芙喜子が電話をかけてきたのは夜中の十一時頃だった。
俺はすでにシャワーを済ませ、試合で疲れきった体をベッド預けながら、明日の休日をどのように過ごそうかを考えていた。
やがて意識がかすれ始め睡眠状態へと移行しかけた――丁度その時に携帯電話のアラームが鳴り出したのだ。


「起きてる?」芙喜子は探るように言った。
ああ、と言って俺は荒々しく頭を掻いた。
そして反射的に枕元に外して置いた腕時計に目をやった。
夜光塗料が塗られているので盤上の文字がくっきり浮かんでいる。
つい先程ベッドに入ったばかりなので時間はあまり進んでいなかった。
「ねえ」芙喜子は言った。
「ああ」俺は言った。
「これからそっちに行っていい?」
「駄目だ」
「どうしてよ」
「どうしてよ?」俺は溜め息をついた。そして体を起こして受話器を左耳から右耳に当てた。
「俺は今日、一般的な家庭なら食卓を囲んで談笑するだろう夜の七時から、きちんと生活リズムを守っている子供達ならベッドに入るだろう夜の十時までナイターの試合があったんだ。
さらに言えば今日の試合は乱打戦へと展開したから、身も心もより一層休息を欲しているんだよ。だから俺はもう眠りたい」
「夜の十時に眠るのは早すぎじゃないかしら? 今の子供たちは極めて遅くまで夜更かしする傾向があるわよ」
「その考察は一理ある。――それで、何のために電話を掛けてきたんだ」
「そうそう忘れてたわ」
芙喜子は一間空けて答えた。「あなたとセックスがしたいの」
俺は首を傾げた。頭の中はブレーカーが落ちたように思考が一時的に停止した。
「ちょっと、聞いてる?」
「すまないが」
俺はふたたび受話器を当てる耳を変えた。「もう一度言ってくれないか」
受話器の向こうで芙喜子の溜め息が聞こえた。彼女は繰り返し言うのが嫌いなのだ。
「だからね、あなたとセックスがしたいの」
「君は他人に対して意見を正直に言うことができる。それができるのはとても羨ましいことだ。しかし何かがいささか行き過ぎてはいないか?」
「あら、彼女がセックスしたいって言ってるのに断るつもり?」
俺は黙っていた。
「あなたとしばらくしてないから堪らないの。身体が疼くの。かと言って一人で発散するのは空しい気がするじゃない?」
「品がない」俺は言った。「そもそもどこから電話を掛けてるんだ」
尋ねた直後に何か音が聞こえた。木の板を金槌で叩くような乾いた音だった。
耳をすますと、それは玄関の方から響いているのが分かった。
俺はベッドを下りて部屋の電気を付けた。
そしてスリッパを履いて玄関へと向かい、胸の中に重い鉛を抱えながらドアノブを捻った。
「はーい。こんばんは」
ドアの向こうには芙喜子の姿があった。
いたずら好きの幼い子供が、新たなトリックを閃いたような奇妙な笑みを浮かべていた。
「君にはかなわない」
俺は呆れるように首を振った。


「相変わらず中は殺風景なのね」
「必要な物だけを置くようにしてるんだ」
ふうん、と芙喜子は言って部屋中を舐めまわすように見渡した。
そしてベッドに腰を掛けると、しわくちゃのシーツを床に払いのけた。
「ねえ」芙喜子は言った。
なんだい、と俺は言った。
「愛してる」
俺は首の後ろをさすりながら溜め息をついた。
「君はいつも唐突だ」
「だって本当のことよ。どうしようもないくらいに」
そう言って芙喜子はブラウスの第一ボタンに触れた。
ボタンは滑らかな指使いで上から下に外されいき、やがて彼女が着けている白いブラジャーと緩やかな曲線を描いた腰が露わになった。
俺はふと気付いた。いつの間にかズボンの中で欲望が膨れ上がっていることに。まるで石のように硬さを帯びていた。
芙喜子にそのことが気付かれたのかどうかは定かではないが、彼女は俺を見た後に微笑し、ベッドの上で仰向けになった。
そして「来て」と俺を誘った。
俺には他の選択肢が与えられていなかった。ただ彼女と交わることを除いて。


芙喜子の中はとても熱くとろけそうだった。
幾度のセックスによって彼女の身体は俺に馴染んでおり、俺が刺激を受ける部分を自然に熟知していた。
そのために一瞬でも注意をそらせば、すぐさま彼女に取り込まれてしまいそうになる。
俺は冷静になることを心に留め、一回一回の動作を慎重に行った。
「あなたのセックス、すごく好き。大切に扱ってくれるから」芙喜子は言った。
「それはありがとう」俺は彼女の中から引き抜いて言った。熱を塞き止める壁が危うく崩壊しそうになったからだ。
「これで何回目になるのかしら」
「覚えてないが、少なくとも四回よりは多いはずだ」
「随分と重ねてるのね。あなた、今日の昼頃には指一本を動かせる力も無くなるわよ」
「いつもそうさ。今はとにかく君を満足させようと思う」
体内で渦巻いていた熱がすっかり引き、俺はふたたび自分のものを芙喜子の下にあてがった。
そして「行くよ」芙喜子の中へと入っていった。彼女の口から甘い嬌声が漏れた。
芙喜子は目を閉じ、彼女の腰に添えていた俺の腕を掴んだ。
俺は自分の腕を通して彼女の熱を感じ取ることが出来た。彼女はクールな態度と裏腹に興奮していた。
激しい息遣いと色気を帯びた水音が部屋中を支配し、静かに着々と堆積していた。

「私、もう――」芙喜子は小さく言った。
締め付けの力加減があやふやになり、彼女に限界が近づいて来ている。
俺は彼女の美しい形をした胸に触れた。先端で尖っている乳首をつねった。
そして強引に口付けし、舌を入れた。
彼女の舌遣いは、僕のそれよりも積極的で情熱的だった。
俺は芙喜子に俺の味を与え、芙喜子から彼女の味が与えられた。
互いのぬくもりを交換した。そして共有し、共感した。

俺にも限界が迫っていた。
芙喜子から口を離し、それが少しでも遅れるように意識しながら腰を動かした。
しかしそれは無駄なことだった。彼女を前にしては俺は無力なのだ。
次第に体の奥底から熱が沸き上がってきた。
その熱は心臓が伸縮する度に隅々へと広がっていった。
「だめ、ガマン、できない」芙喜子は言った。
彼女は押し寄せる快楽の波から逃れようと、銀色の髪を激しく振り乱した。
「俺も限界だ」俺は言った。本当に限界だ。
俺はまだ残っている力を腰の動きに集中させた。
そして芙喜子の腰をしっかりと掴み、彼女の奥を貪るように突いた。
「私、イク――」
芙喜子は背を反らしながら硬直し、僕を強く締め付けた。
その刺激を受け、俺も間もなくして絶頂を迎えた。
今まで蓄積していた膨大な量の熱が彼女の中で発散した。


時刻は十一時半、俺は中途半端な時間帯に目が覚めた。
ひどく喉が渇き、必然的に訪れる倦怠感が各部分の神経を鈍らせていた。
まぶたは重かったが、新しい光が部屋を満たしているのは認識できた。

芙喜子はまだ眠っていた。俺の胸に芙喜子の胸が押し付けられている。
彼女の肌は汗がにじんで湿っていた。そこから彼女のにおいがした。
俺はそっと彼女の髪を撫でた。髪の毛の一本一本を丁寧に包み込むように。
すると彼女は目を覚ましてこちらを見た。
「下が、痛いよ」芙喜子は言った。
「いつもより激しかったな」俺は言った。
「そういえば無許可で中に出したわよね」
「それについては謝ろうと思ってた」
「万が一のことがあったらどうするのよ」
「幸いにも年俸は安定している」
何よそれ、と彼女は笑った。
そして俺の首に細い腕を巻きつけ、俺の左胸に耳を当てた。俺の鼓動を聞き取っているようだった。


俺は腕時計に目をやった。十二時を回っている。
今日のお昼、彼女は何が食べたいのだろうか。俺はそんなことを考えていた。

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