白瀬芙喜子は欲求不満だった。
CCRが壊滅してから約一年、それなりに充実した生活を送ってきたと思う。
戦いの中に身を置くことは望むところではあったし、
勝利の味は何度味わっても良いものなのだから。
 ……だが、彼とデートをする――いや、ぶっちゃけてしまうなら、
セックスをする機会が激減したのは予想以上に辛かった。
メールや電話は頻繁に交わしていても、それだけで肉体は満足しないのだから。
「…………」
 カタカタカタと、机の上のノートパソコンが音をたてる。
現在彼女がいるのは大手チェーンのレストラン。
戦いは何も殴り合ったり撃ち合ったりするだけではない。
できるだけスマートな手段を取るために、パソコンは必須といえた。
まあ、そんなことはあたり前すぎてどうでもいいことなのだが。
「…………ふぅ」
 プロ野球選手の宿命として、シーズン中、彼は日本を転々としている。
それは芙喜子も同じようなものだが、彼の遠征先に毎回姿を現していては、
自分たち二人に致命的な結果をもたらすことになるのを彼女は知っていた。
 ただでさえ行動パターンを把握されているんだし、これくらい我慢しないとね。
内心でつぶやきながら芙喜子はコーヒーカップを掴み、残り少ない黒色の液体を飲みこむ。
最後に彼と会ったのは二か月前、その時は十分に満足した結果に終わったが、
若い肉体は時折無性に人の肌を恋しがる。
 それをコントロールできないほど、芙喜子は、自分の求める白瀬芙喜子は弱くない。
だが――
(……依存、はしてないと思うけど。ちょっとまずいかしらね)
 彼と共に生きることを決意してから、彼と過ごす時間が一層楽しくなった。
愛なんて言葉をまともに論じる気にはならないけれど、そう悪いものでもないと最近は思う。
 ずいぶん馬鹿らしいことを考えていることに気づいて、芙喜子は心の中で笑い、
彼に感化されているのかも、なんてことを思いついた。
 それも悪くないと思える自分はずいぶん変わったのかもしれない。
「…………よし」
 作業が一段落して、芙喜子はノートパソコンの電源を落とした。
左耳につけたイヤホンから終了を告げる音が聞こえ、暗い画面が自分の顔を映し出す。
(とりあえず、トイレにでも行こうかしらね)
 コーヒーは考えをまとめるのに必須であるが、尿意をもたらすのは欠点と言えた。
パソコンを片付け、軽く伸びをして立ち上がり、トイレに向かう芙喜子。
 何が待っているかを、知るはずもなかった。



「……んっ」
 用を済ませ、秘所を紙で拭くと同時に、そこが妙に濡れていることに気づく。
どうやらいろいろと妄想しているうちに、若干興奮してしまっていたらしい。
ホテルに帰ったら、処理しないといけないわね。嫌々ながらそんなことを考える。
一人遊びは確かに気持ちのいいものだが、ひどくむなしくもある。
 イライラしながらパンツを履こうとしたところで、妙な音が聞こえた。
どうやら隣の個室に誰かが入ったらしいのだが――何かがおかしい。
眼を閉じ、意識を集中する。聞こえてきたのは――
「ん……ぷはっ、おい! いきなりこんなところに連れこんで何するつもりだ!」
 男の声だった。声をできるだけ殺そうとしてるようだったが、薄い壁には効果がないようだ。
 しゅるしゅる、ぱさり。遅れて衣ずれの音もかすかに聞こえてくる。
この二つの音から、導き出される答え、それはつまり。
「何って……ナニだけど」
 女の声。どこか熱を帯びた、男を誘う響きを持つ音。
言葉が終わると同時に、小さな水音が聞こえてきた。
まるで舌を絡ませ、唾液を交換しているような――ようなというより、そのものの音が。
「んっ、さすがにここじゃまずい……う!」
「そんなこと言ってるけど、もう準備万端じゃん。……あたしもだけど」
 片手でモノを握り、残った手で男の手を自らの秘所に誘い、いたずらっぽく笑う。
そんな女を想像してしまうような音。
……いたずらっぽくなんてのは想像でしかないが、恐らく当たっているのだろう。
芙喜子には妙な確信があった。
「う……しかし、誰かに見られたら」
「大丈夫だって、お店はガラガラだったし、個室も全部空いてたから」
「うーん……」
 ハッと目の前を見る。そこには鍵のかかっていない扉。
つまり空室を示す緑色が、外からは見えることになる。
(あ〜〜〜〜!!!)
 叫びだしたいのを何とかこらえ、頭を抱える。
敵に襲われたときにはカギが開いていたほうがいいとはいえ、
いくらなんでも間抜けすぎる。
 いや、まだ希望はある。芙喜子は顔をあげた。
男はあまり乗り気ではなったようだし、このまま出て行ってくれれば……
「……まあ、いいか」
(諦めないでよ!)
 心の中で全力で叫ぶ。全力でと言っても届くわけもない。
吐息のこぼれる音、密着した肌が擦れる音が耳に届き。
「ん……ふぁ、あぅ」
「ホントに準備万端だな、これなら……」
「ん〜〜〜!!!!」
 小さな悲鳴、どうやらいきなり繋がったらしい。
男としてはできるだけ早く終わらせたいだろうし、
女もずいぶん出来上がっている様子だったため不自然ではない。
芙喜子としても早く終わってほしいため、それは別にかまわないのだが……
(うぁ……音が、やばっ)
 じゅくじゅくと、膣内を掻きまわす音が聞こえてくる。
壁のすぐ向こうで、女が抱かれている。
それを想像するだけで、体が火照り、股間が疼いてくる。
音を立てるわけにはいかない、それはわかっていたのだが……
(……ちょっとぐらい、いいわよね?)
 手を伸ばす、湿った感触のすぐ後に、大きな痺れが走った。
「んっ!」
 ヤバい、そう思った時は遅かった。
隣の部屋の音が止まる。
「……今何か聞こえなかったか?」
 手を口に当て、呼吸を止める。
芙喜子には数分ぐらいなら呼吸を我慢できる自信があった。
顔を真っ赤にしながら、ただ時が過ぎるのを待つ……
「気のせいじゃない? それよりも、その、もっと……」
「…………わかった」
「はぅ! んっ、いいよぉ……」
 短い嬌声と、再び肉棒が暴れる音が聞こえてきて、芙喜子はゆっくりと息を吐きだした。
口元を押さえていた手を離し、太ももに置く。
大人しくじっとしておくべきだ、そう思うものの手が勝手に動いてしまう。
(……さすがに同じ失敗は繰り返さないようにしないとね)
 ゆっくりとポケットからハンカチを取り出し、口に咥える。
何か間違っているような気がしたが、あまり気にしないことにした。
「うぁ、んっ、あぅ!」
 後ろから突いているのか、肉の激しくぶつかる音がトイレに響きだす。
芙喜子もハンカチをかみしめながら、自らの秘所を弄りはじめた。
流れ出す愛液が太ももを伝い、床へと垂れていくのを見ながら絶頂へ歩んでいく芙喜子。
左手で豆をいじりながら、右手を自らの内部へと侵食させる。
アブノーマルな状況が、普段とは違う興奮を芙喜子にもたらしていた。
「ん〜〜〜!!! んっ! んっ!!」
 女の声が急に小さくなる、声が大きくなってきたのを嫌って、男が口を押さえたのだろう。
 トイレの個室で口を押さえられ、後ろから突かれている。
そんな情景を想像するだけで、体の火照りは最高潮に達しようとしていた。
(……そろそろ……イキそう)
 意識がゆっくりと白に染められていき、
噛みしめたハンカチが唾液でぐしょぐしょに濡れているのを認識したところで、男の声。
「武美、そろそろ……」
 女の返事は聞こえなかったのだが、
首を縦にでも振ったのだろうか、肉をぶつける音が激しくなる。
びちゃびちゃとした音を耳に捉えながら、芙喜子は足をまっすぐと伸ばした。
「……出る!」
「ん〜!! っ!!!!」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!」
 男が限界を伝えると同時に、芙喜子は絶頂を迎えた。
隣の女も絶頂を迎えたのか、手で壁を引っ掻くような音が聞こえる。
伸ばした足が、いや、身体中が小さく痙攣した。
(……ふぁ、出てる……)
 漏らすように愛液がこぼれ出し、便器へと吸い込まれていくのが視界に入って。
「…………はぁ」
ぽろりと口からハンカチが落ちると同時に、芙喜子は熱のこもった吐息を吐きだした。




 隣から物音がしなくなって二十分後。
 もうそろそろ大丈夫だろうと、芙喜子はトイレから出ることにした。
さすがに店内に情事をしていたカップルはいないだろうと高をくくっていたのだが……
(……げ)
 見まわすと、店の奥の方に、
一つのグラスに二つのストローを使っているバカップルがいた。
どこかで見たような顔の男(ものすごく嫌そうな顔をしていた)と、
赤いリボンが印象的な女である。
「……いくらなんでも、これはロマンとは違うと思うんだが」
「いいじゃん、何事も試してみないと」
 聞こえてきた声は、トイレで聞こえた声と全く同じ。
冷汗をたらしながら芙喜子は足早に窓際の自分の席へと向かう。
「…………はぁ。あ、店員さん、コーヒーのお代わりお願い」
 溜息をつきながら座ると同時に、近くにいた店員にコーヒーを頼む。
ばれてはいないだろうが、なんとなく居心地が悪い。
(何やってんだろ、あたし)
 行為の結果、結局残ったのは後悔とさらなる情欲だった。
もう我慢ができそうにない、今夜にでも彼のもとに向かおう。
運ばれてきたコーヒーを口にすると同時に、決意する。
 ――と。
「……二度としないからな」
「どっちのこと?」
「どっちもだ」
「え〜、たまにはあーいうところでするのも悪くないと思うんだけど」
「…………勘弁してくれ」
 ジュースを飲み終わったのだろう、カップルたちが芙喜子の横を通り過ぎていく。
横目で見ると、幸せそうな表情をした男女――男はどこか疲れてもいるようだったが。
 幸せそうなバカップルは見ていてイライラする。
視線を逸らそうとした時――女と視線が絡んだ。
「…………!!」
 こちらを見たその眼は笑っていた。
無邪気な、まるで子供が悪だくみを成功させた時のような瞳!
芙喜子が呆然としている間に、彼らは会計を済ませて出て行った。
金を払っているのが女だったことを不思議に思いながら、芙喜子は。
「……気づかれて、た?」
 つぶやき、テーブルへと倒れこんだ。

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