――春はあけぼの。やうやう白くなりゆくやまぎは――
クスッと笑う。おもむろに浮かんだ、ちょっと懐かしい高校の記憶。
春の、溶けたバターのような、暖かくも少し頼りない光が差し込む部屋の中、私は彼と並んで座っている。
くっつきあって、体を預けて。彼のたくましい両腕に抱き締められると、なんだか、大きな山に護られてるみたいで、とってもほっとする。
高校時代はほとんどなかった、彼と二人、なんの気兼ねもなく過ごせる時間。同じ空気を吸って、互いの息づかいを感じられるほど近くて。

「んん……」

それでも、もっと彼に近づきたい。そう思って身をよじらせると、肩口から唇を塞がれた。

ちゅぱ、ぴちゃ、ちゅ、ちゅちゅ。

お互いの蜜を交換しあって、私たちはもっと親い存在になる。幸せだった。蕩けてしまいそうなほど幸せだった。
けれど、甘い雰囲気に水を差す、うまく言えない切なさも、私のなかにはある。
――明日になれば、この人は遠くなってしまう――
考えるたび、きゅっと身が締め付けられる。でも、そのくらいは我慢できるし、しなくちゃいけない。だって、私の役目は、送り出すことだから。

「んっ……、あ……」

彼の舌が、首筋を這う。
妖しく動くそれは、私の体の芯を痺れさせて、快楽へと誘う毒蛇だ。でも、彼だと思えば。払い除けたりするわけがない。
ゆっくり、ゆっくりなめ回し、存分に毒を生み付けてから、彼は次のステップに――私の胸元に移


ていく。
若干、誇らしい。
家事も、スポーツも、身長も。どれも飛び抜けてる訳でもなく、かといって奈落の底に沈んでいるわけでもなく。
全て、中の上から上の下。そんな私の、数少ない「普通」に埋もれてしまわなかったもの。普通を超えて成長し続け、こんなになった、白い双球。
これだって、自分で価値を見いだした訳じゃない。昔は、確かに人より大きいかな、程度の認識だった。
一目見て羨ましがる友達にも、大きいなりの苦労もあるのよ、とか言って軽くあしらっていた。普通な私を構成する、普通のパーツのひとつ、だったのだ。
でも、ある日。彼が、この大きいのを好きだと言ってくれた日。あの日から、この二つの白桃は、私にとっても特別な存在になった。
「あっ、ん!」
もにゅもにゅと穏やかに感触を楽しんでいた彼が、突如、攻勢に転じる。
ぷくりと勃ち上がった、小さな赤い種を挟まれて、自然と声が漏れ、じわり、下着が少し湿るのを感じた。
……別に、「普通」に不満があるわけじゃない。世の中、平穏無事を手に入れるために四苦八苦している人もいるのだから。
ただ、私だって、……少し恥ずかしいけど、女の子、だ。たまには「特別」なお姫様になりたくなったっていいじゃない。それこそ、「普通」だ。
そして、彼と一緒だと、私は「特別」になれる。ああ、やっぱり寂しい。恋愛ご法度の学校を卒業して、やっと、なのに。


……いけない、表に出しちゃ。彼は、これから血を血で洗う、厳しく険しいプロ野球界に単身飛び込むんだ。せめてちゃんと送り出してあげなきゃ。私に出来るのは、それだけなんだから。
そろそろ瞳が潤い始め、吐息も熱を帯びてきた、そんな矢先、彼の手が止まった。ふと彼を見ると、ぱっと目があった。なんだか直視していられずに、ぷいと目をそらしてしまう。
ダメ、こんなことしたら不審に思われちゃう。そう思って、首ごと視線を向け直そうとしたら。
ぷに。
頬に、指が突き刺さっていた。
「た〜え〜こ」
大好きな声に、名前を呼ばれる。いたずらに成功した子供の、無垢な声。
「……」
でも、なぜか私は返事を返せない。何か言うと、止まらないかもしれない。目の前の彼は、ちょっと首を捻って、もう一度口を開いた。
「タエタエ」
……脳裏に、緑髪の(バカな)友人が浮かんで、消えた。
予想外の一言に虚を突かれつつも、なんとか表面を取り繕おうとした私の努力は、
「なんだか、辛そうだな」
ちょっと、遅かったみたい。
「えっと、色々あって……、でも大したことじゃないのよ。ほら、続けましょうよ」
「いや、大したこと、だ。俺には、妙子はずっと我慢しているように見える」
後の祭り、後悔先に立たず、いろんな言葉が浮かんでは、消える。ああ、バレちゃった。何で彼は、勉強以外にはこうも鋭敏なのだろう。
もういいかしら、強がるのも。たまには甘えてみようかな。
「……正解よ。良くできました」
「はは、懐かしいな、それ」
からからと彼は笑って、そして。
「やっぱり、寂しいよな」
ぽん。彼の固くて大きな手が、わさわさと私の髪を撫でた。
この顔だ。普段はちょっぴり頼りなさ気な彼が垣間見せる、驚くほどしっかりした、泰山不動の男の構え。そのギャップが、とても優しくて、暖かくて、そして、嬉しい。
小説とかドラマなら、ここで私は彼に抱きつくのかも。泣きながら、自分の不安を全部、多少の脚色をつけて、さらけ出す場面だと思う。
……私には合わないわね。甘えるのと、媚びるのは、どこかが違う、そう思う私には。
だけど、もう我慢はなし。今日一日ぐらい、彼に寄りかかって、自然体で過ごすことにしよう。


「ええ、寂しいわ。それに、悔しい」
「悔しい?」
「うん。なんで高校の時、同じクラスになれなかったんだろう、とか、なんでもっと早く出会えなかったんだろう、とか」
実を言うと、出会いそのものは二年の春だったから、そんなに遅くはなかったけど……、ううん、やっぱりあれは除外。
「だけど、寂しいのは我慢できる。悔しいのは、これから埋めていけばいいって強がれるわ。でもね……」
「でも?」
「歯痒いのよ、とっても。これからあなたは、プロ野球選手として生きていくわけでしょ」
「……ああ、そうだな」
「私に出来るのは、そんなあなたを見送ることだけよ。殺伐とした、結果がすべての世界へ旅立つあなたを、その橋のたもとまで送るだけ。私だってあなたの役に立ちたいわ。なのに、昔みたいに勉強を教えたりとか、ほんの些細なサポートすらできないの。
……辛いのよ、そういうのって、どうしようもなく」
目を伏せて、ちょっぴり熱くなってきた目頭を押さえる。最後まで何とか一本調子を保てたのは、私のささやかなプライドだ。
それでも、ついに言っちゃった。私なんかより、もっともっと不安な未来に進むだろう彼に、余計な負担をかけてしまったのかもしれない。
「妙子」
ああ、彼が呼んでる。今、彼はどんな顔をしてるんだろう。
驚いた顔?優しい顔?それとも……
なんでもいいや。今日は甘えるって、さっき決めたばっかりだ。彼の言葉を聞きたい。きっと教えてくれる。私には考えもつかないようなことを、たくさん。だから、顔をあげよう。彼を見よう。
「……」
でも、期待と不安をごっちゃにして、そっと覗いた彼の顔は、訳がわからない、と言った風に、きょとんとしていた。予想の斜め上の彼に、私も混乱する。
「ええと、私そんなに変なこと言ったかしら?それとも、歯がゆいって言葉がわからなかった?それとも……えっと……」
「いや、そうじゃなくて」
さすがに俺でもそれくらいわかるよ、と苦笑して、彼は続けた。
「私に出来るのは、見送ることだけ……って、妙子、言ってただろ。なんでそう思ったのかなって、不思議になってさ。」
「なんでって、だって、しばらく離れ離れになっちゃうから、お料理とか作ってあげられないし、私はスポーツ医療とか詳しくないし……、あ、もしかして今から勉強すべきなのかしら。
でもダメよ、どう頑張っても向こう一年はかかっちゃうわ!」
だんだんパニックになってくる。回らない頭で必死に思考を巡らせていると、ふと、正面からの熱い視線を感じた。じぃーっと、彼が私を見つめている。
「ど、どうしたの?」
「いや、やっぱりかわいいなぁって」
「ええ!?」

唐突に誉められて、嬉し恥ずかしでいっそう加熱する頭。きっと顔も真っ赤だろう。
今時珍しい、ソフトボールみたいな下手投げ――アンダースローと言うらしい――の彼は、その投球に違わぬ緩急と変化をつけて、私を惑わす。
外から内へ、内から外へと予想外の軌道を操り、私を手玉にとって、そして、
「だって、それ『だけ』じゃないだろ。」
ズバンと投げ込んだ。私の胸元に、迷いない真っ直ぐを。
「だって……、でも……、他になにがあるって言うの?」
「わからないかな?妙子は頭いいのに」
「……わからないわ」
皆目見当がつかなかった。数学の難問よりも、難解な英語の長文よりも、何よりも、ずっと。
「じゃあさ」
苦しむ私をみかねたのか、彼が救い舟を出した。
「もし俺がシーズンオフに帰ってきて、妙子に会いに行ったら、妙子はどうする?」
「どうするって、決まってるわ。抱きつくわよ。多分、人目もはばからずに……、あ」
ぱん、と、なにかが弾けた。ぐちゃぐちゃだった疑問のカケラが、整然と並んでいく。ようやく、理解できた。彼の言わんとしていたことを。
「私は、待てる。出発したあなたが、無事に帰ってくるのを。……あなたの帰る場所を、私は作れるわ」
「うん、ありがとう、妙子」
お礼を言いたいのは私の方だった。またひとつ、彼は「特別」を私にくれた。泣きそうになった。よくわからないけど、無性に。
でも、それは私らしくない。根拠は何処にもないけど、私がそう思うから、根拠なんていらない。
涙を堪えて、私は彼に身を寄せる。今度は私から、彼の唇を塞ぐ。一度収まった痺れが、また首をもたげてきた。
今度はきっとノンストップだろう。


「……んちゅ」
「ふう……。なぁ妙子、今日はずっと一緒にいような。まだ昼の二時だから、明日俺が出発する朝九時まで……あれ?七時間しかない?」
「なんでそうなるのよ。十九時間、ね」
「そうだったか。まぁとにかく、短いかもしれないけど、でも沢山には違いないんだ。それまではずっと二人っきりでいような」
「う、うん……ひゃあぁ」
計算ミスの照れ隠しか、不意打ちぎみに彼は私の胸に手を伸ばしてきた。さっきよりちょっと強く、荒く、ぐにゅぐにゅと揉みしだかれる。
「大きくて、柔らかくて、気持ちいいよ、妙子。やっぱり俺は妙子のおっぱいが好きだ」
「もう、バカね……」
「うん、知ってる。ところで……」
何の悪びれもなく言って、彼はスカートの中に手を入れた。ちょっと意地悪く彼が笑う。自分でも、さぁっと赤面していくのがわかった。
……私のソコは、もうびちょびちょだ。
「随分グショ濡れだな。興奮しちゃった?」
「あなた、が」
「俺が?」
「あんなこと言うから」
「うん」
「私、感動して」
「うん」
「それ、で」
「……そうか」
ここまでが、私の羞恥心の限界だった。本当に、彼に触れられるだけで、彼の匂いが薫るだけで、止めどなく溢れてしまうのだ。
涙を我慢したツケかもしれない、と、そんな途方もないことを考えてしまうほど、私は敏感になっていた。
「かわいいよ、タエタエ」
「あっ……」
こぷん。また、漏れた。もはや、彼の言葉だけで。
まとわりつく下着が、いやに気持ち悪い。もう、つける意味も、ない。
「ねぇ、その、そろそろ、お願い」
「ん、わかった。……脱がすぞ、腰上げて」
言われるままの私は、黙って体を浮かせる。しゅるしゅるとスカートを取っ払われて、下着一枚になった私の股間に、彼の視線が突き刺さる。
恥ずかしさに身をよじって悶える私を、彼は嬉しそうに観察してから、最後の一枚に手をかけた。
重く、粘着質に成り果てた、白いそれを取り払われて、露になる私の一番恥ずかしい部分。胸の方とは違って、人並み程度にしか成長しなかった茂みに護られた、私と彼だけを繋ぐ場所。
カチャカチャ、金属音が聞こえて、彼が準備を終えた。
「じゃあ、いくよ、妙子」
優しく囁かれた、彼の言葉に静かに頷いて、そして。

私の記憶は、少し途切れる。

目が覚めると、私は彼の腕の中に居た。
ちょっと武骨な作りのゆりかごに、しっかりと抱えられていて、とっても落ち着く。
「おはよう、妙子。いや、おはようはおかしいか」
「……今、何時?」
「えっと、夕方五時、だな。……シャワーでも浴びるか?」
「ううん、いいわ。しばらくこのままで」
彼の頬が、少し緩む。私も、お互い裸のままだったことに気付いて赤面しつつも、少し笑う。五時、という時間より、さっと覗いた窓の外の明るさに、私は安堵した。
「今」
「え?」
ぽつり、彼が呟いた。
「今、俺たちは橋のたもとにいるんだよな」
「……ええ」
「思ったんだ、俺。今俺の目の前にある橋、……プロ野球界への架け橋はさ。高校の仲間と、先生と、監督と、そして妙子。いろんな人の思いの結晶であって、決して俺だけの力で建てたわけじゃない。
最初は、プロ初勝利で、って思ってた。でも、ダメだ。初勝利だけじゃ、せいぜい全体の八分の一がいいとこだ。だから、俺は決めた。
……妙子、俺は新人王を取る。そして、自分で妙子の元へと帰る橋を作る。頑張って作るから、二つ目の橋が完成した、その時は」
一旦言葉を切って、軽く深呼吸して、私と目を合わせて、彼は力強く言った。
「二人で、三つめの橋を作ろう。二人で歩く、どこまでも続く、長い長い橋を……、って、どうして笑う」
「ご、ごめんなさい……、っく、ちょっと、クサい、かな、って……、あはは……」
これはウソ。だって、笑わないとバレるじゃない。
「確かに否定は出来ないけど……、って、あれ?妙子、もしかしたら泣いてないか?ん?タエタエ?」
バレた。やっぱり、彼は鋭い。勉強以外は。
なんだか悔しいから、強がってやる。
「気のせい…、よっ」
「って、たえこ、柔らか……、大き、埋もれ、くるし、い、いき、むぎゅ」
両腕で目一杯、彼を抱き締める。だんだんぷるぷる震えてきたけど、そんなの気にしない。
……そうだ。決めた。データベースを作ろう。そして、シーズンオフには打者 ごとの苦手コースとか、癖とかをとことんテストしよう。
うん、名案名案。
えい、えい、おー、と一人気合を入れていたころ、わたしはまだ知らなかった。
私の腕の中で、窒息寸前の彼が、大好きな彼が、天国への橋に一歩足をかけていたことを。

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