。チャイムを押して、和江またはジェニファーが出たとして私は何を言えばいいのだろうか。
しかし、迷っている時間はそうは長くはなかった、悩んでいる私に天から声が降って来たのだ。
「あら、こんにちは」
2階の窓のヘリに座って紫色のリンゴジュースを片手に一条和江は私に挨拶した。
どうやら、あんなところでジュースを飲んでいるところに私が来て、なにやらオロオロしていろうようだから声をかけたらしい。
そして、それは退路は断たれたということ。
「待ってて、今そっち行くから」
彼女はそう言うとグイ、と一気にコップを傾け、窓の前から消えた。
ああ、足音的に1階に下りてきてるんだなと、ボンヤリと考えた。私の思考は最初に彼女に話しかけられてからフリーズしていてようやく稼働したのは目の前にあるドアが開いてからだった。
彼女は普段学校では見せない大人びた表情をしていた。
「こんにちは」
「こ、こんにちはですっ。このたびはご愁傷様でごずっ―――」
本日二回目の挨拶をされて、私はさっきから彼女を無視していたことにようやく気付いて慌てて挨拶を返したのだが致命的な噛み方をしてしまった。
このたびはご愁傷様でございます、とだけ言いたかったのに噛んでしまたために「ごずっ」なんていう言葉を語尾につける面白いキャラクターになってしまった。
そんなキャラで定着してしまったら挨拶するときは「おはようでごずっ」と言って食事の前は「いただきますでごずっ」とか言わなくてはいけないのだろうか?
そんな強すぎる個性は私には強すぎる、「ぞよ」とか「ヤンス」とかそういう個性的な語尾を持っていいのは常軌を逸したロリコンだとか、またの付け根から和菓子を出すことができるだとかそういう個性をもった人だけなのだ。小市民の私には荷が重すぎる。
「このたびはご愁傷様でございます」
と、いうわけで変なキャラクターが定着する前にキチンといい直すことにする。
「ご多用中のところ、さっそくのお悔やみありがとうございます。それで、古手神社に何の用?お母さんはいまちょっと忙しいんだけど」
私に合わせて形式通りの挨拶を返す。
きっと、彼女の母は葬儀やら何やらの準備で忙しいのだろう。そういえば、前に彼女の父親が死んだ件で遺産関係のゴタゴタがあったと聞いたことがある。もっとも、彼女がパパと呼ぶ人間と一緒にいたことがあるとその後聞いたことがあるので単なる噂の可能性もあるけど。
「あ、いえ。古手神社に用があったわけじゃなくて一条さんに会いに」
それ以降は言葉にならずにごにょごにょと口の中でつぶやくだけになった。
そんな私の様子に彼女は微笑みで返した。
「だったら、すぐ家に来てくれればよかったのに。ウロウロしてたから何か神社に用があるのだと思ってたわ」
「あ、いえ、その、すみません」
「なんでそこで謝罪よ。どうしてるか心配で来てくれたんだ、ありがと」
「あ、どうも」
沈黙。
「あ、えっと、ジェニファーちゃんはどうしてるんですか?」
「ジェニファーは今ちょっと買い物、悲しくてもお腹は減るし朝は来るもの。買い物も洗濯もサボってはいられないわ」
一緒に行けばよかったのに、と思ったが彼女の祖父は雛見沢町の住民から必ずしも好かれているとは言い難く、むしろ嫌っている人だって多い。低い労働賃金で働かせたらしいとか詐欺行為を働いたらしいとか悪い噂も絶えない。
そういう空気を感じたくなくて今はあんまり町を歩きたくないのだろう。
「まあ、悲しいっていっても正直今は戸惑ってるって感じ。これからきっと、もっとつらくなるんだろうけどね」
「ひ、人が死ぬとその身体から魂が抜けて空に上がっていくらしいです。それでその空から私たちを見守って―――」
喋っている途中でどういえばいいのかわからなかったので黙ってしまう。空からいつも見守ってくれているから、という話に繋げたかったのだがそういうえば彼女に対してはそういう魂とかそういう話はご法度ではなかっただろうか?
「半分正解」
黙ってる私に彼女は呟いた。
「魂が身体から出ていくところまでは正解。でも、高いところになんかいかない。私を見守っているおせっかいなのがいるのも正解だけど、それはおじいさんじゃないし」
「え?」
「魂も転生もあるけど、それは必ずしも救いを意味しないってこと」
例えば牛肉を食べれば身体の一部がそれで形作られるんだから牛さんから人間になったって言えるけどそれは牛さんの意思が残っているってわけでもないし牛さんにとってなんら救いにもならない、つまりはそういうこと―――と彼女はまとめた。
「偽りの救いに身を委ねてはダメ。アイツらはそういう人の弱さを食い物にする。言われない不幸にであった人間にあいつらは善人面して近づいてきて安易な理由なり安易な解決方なりを与えてくる」
口から歯が少しのぞく。笑ったわけではなく怒りに口を歪めたからだ。
彼女の言いたいことはつまりこういうことだろう。
天災、病気、事故など突然の災難にあった時、人は素直にそれを享受することは難しい。何故こういう目にあわなきゃいけないんだ、自分が何をやったんだと考える。あるいは何をやれば避けられたのかと考える。
それに対して彼女が「アイツら」と呼ぶ存在、つまり新興宗教は理由や解決策を与えてくれる。
曰く、前世の業によって不幸な目にあった、だから功徳を積むことで業を清めれば幸せになれる。
曰く、先祖の霊を大切にしていないために災害がやってきます、大切になさい。
曰く、教祖様ならこの世の不幸をなくすことができるので協力してください。
「そしてその罠にかかった人間は善意で災害を広げていく。罪の意識も持たずに。新興宗教がこの世を駄目にするんだ」
そう、この構造の恐ろしいところは被害者がそのまま加害者に移行するところだ。
悪意ならそれを見破ればいい、詐欺ならそれさえ見抜けばだまされない、でも宗教の勧誘をする人間というのはだいたいの場合は隣人愛に満ち溢れ相手のためにやっている。
相手のため、という錦の御旗を持つ人間はとてもとても強い。しかも、その人の喋ることには一切のやましさも嘘もない、何故なら自分の信じていることを相手に喋っているのだから。
「………ごめんなさいね。おじいちゃんが死んで少し不安定だったのかも」
「あ、いえ」
そうとしか言えない。
私は彼女の苛烈な生き方を前にしてなにも言えなくなってしまった。
例えば、不治の病にかかって死にそうになったとしよう。
そして、現代医学では治せませんけど教祖様なら治せますよと言われる、あるいはこれこれこういった風に考えれば例え死んだとしても有意義ですよ、と言われたとしてもその一切を否定する。
いや、実際に彼女は一時期、そういった病を患っていたこともあるらしい。きっとその時だって自分が死ぬという現実から一切逃げなかったのだろう。
それはあまりにも強すぎる生き方だ。第一彼女は偽りの救いに身を委ねてはダメというがそんな理屈は本物の救いがどこかにあった場合だけ有効なわけで、そんなものがなかったとしたら彼女は決して救われない。
私だったらきっと耐えられない、お祖父ちゃんが死んだ直後なんて状況だったらなおさらだ。
「一条さんはおじいちゃんの事、好きだった?」
酷い質問だけどどうしても聞きたかったから聞いてしまった。
「うん、好き」
なんの衒いもなく即答する。
「おじいちゃんは胡散臭くて鈴木に冷たくてウザかったけど、それでも好き」
知り合いが自殺してしまったのに妙に冷たかった話。
自分の味方だといいながら何もやってくれなかった話。
フランスパンの話をしつこくしてきてウザかった話。
天才的な和菓子職人としての腕を振るった話。
何もやってなかったと思ったら裏で相当動き回っていた話。
アメリカの議会に対しても発言力を持っていた話。
その話す口調や態度から彼女が本当に祖父のことが好きなんだな、って伝わってきて、それだけに心配だった。
「その後で聞いたんだけどね。おじいちゃんったらダイエーにフランスパンがなくて焼きそばパンを買ったわけ。もうこの話は本当におかしいんだから。それでね―――」
「一条さんはさ」
ダイエーのパン屋さんでフランスパンが買えなくて焼きそばパンを買ったあとどうなったのか相当に気になるけどつい遮ってしまう。
「なに?ここからが面白いのに」
彼女は話を止められてものすごく不満そうな顔だ。
「一条さんはさ、大丈夫なの?」
私の言葉に一瞬、豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしたがすぐ微笑んだ。
「私にはジェニファーとみさおと、それに貴方がいるから。だから大丈夫、安心して―――ねっ?」
不意打ちだった。
やばい、口の端が私の命令を無視してつり上がる。まずいまずいまずい、これ以上ここにいるとテンパって何を口走るかわからない。
「ごめん、暗くなって来たから帰るね!?」
「え、ちょっと待ちなさい!フランスパンの話だけは聞いていきなさいよ!絶対おなかかかえちゃうから!」
制止の声を背中に聞きながら早足で神社の階段を駆け降りる。
降りている最中に松川ジェニファーとすれ違った。きっと、私の前では気丈に振る舞っていた一条和江も彼女の前では泣いたりするのだろう。
正直くやしいがそんなことを言ってもしょうがない。
これは炎のような女の物語だ。
一条和江はその柔らかな物腰とは裏腹に、その生き方は炎と表現するにふさわしい。周囲にある燃やしつくせるものを全て燃やしてしまえばあとは自分だって消えるしかないのに、それでも炎は激しく燃え続ける。
しかし、消えるまでの間発するエネルギィは人の社会を支えるものだし、なにより燃える炎は美しい。
2008年05月26日(月) 03:08:51 Modified by ID:WP237rK+6g