「あんた、一体何の用よ? ナンパならお断り――」

「ダメ、華音、逃げ――」

「そう、《お二人とも、逃げてください》。
 そして、《助けを呼んでください》」

その男――センスの悪いバナナのような髪形をした男の言葉を聞いた次の瞬間、
あたしの足はこの路地裏から、まったく動かなくなってしまっていた。
別に麻痺しているとか、見えない力で押さえられているというわけでもない。
ただ、動かない。動かせないのだ。

何が起きたのかさっぱりわからないが、どうやらミーナも同じ状態らしい。

動揺を見せまいとしてか、きっぱりとした口調でミーナが喋り始めた。
「華音は、ナニも知りません。アナタたちが用があるのはワタシでしょう?
 華音をカイホウしてくれれば、アナタたちとのトリヒキに応じましょう」

「まだ、私の話は終わってないんですがね……
 ま、いいでしょう。《ミーナさんは好きなだけ喋ってください》」

ところがそう言われたミーナは、突然口をつぐんでしまった。
そして、信じられないという表情のまま、まじまじと男の顔を見つめていた。

「率直な話、私個人は、ミーナさんがご存知の情報については、
 どうなろうと一向に構わないのですよ。
 ただ、以前に本社で、あなたたち姉妹の経歴を
 閲覧する機会にめぐまれましてね。
 ――私が以前から考えていた『実験』を行うのに、
 あなたがた姉妹は、うってつけの実験材料だと気付いたのです。
 お二人には、是非ともこの実験に協力をお願いしたい」

「何が実験材料よ! 頭おかしいんじゃないの?
 誰が協力なんかするもんですか!
 ミーナもバカみたいに黙ってないで、何か言ってやってよ!」

「まずは、そうですね、そちらは、確か華音さんでしたっけ?
 《華音さんは、ミーナさんに服を着せておいてあげてください》」


はあ? 何言ってんのコイツ? バカ?

いきなりわけのわからない事を言い出したバナナ男に、
あたしは呆気に取られた。そして呆気に取られたまま――
ミーナの体に向き直り、ブラウスの襟に指先をかけ、
てきぱきとミーナの服を脱がせ始めていた。

「何? 何? なんであたし、こんなことしてんのよ!」
「ああ、お姉さんは《抵抗してください》」

小柄なミーナにはサイズの大きすぎるブラウスをはらりと脱がせると、
その下の実用一点張りの無地のタンクトップブラがあらわになった。
続いて、あたしの指はミーナのズボンのホックを外して引き下げた。
なぜかミーナは無抵抗のまま、あたしにされるがままになっている。

「《下着も付けたままで》。ああ、でも、《帽子は取ってあげた方がいいですね》」

「……わかったわ、あんたが何かしてるのね!?
 今すぐやめないと、タダじゃすませないんだからね! ああ、やめてよ……」

そうかきくどき続けながら、下着姿のミーナの足から靴と靴下を外し、
バンザイの格好を取らせて胴体からタンクトップブラを抜き取るあたしを、
ミーナはやはり無言のまま、絶望的な眼差しで見上げていた。
ミーナのまるで子供の様に真っ平らな胸板の上の、
そこだけポツンと淡い色をした乳首がむき出しになる。
最後に指をミーナのパンツにかけると、あたしは一瞬のためらいもなく、
そのまま一気に引き下ろした。
ミーナは頭に帽子だけをちょこんと乗せただけの、
褐色の体に一糸纏わぬ姿でこの暗い路地裏に立っていた。
この期に及んでもミーナは一言も口を利かず、
両手で胸と股間を覆ったままで立ち尽くしていた。
歯を食いしばったミーナの顔は恥じらいに赤く染まり、
目には普段は見せることのない涙が、うっすらと浮かんでいた。

「オヤオヤ、お姉さんにこんな格好をさせて、ひどい妹さんだ。
 ……まだ、お父さんの事を根に持っているんですか?」

その言葉を聞いた瞬間、あたしの頭に血が昇った。
この男はあの事を知っている! あたしと、ミーナと、
彼しか知らないはずのあの秘密を。
――確かに、あれはあたしの誤解だった――それなのに、
あの事を持ち出してあたしを侮辱するなんて、絶対に許せない。


助けを呼ぼう。あたしはそう心に決めた。助けに駆け付けた人に
ミーナの裸を見られてしまうかもしれないが――まあ、いいや。
こんなダサい男に、あたしがバカにされるなんて我慢できない。

あたしは思い切り息を吸い込むと、ミルキー通り一帯に響き渡るくらいの
金切り声を上げた、つもりだった。しかし、あたしの喉から洩れたのは、
隣のミーナにさえほとんど聞こえないぐらいの、微かな息の音でしかなかった。

あたしは、助けを呼ぶ事もできないの?

「最初に、《助けを呼んでください》と忠告してあげたんですがね。
 まあ、その気がないのなら無理強いは出来ますまい。
 でも、《せめて華音さんは服を着ておいてくださいね》」

そして次の瞬間、あたしが恐れていた通りの事が起こった。
あたしの手はあたしの意思とは無関係に動き始め、
ついさっきミーナにしたように、今度はあたし自身の体から服を剥ぎ取り始めた。

これは――悪い夢よ。

スーツの上下を脱ぎ捨て、薄汚れた路地裏の地面に投げ捨てる。
続いてブラウス、キャミソール。ストッキングにショーツ。
気が付くと、あたしはイヤリング以外は生まれたまんまの姿で、
同じく帽子以外は素っ裸のミーナと、路地に並んで立っていた。
裸足の足に触れるコンクリートの感触がやけに冷たい。

「いやいや、これは私には目の毒だ。
 せめて、《前ぐらいは隠してもらえませんか》。
 しかしこうやって並べてみると、血の繋がりはなくともやはり姉妹だ。
 どこか似てらっしゃいますよ」

身を焼くような羞恥、そして怒りに、どうしようもなく涙がこぼれた。
悔しい……悔しい悔しい悔しい悔しい。悔しすぎる。
なんで他の人じゃなくて、あたしがこんな目に会わなくちゃならないの?
夢なら早く醒めて。

しかし、悪夢は一向に醒める気配はなかった。
全裸のまま棒立ちになっているあたしとミーナを一瞥すると、男は満足げに肯いた。

「それでは、『実験』に取り掛かるとしましょうか」

今でさえ、これ以上ないくらい屈辱的だっていうのに、
この上、まだ何かやらされるの……?

「華音さん、《立っていてください》」

その言葉の意味を頭で理解するかしないかの内に、
あたしはぺたんと尻もちを突き、そのまま地面に横たわっていた。
ざらざらしたコンクリートの感触を全身の肌で感じながら、
あたしはこの男の持つ不思議な能力について理解し始めていた。
あたしはこの男の言葉に逆らえない
――いや、『逆らえない』のではなく、『従えない』のだ。

「そして、ミーナさんは《しゃがんで足を閉じて》」

目の前にあるミーナのむきだしの足が、
立ったままぴょこんと大きく広げられるのが見えた。

「華音さん、《お姉さんの足の間から頭を外して、
 うつ伏せになってください》」

あたしはその言葉に逆らうために――
ぶざまにコンクリートの地面を這い進むと、
ミーナの大きく開かれた両足の間に頭を突っ込み、
くるりと仰向けになった。
頭の上すぐ目の前に、ほとんど毛の生え揃っていない
少女のようなミーナのあそこが見えた。
足を大きく左右に広げているために、
ぴっちりと合わさった褐色の肉の隙間からは、
濃いピンク色を帯びた肉襞が微かにはみ出している。
更にその上から両脇のビルに区切られた夜空を背景にして、
不安そうに見下ろすミーナの顔が覗いていた。

あたしも、不安でしょうがなかった。
あたしたちにこんな格好させて、一体何をやらせる気なのよ?

まさか、まさか……。

男の次の言葉で、その恐怖は現実となった。

「じゃあ華音さん、《ミーナさんの性器から目をそむけて、口を閉じて》」

「あ……あがが……」

いやだ。いやだ。

「ああ、《口は手で覆っておいてください》」

やめて、イヤ。それだけは、イヤ……。

ミーナのあそこの下で、なす術もなく口を開いて横たわっている
あたしを確認すると、男は最後の指示を出した。

「ではミーナさん、《おしっこを我慢していてください》♪」

ミーナが血のにじむほど強く唇を噛み締めて身をよじり、
お尻を物凄い勢いで緊張させたのが、あたしの目にもはっきりとわかった。

しかし、その努力は数秒も持たなかった。
一瞬ぶるっと体を振るわせ、ミーナは赦しを乞うような目であたしを見つめた。
そして、そのまま上を向いてあたしから目を背けると、
ほうっと小さく溜息をついた。



次の瞬間、微かに黄色味を帯びた温かい液体が、
ミーナの尿道から勢い良くほとばしった。
半分ほどは周囲に飛び散ってミーナの内腿を汚したが、
残りの半分は、まともにあたしの口の中に降り注いだ。

舌に降りかかるミーナのおしっこは塩辛く、そして驚くほど熱かった。
真っ白になったあたしの頭の中に、男の楽しげな声が聞こえてきた。

「《口に出された分は、全部吐き出して》」

全裸のまま天を仰いで、立ち放尿を続けるミーナの股の下で、
あたしは口に注ぎ込まれるミーナのおしっこを飲み込み続けた。
もう、自分の頬を伝っているのがミーナの尿なのか、
あたしの屈辱の涙なのか、それさえもわからなかった。

ミーナもあたしも、しばらくの間は放心していた。

男が能力の一部を解除したので、
ある程度は自由な姿勢を取れるようになり、
ミーナも喋れるようになっていたが、
逃げる事や助けを呼ぶ事は、依然として封じられたままだった。

「華音……ゴメン……」

ミーナが差し出した手を、あたしは無言で払いのけた。

やっぱり、ミーナはあたしの事を嫌ってたんだ……。

ミーナの情報をこっそりジャッジメントに洩らしてたあたしを、
心の底で恨んでたんだ。そうに決まってる。
だって、本当にあたしの事を想ってるなら、
どんな能力で操られていたとしたって、
あんなひどい事をやれる筈がない。

ひどい。ひどすぎる。もうミーナの事は、絶対に許さない。
二度と、口なんか利いてやらない。

「私がジャジメント本社で目を通した、
 ジャーナリスト・武内ミーナに関する情報の多くは、
 主に妹の華音さんを介して入手された物でした」

男が、また何か喋っていた。

「華音さんは気付いておられなかったようですが、
 ジャジメントはテレパスを併用する事で、
 華音さん自身が意図的に洩らしていた以上の情報を、
 華音さんの精神から入手していたのです。
 そしてその過程で、華音さん自身の経歴も調べられていました。
 スポーツ記者としてのぱっとしないキャリアはもちろんの事、
 お父さんの再婚の事、私生活の些事に至るまで――
 そう、男性経験がないことまで、ね」

ミーナが意外そうな顔であたしを見た。「そうだったの、華音?」

「……あたしは、安い女じゃないだけよ!」

男の言葉は事実だった。

だけど、別にあたしがモテなかったわけじゃない。
あたしに釣り合うような男がこれまで現れなかった、
ただ、それだけの事なのに、
なんで、そんな事までバラされなくちゃならないのか。
しかも、よりによってミーナの前で。
体を裸にされた上に、心まで裸にされた気分だった。

「――いやいや、私はむしろ褒めているんですよ?
 華音さんのおっしゃる通りですよ。
 男も女も体の繋がりばかり求める最近の風潮は、
 私もまったく感心いたしません。
 どうか華音さん、《処女を守り抜いてくださいね》。
 そしてミーナさんは、《妹が処女を守るのに協力してあげてください》」

ミーナがまじまじと自分の右手の指を見つめ、弱々しくかぶりを振った。
そしてあたしの方に向き直り、左手をあたしの太股の上に置き、体重を掛けた。
あたしもまた、自分でも知らない内に両足をMの字に大きく開き、
ミーナの指を受け入れる体勢を整えていた。

「やめ……やめ、やめ、やめて!」

あたしは真っ青になって、必死でミーナの指を防ごうとした。
しかし足を1センチでも閉じる事も、
自分の手を腰から下へさげる事も、どちらも出来なかった。
ミーナは右手の人差し指と中指を立てると、
左手の指先であたしのあそこを押し広げながら、
諦めを含んだ口調で囁いた。

「華音……チカラ、抜いて……
 セメテ、少しでも痛くないようにしてあげるから……」
「いや! いやいやいやいや! 痛くなくてもいや!」

泣き叫びながら、それでもあたしは下腹に力を込めて、
できる限りの抵抗をしようとした。
あたしの膣口を探り当てると、ミーナはまず人差し指だけを、
ゆっくりとあたしの中へめり込ませてきた。
ミーナの指があたしの中に深く埋め込まれていくのが、
目を背けていても、はっきりと感じられた。

ミーナは人差し指を大きく上へ動かして膣口を広げ、
その脇から今度は中指を差し込んできた。
股間に響くずきずきという痛みに、
あたしは声を押し殺して泣き続けた。
助けを呼ぶ事ができないので、悲鳴を上げる事さえできなかった。

「痛い……痛い……ミーナやめて、痛い!」

股間の痛みが一際大きくなったのを感じた次の瞬間に、
びっと引き裂けるような痛みが、体の奥で走った。

「……華音、終わったよ」

茫然と股間を見下ろすと、あたしのあそこから、
ミーナが鮮血と粘液にまみれた指先を抜き出すところだった。
血の一部はコンクリートにも滴り、赤黒い汚点を作った。

まだ体の中では疼くような痛みが残っていたが、
心の痛みは比べ物にならないぐらい大きかった。

あたしの、グレードが下がってしまった……。

こんなこと、彼にだって話せない。
いや、話したって信じてくれるわけがない。
きっと彼は、あたしがどこかのいい加減な男と寝て、
処女を捨てたんだと思うだろう。
こんな失くし方するんだったら、さっさと捨てときゃ良かった……。

なんで、あたしばっかりがこんな理不尽な目に遭わされるのよ?
あたしがこんな目に遭わされるような世界なんて、
今すぐに滅んでしまえばいいのに!

あたしの肩が激しく痙攣し、目から涙がとめどめなく溢れた。
ミーナの見守る前で、あたしは両足を開いたまま泣き出した。

ミーナはあたしの頭を無言で抱きしめ、そっと髪を撫でた。
なぜか今度は、ミーナの手を払いのける気になれなかった。
ミーナの胸の中で、あたしは泣きじゃくり続けた。

          *           *

その後に男がやらせた事に比べれば、
この二つの行為などは、ほんの序の口だった。
その後一時間近く、男はあたしとミーナの体には指一本触れないままで
あたしとミーナをいたぶり、心と体を汚し続けた。

「……アナタ、何のためにこんなコトをするのですか?
 ワタシたちを苦しめるの、目的ですか?」

最後にミーナが地面に顔を落としたまま、ぽつりと呟いた。

「ダケド、ワタシたちを苦しめて取材をやめさせるツモリなら――
 ムダです。ワタシはやめないです。
 ジャーナリストの使命、だから……。
 ワタシがジャマなら、さっさとイノチを奪うといい。
 デモ、忘れるな……」

ミーナが怒りを込めて、きっと男の顔を睨み上げた。

「ジャジメントの犯罪を追ってる記者、ワタシだけじゃない……。
 いつか、アナタたちのやってきたコトのすべてが、
 明るみに出る日がくる。ワタシをコロしたコトも、含めて」

女性として最低の姿勢を取らされていたにも関わらず、
全裸のまま男に言い放ったミーナの姿には、驚くほどの威圧感があった。

ミーナの言葉に、男が肩をすくめた。
「誤解があるようですねえ。
 私は、ミーナさんや華音さんを殺すつもりはありません。
 むしろこれから、お二人が殺されるのを、止めるつもりなんです」

男がわたしたちの前に、黒光りする物をふたつ置いた。
それは地面に当たって、がちゃりと音を立てた。

……拳銃? 本物の?

「さあ、二人とも《その拳銃を捨てておいて》」

あたしたちは裸のまま、のろのろと拳銃を拾い上げた。
重たい。明らかにモデルガンじゃない。
あたしはもう抵抗する気も無かったが、ミーナは違っていた。
拾った拳銃が本物だと気付いた瞬間、
ミーナは反射的に引き金に指を掛けて、男に向けた。

しかし、男の言葉の方が早かった。

「《その拳銃は、私に向けてください》。
 ジャーナリストが人殺しとは、世も末です。
 そんなちゃちな銃では私は殺せないんですけど、
 ミーナさんには、ちょっと、罰を与えてあげましょう」

男が一語一語の効果を確認しながら、次の命令を出した。

「お二人とも、《両手を拳銃から離して、引き金から指を離して、
 そして、お互いの心臓から狙いを外して》」

あたしとミーナは正面から向かい合うと、腕を伸ばし、
両手でしっかりと握った拳銃を、それぞれ相手の胸に向けた。
あたしの構えた銃口が、ミーナの褐色の肌に包まれた微かな乳房の膨らみに食い込んだ。
ミーナの銃口も、ミーナよりはやや淡い褐色の、あたしのDカップの乳房に食い込んだ。
むき出しの肌に触れる口金の感触が冷たかった。

あたしは自分の胸に触れている銃口から目を上げた。
青ざめたミーナの顔がそこにあった。あたしの顔は、もっと青ざめていたに違いない。

これは……ミーナと殺しあえってこと!?

「では、最後の実験を行わせていただきます。
 華音さんは、そのままくつろいでいてください――

 でも、ミーナさんは、《右手の人差し指を、真っ直ぐ伸ばしてください》」

ミーナの指がぐっと曲がって、引き金を半分ほど引いた。
ミーナの持つ銃の撃鉄が微かに持ち上がったのが、はっきりと見えた。

次の瞬間、ミーナは歯を食いしばり、全身全霊の力を込めて
人差し指を再び伸ばした。撃鉄はゆっくりと元の位置に戻った。

「何をやってるんです? さあミーナさん、
 《指を伸ばして》♪ 《しっかりと伸ばして》♪」

いやだ。

こんなところでなんか、死にたくない……。
よりによって、こんな薄汚い路地裏で……。

ううん、たとえ他のどんな場所でだって、死にたくない。
あたしは、まだ二十年ちょっとしか生きてない。
海外旅行だって、五回しか行ってない。

あたしは自分が死ななければならない理由があるかどうか考えたが、
ひとつも思い付かなかった。
逆に、ミーナが死ななければならない理由なら、
数え切れないくらい思い付けた。

どう考えても、この状況で死ぬべきなのはミーナの方だ。

あたしがこんな目に遭ってるのは、ミーナが行った取材のせいなのだ。

もし仮にあたしが死んで、ミーナが生き残ったとしても、
そもそも相手はミーナの口を塞ぐのが目的なのだから、
すぐにミーナも殺される。あたしの死は、ただの無駄死にだ。
でも、ミーナの方が先に死ねば、
あたしを生きたまま解放してくれるかもしれない。
そうだわ……きっと、解放してくれるわよ。
だってそうなったら、あたしを殺す意味なんかないんだもの。

そうだわ、あたしは撃つ。撃つ。撃つんだ。
ミーナに撃たれる前に。

「ミーナさん、《ちゃんと右手の人差し指を伸ばして》。
 何やってるんですか? それ以上指を曲げたら、
 妹さんが死んじゃいますよ?」

「華音……ウって……」
ミーナの指は再び大きく曲げられ、
撃鉄はさっきくらいの位置まで持ち上がりつつあった。
「ハンドガンのタマなら、ネラいが少しズレれば、
 心臓の近くをカンツウして、助かる可能性はある……」

ほら……ミーナもああ言ってくれてる……。

あたしの構えた銃口はしっかりとミーナの胸に食い込んでいて、
到底狙いを外す余地があるとは思えなかったが、
でも、それはミーナの銃口の方も同じことなのだ。

あたしは、ミーナを撃つという決意を変えなかった。

映画や小説なら、ここで引き金を引かずにミーナに撃ち殺されるのが、
カッコいい死に様とか言われるんだろう。
でも、あたしはそんなのは御免だ。
自分が死んだ後でカッコいいとか言われて、何になるんだろう?
あんなのは、映画の中だけの嘘だ。
現実の人間があたしと同じ状況に置かれたら、
誰だって、あたしと同じ選択をするに決まってる。

撃つんだ。撃つんだ。撃つんだ。
あたしは自分にそう言い聞かせ続けた。

この状況でミーナを撃ち殺した事を責められる人間が、どこにいる?
いたとしたら、とんでもない偽善者だ!

「カ……華音……ナニやってるの……?」
汗びっしょりで銃を構えたミーナが、泣きながら声を震わせた。
「モ……モウ……持ちこたえられナイよ……」

――でも、あたしの指は、どうしても引き金を引けなかった。

「さあミーナさん、《指を伸ばして!》 《伸ばして!》 《伸ばして!》」

「ア……アア……ア……」
ミーナがフラフラになりながら、最後の抵抗を試み続けていた。

「――そうだわ、そうに決まってる」
あたしは男を睨み付けた。
「あんたがやったのね! その超能力かなんかで……
 あたしが引き金を引けないようにしたんでしょ!?
 それで、あたしが引き金を引こうとしても引けない様子を楽しんでんのね!
 あんた、最低だわ! 悪魔! 外道! バナナ!」

「はあ? 私はそんな事はやっていません」

「……嘘よ! だって、だって、それ以外に、あたしがこの状況で
 引き金を引けない理由なんて、思い付かないもの!」
わんわん泣きながら、あたしは言い続けた。
自分が何を喋っているのかもわからなかった。
「もういいわよ! 引き金を引きなさいよ!
 あたしがさんざん裏切り続けたミーナに撃ち殺されるなら、それで本望よ!」

「華音……ゴメンね。
 デモ、アナタを一人ぼっちにはさせナイ……
 ジャジメントを潰したら……
 姉サンも……スグ、アナタのところに行くヨ……」

あたしの目の前で、ミーナががっくりと頭を垂れた。
ミーナの心の折れる様子が、あたしには見えた。

あたしはぎゅっと目をつぶった。
心臓を撃たれて死ぬのは、どれくらい痛いのだろうか。
何秒ぐらい苦しむのだろうか。
死んだあと、あたしはどこへ行くのか。

ミーナの銃が火を吹くのを、あたしの胸が弾けるのを、
血が噴き出すのを、あたしはただ待った。

しかし、あたしの耳に聞こえてきたのは、耳を聾する銃声でも、
あたしの肋骨が砕ける音でもなかった。
ただ、激針が空の薬室に落ちる、カチンという音だけっだ。

「へ?」
「カ……ラ……?」

ミーナの銃には、弾は入っていなかった。

「――かつての私は、生物の本質とは生存への執着であり、
 自己の生命への執着以外のいかなる欲求も、
 生物の、そして人間の本質ではないという信念を持っていた」

まだ拳銃を持ったままのあたしとミーナを見下ろしながら、
男が、それまでとは打って変わった静かな口調で語り始めた。

「しかし最近になって、その信念を覆すような実例を、
 私は目にする事になった。
 ひょっとしたら、人間の中には、自己の生命への執着に優先する、
 ある種の感情が存在するのかもしれない――」

男はここまで喋って、大きくかぶりを振った。

「――だが結局のところ、それはごく一部の特別な人間のみが
 抱く感情ではないのかという疑問が、私に付き纏った。
 だから、私は知りたかった――その感情は最も利己的な人間、
 常に他人が自分に何かしてくれる事しか考えていないような人間にも
 潜む物なのか――それが知りたかった。
 そして、私の見た武内華音という人物の資料は、あらゆる点で、
 彼女が利己的な人間の申し分ないサンプルである事を示していた」

なんだかあたしの事をボロクソに言われてるような気がしたが、
もう、反論する気力もなかった。

「私の以前の信念の方が正しければ、自分の命に危険が迫っているという
 確信が得られた時点で、華音さんは迷わず引き金を引く筈だった。
 しかし、実際の結果は違った――
 彼女の理性は引き金を引く事を選んでいたのに、感情はそれを拒んだのだ。

 ――あなた達のお蔭で、解答に一歩近づけたような気がする。
 お礼を言わせて頂きます、ありがとう」

そう喋ると、男はくるり振り返って路地の奥へ歩き始めた。
しかし、数歩進んだところで男は立ち止まった。

「そうそう。ミーナさんと華音さんの資料は、
 私が閲覧を終えた後に、《残さず保管しておくよう》
 資料室の社員に命じておきました。
 だから当分の間は、ミーナさんは以前ほどジャジメントの取材妨害に
 悩まされずに済むと思いますよ」

向こうを向いたまま、男は軽く手を振った。

「もう、二度とお会いする事はないでしょう。さようなら。
 ――では、お二人はそこで、《ずっと起きていてください》」

その言葉を聞いた瞬間、猛烈な睡魔が襲ってきた。
あたしとミーナは手をつないだまま、泥のような眠りに落ちていった。

          *           *

「それは、大変だったな」
ダイニングテーブルの向こうで、あたしの話を聞いていた彼が頷いた。

……本当に、あの後が大変だった。

翌朝、生まれたばかりの仔犬のように、
全裸で抱き合ったまま路地裏で眠っていたあたしとミーナは、
大勢の通行人に発見された。
すぐにパトカーが呼ばれ、その傍から弾丸は入っていないとはいえ
本物の拳銃が二丁発見されたために、話がややこしくなってしまった。

結局、ミーナの協力者の赤井とかいう刑事に相談し、
表向きは、ミーナが取材していた某犯罪組織に拉致され、
二人で拷問を受けていた、という事にしておいた。
あれから二週間経つが、ミーナはいまだに事件の証拠を集め、
ジャジメント告発の材料を揃えるために、走り回っている。

彼にもあの晩の出来事は、詳しくは話していない。
いずれは本当の事を話すつもりだけど、今はとても話せない。

それに、黒幕は彼の所属している球団の親会社なのだ。

「……そうよ、なんであの晩、一緒に来てくれなかったのよ!」

話している内に、猛然と腹が立ってきた。

「いや、俺が一緒に行こうかって行ったら、
 一度お姉さんと二人きりで話してみたいからって、
 華音が断ったんじゃないか」

「ああいう場合は、たとえあたしがそう言ったとしても、
 強引に付いてくるのが彼氏ってもんでしょ!
 あたしがあんな目に遭ったのも、アンタのせいみたいなもんだわ」

あたしはダイニングテーブルを力任せにガンと叩いた。

「大体、まだ心の傷も癒えてないあたしに、
 あの事件の話をさせるなんて……
 あんた、無神経にも程があるわよ!
 ドジ! クズ! ゴミ! 役立たず!」
思わずカッとなったあたしは、まだ半分ほど中身が残ってたティーカップを投げ付けた。

アールグレイをぶちまけながら宙を飛んだティーカップは、あわや彼の顔面に
命中するかと思ったが、彼は反射的に手を伸ばして叩き落し、カップは粉々に砕けた。
惜しい。さすが腐ってもプロ野球選手だ。

「払い落とすぐらいなら、何でちゃんと受け止めないのよ!?
 それジノリなのよ!」
「知るか!」

          *           *

その後は例によって大喧嘩となり、彼は怒って帰ってしまった。

ああ、またやっちゃったわ……。
あたしが投げた物で散らかったダイニングを片付けながら、あたしは溜息をついた。
でもいいや、彼とはこんな事はしょっちゅうだし、
それに、あたしの言った事は間違ってないし。

一人きりでぼんやりとダイニングに座っていると、無性に寂しくてたまらなかった。

玄関のドアががちゃがちゃと乱暴に開かれ、ドタドタという足音が響いてきたのは、
その時だった。

「ヤッホー♪ きたよ」

ダイニングのドアを開けて、ミーナが勢いよく飛び込んできた。

「……どうやって入ったのよ!」

あたしがそう叫ぶと、あたしの真向かいにある、さっきまで彼が座っていた椅子に
腰を下ろしたミーナは、きょとんと目を見開いた。
「カギ、あいてたよ?」

「あいつ、出て行く時に鍵を閉め忘れたわね!」

「エントランスのカギは外からは閉められないんだから、
 この場合はむしろ、華音がカギを閉め忘れたんじゃナイの?」

「屁理屈言うな! ……もう、どいつもこいつも!
 出てって! 今すぐ出てって!」

あたしがそう言うと、ミーナはしょんぼりと立ち上がり、玄関に向かった。
その後姿を見ていたあたしは、知らず知らずの内に声を掛けていた。

「あの……姉さん」

その一言だけで、姉さんには全て通じた。

玄関まで行きかけていた姉さんは、にこっと笑いながら振り向いて、
あたしに手を差し出した。

「サ、行こうか♪」

          *           *

あたしと姉さんは一緒にシャワーを浴びると、
手をしっかりと繋いだまま、バスタオルだけの姿で寝室へ向かった。
寝室へ入ると、姉さんはバスタオルを落として、
愛らしい仔犬のような褐色の裸体を、あたしの前に惜しげもなくさらした。
その姿のまま姉さんはするりとベッドに滑り込むと、
布団を持ち上げて、あたしの入る場所を作ってくれた。

「おいで、華音♪」

あたしもその場にバスタオルを落として、姉さんの横に潜り込んだ。
姉さんの体には、まだ湯気のぬくもりが残っていた。

お互いの頭に両腕を回し、唇を求め合う。
一分ほどディープキスを続けて、唇を離すと、
交じり合ったあたしと姉さんの唾液が糸を張った。

次に、あたしは姉さんの薄い乳房に顔をすり寄せた。

「華音はホントに甘えんぼサンだね」

姉さんはくすくす笑いながら、あたしの頭を優しく撫でた。

「だって、今までは甘えさせてくれなかったじゃない。
 悔しいな、姉さんと一緒に暮らしてた時に、
 もっと甘えときゃ良かった……」

「ウン、だからこれからは、イッパイ甘えるといいよ」

こうやって姉さんの胸の中にいると、
世界で一番安心できる場所にいるって気がする。

あたしが目を閉じると、姉さんはあたしの知らない国の言葉で、
子守唄を歌ってくれた。

そして、あたしは安らかに眠るのだ。

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