「うでをおおきくまわして〜せのびのうんどう〜」
 調子外れの声が寝起きの頭に響く。
もそもそと寝袋からはい出して、大きな欠伸を一つ。
小波はそのままゆったりと動いて、テントを出た。
一月初めの身を刺すような寒さに、意識が瞬時にはっきりと覚醒する。
「い〜ちに〜さんし〜〜」
 テントを出てすぐそこの場所に、小波の旅の道連れ――広川武美がいた。
ラジオもないのにラジオ体操を歌っている。
歌っているだけならまだしも、それにあわせて踊っていた。
くるくると、ぴょんぴょんと。
繰り返すが、体操をしているのではなく、踊っていた。
「武美……」
「いちに〜……?あ、おはよう小波さん。今日もいい天気だね」
 振り返る武美、無意味なほど明るい笑顔。
……いや、無意味などではないが。
「そうだな……ところで一つ聞きたいんだが」
「なに?」
 不思議そうな顔に変わる武美に、
「……何故ラジオ体操をしているんだ? まあ、時間はあっているかもしれないが」
 小波は先ほど浮かんだばかりの疑問を発した。
薄暗い公園の景色、早朝と呼べる時間なのは間違いない。
ラジオ体操の時間にはふさわしいと言えるだろう。
だが周りに人気はなく、もちろんラジオ体操をしている人も見えない。
……というよりこんな寒いのにそんな酔狂なことをする人も滅多にいないだろうが。
「いや、ネットで聞けるところがあったからさ、ちょっと試してみたくて」
「ああ、なるほど……いや、答えになってないよう気がするが」
「気のせいじゃない?」
 すぐに帰ってきた答え、納得はできなかったものの。
(……武美だから、な)
 そんなものだろうと納得して、とりあえず顔でも洗おうと公園の水場へ移動しようとしたとき。
「そこのあなた達!」
 冬の寒さより冷たい声が、彼を射抜いた。
驚き声の方向を向くと……きょとんとした武美の顔、その後ろに。
「何故このようなところに寝泊まりしているのですか?」
 ジャージ姿の女性……おそらくジョギングでもしていたのだろう。
きりっとツリあがった目、強い意志を感じさせる瞳。
当然背筋もピンとただしており、ジャージ姿なのに気品さえ見える。
そんな女性――仮名としては『お嬢様』が正しいだろうか――がこちらを睨んでいた。
「あ、すいません。ここは寝泊まりしてはいけない場所でしたか」
「普通に考えてそうでしょう、ここは皆が使う場所なのですから。
……特にあなたたちはまだお若いのですから、このような生活をする必要はないはずです」
「…………そうですね」
 侮蔑……いや、憐みか、もしかしたら励ましかもしれない。
そんな感情のこもった声ではあった。
(……必要はあるんだけどな)
 とはいえ、このようなクレーマー(向こうが正しいのだからこの表現は正しくないが)
は、旅生活では日常茶飯事である。
もとより、今日の時点でこの場所を離れる予定だった小波にとっては、
特に動揺することのない出来事。
……小波にとっては。
「あ〜ちょっといい?お嬢ちゃん」
 声、今までやる気のなさそうな顔で状況を見守っていた武美が、
お嬢様(仮名)にふらふらと近づいていく。
自分のことをあまのじゃくと自称している武美……ようするに、
駄目と言われたら抵抗したくなるということなのだが。
その性格がどうやらなにか災いを起こそうとしているようだった。
「……私のことですか?」
 お嬢ちゃんと呼ばれることをよしとしなかったのか、お嬢様(仮名)は眉を吊り上げ、
武美の方を睨む。
「おい、武美!」
「いいからちょっとまかせてって。……あのさ、
あたしたちもここを去りたいのはやまやまなんだけど、ちょっと事情があって」
「……事情、ですか?」
 睨みながらも、話を聞かないほど怒っているわけではないらしく、お嬢様(仮名)が聞き返す。
武美がにやりと笑い……
「ん〜ちょっとお耳を拝借」
「……?」
 お嬢様(しつこいようだが仮名)に何かを語り始める。
止める必要も感じず、見守る小波。
(ぼそぼそぼそぼそ)
「………………」
(……して、……から、……で)
「!?!?!?!?!?!?!!?」
(……が、……で、……なんて感じで)
「!!!!!!!!!!!!!!!」
「…………と、いうわけで、腰が痛くてさ」
 武美がいったん話を締めくくったときには、
(仮)お嬢様の顔は真っ赤に染まっていた。
 彼女はそのまま小波の方へと視線を向け。
「……女性の敵!」
「うおっ!?」
 瞬時に間合いを詰め、正拳突きをしてきた。
小波は体を捻って拳を避ける……が、もとよりそれはフェイクだったのだろう。
そのままこちらの腕へと手を伸ばし……
「!」
 掴もうとする腕を、相手の勢いに逆らわずに引き寄せる。
……長い髪から、シャンプーの香りがした。
「……っと」
「キャッ!」
 押し倒して関節を極めようかとも思ったが……さすがにそんな野蛮な真似はできずに、
相手を突き飛ばして様子を見る。
お嬢様(もう仮名じゃなくてもいいか)は先ほどよりも鋭く目を細め、こちらを睨んできた。
どうやら本気を出してかかってくるつもりらしい。
「ちょっとちょっと、まだ話は途中だって」
 お嬢様と小波の戦い(10秒にも満ちていないが)に面食らいながらも、
武美がお嬢様に近づく。
「しかし、いくらなんでもひどすぎますわ!
ただでさえ……なのに、あまつさえ……………」
 ところどころごにょごにょと言葉を濁すお嬢様。
真っ赤に染まった顔は、耐えがたい恥辱に耐えているような雰囲気ではあった。
「まぁまぁ、えっとね実は……」
「!!!!」
 武美が再び耳元に口をよせて、何かをささやき始める。
戦闘態勢を解く小波……その頃には武美が何を語っているか、予想はついていた。
(………に、……を挿れて……を噛んで……)
「!!!?!?!?!?!?!?!???????!?!?」
(……を、……して、……ちょっと無理な体勢で……が、……を……いて)
「……………」
「……………てな感じで、お互いちょっと張り切りすぎたって言うか。
……今日一日はこの公園でゆっくり休もうかなって」
武美のトークが終わる。
「…………こ」
「こ?」
 小さな声が小波の耳に届いたと思うと、
「こ……これで勝ったと思わないことですわね!」
 お嬢様は思いっきり負け犬のセリフを小波に向かって放ち、
ふらふらふらふらと公園の出口へと去っていった。
「……よし、正義の勝利だね!」
「いや、こっちが悪だろ」
 彼女の姿が消えると同時に、勝利宣言をあげる武美。
冷えた声で突っ込む小波。
「いいじゃん、そんなの適当で」
 へらへらと笑う武美…………頭痛を押さえながら、小波はなんとか問いかける。
「……一応聞いておくが、何を話したんだ?」
「え? 小波さんとあたしの情事をあますことな」
(ぽこぺん)
 セリフの途中で、小波は武美の頭をはたいた。
「……なんで叩くの?」
「自分の胸に聞け」
 上目遣いでこちらを睨む武美を、半眼で睨み返す。
武美は自分の胸に視線を向け……
「えっと…………(ぺたぺた)」
「……」
 胸を叩いて、悲しい擬音を響かせる。そんな武美を尻目に、小波はテントへと足を運び……
「うーん、わかんないや……って、あれ?」
 そのままテントの解体作業を始めた。
「あー! せっかく勝利したのに、移動するの?」
「……悪いのはこっちだからな、面倒事は起こさない方がいいだろ」
 不満げな声の武美に、ただただ冷静に言葉を返す小波。
「そうだけどさ……なんかもったいないって言うか」
「まあ、そうかもしれないが……ちょっと嫌な予感がしてな」
「? 予感? 嫌な?」
 武美の声が不思議そうなものに変わる、実は小波にもよくわかっていないのだが……
「なんだか怖い連中に襲われそうな気がするんだ。……具体的にはシスコンのお兄さんとか」
「……なにそれ?」
 冷たい風が、二人の間をひゅっと掠めた。

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