自分には才能があった、と思う。
何をやっても一位、というわけではないが、基本的には三位以内に入れた。
もちろんそれは自分の努力だし、そうであってほしいとは願っているのだが、時々それはただの才能で、自分の努力には何の価値もないのではないかと思ってしまう。
いや、価値はあったはずだ。というか、なくてはならない。
ベンチから出てくる小波の姿を眺めて、田島将悟は思っていた。




ベンチの中は暗い。グラウンドには太陽が照っているため、なおさらそれが際立ち、嫌になり、ため息をつく。
 「おつかれさまです」
 一年の疋田がタオルとスポーツドリンクを差し出す。本来なら俺の後を登板するのはこいつだったが、先発が不甲斐なかったため、急きょ小波が登板することになった。
先発? もちろん俺だ。自分が嫌になり、もう一度ため息をつく。
「先輩は頑張りましたよ。あの打線相手に、9回6安打ですよ」
「援護が一点あったのに9回に捕まって一死満塁のピンチを作って、揚句降板して、小波に迷惑をかける。最低の結果だよ。もし、万が一の話だが、あいつがここで潰れたら百パーセント俺の責任だ」
小波が初球を投じる。外角低め一杯の速球。154キロと表示されている。よくもまああんな速球を投げ込めるもんだ。ボールになったのは残念だが。
「小波先輩、調子良いですね」
疋田が俺の隣に座る。肩造らなくていいのか聞こうとしたが、あの監督のことだ。きっと、小波と心中するに決まっている。
「腕を庇いながら投げてる。あのままやってたら潰れるぞ、あいつ」
 小波はここまで4試合に登板して3完投含む33イニングを投げている。普通の高校球児なら潰れてもおかしくないが、あいつはつらい顔一つ見せない。回復◎どころか、鉄人でも持っているのかと思わせるほどだ
 残りの3イニングは俺と疋田がスクール学園なんちゃら高校との試合で投げた。小波と越後の本塁打などで10点以上差がついていたからだ。
 監督に信頼されていない、という悲しさはなかった。三年間小波を見てきた俺だ。そんなもの、生まれるわけがない。
 最初は120キロ程度の速球しか投げれなかった。その癖根性だけは人一倍あり、あの天道相手にライバル宣言なんかした。あいつを言葉で表すなら、「馬鹿」だ
 その馬鹿が、秋の予選で天道を倒した。あの怪物を、化け物を倒したんだ。奇跡を起こしたんだ。
 その奇跡に肖りたいと思うのは、人として当然だ。きっと、俺が監督でも同じことをするし、俺なら全試合に完投させる。
 監督が今まで甲子園に出れなかったのは、そのせいだろうなあ。
 話が逸れたが、そんな馬鹿が、もとい小波が、前日、急に腕が痛いと言い出した。
 皆は焦った。どれぐらい焦ったかというと、越後が赤いすい星だとか言いだして荷田のフィギュアを壊したり、岩田が荷田のフィギュアを食べ物と勘違いして食ったりするほどだ。
 冷静に思い返すと、全然焦ってない。むしろ普通だ。
 だが、俺は焦った。春とはいえ、仮にも甲子園の決勝だ。そこで好投すれば、俺の活躍はプロの目にも止まる。プロに行けば、自分の夢が叶う。
 その意気込みがあって、決意があって、結果が
 「この様か……」
 思わず声に出る。言ってから今の状況だと疋田には誤解されたかもしれないと危ぶむが、疋田は聞こえてないようで、大声で小波に発破をかける。
 「小波さーん! ここで抑えなかったらあの写真高科さんに渡しますよー!!」
 

 小波が笑って、グラブを上に突き出す。普段のあいつなら「やめろー!」であるとか「疋田さんそれだけは勘弁を!」とおどけるだろうが、今のあいつにはそんな余裕はないだろう。
 ところで、あの写真って何だ? 気になったが、気にしてはいけない気がしたので、聞かなかったことにする。
 小波が二球目を投げる。大きく割れるカーブに、超最強学園の三番打者が手を出し、ひっかける。力ない打球は小波の方へとあがる。
 「どけどけでヤンスー!」
 ベンチからでも聞こえる大声を発し、荷田が全力で走り、跳ぶ。その気迫に気圧されたか、小波が慌てて後ろへ下がる。
 荷田は打球を捕り、宙で一回転して、足がもつれて転ぶ。スタンドからは笑い声と、一部の歓声と悲鳴が響く。
 「何やってるんですかね、荷田先輩は」
 「ほんと、何やってるんだろうな」
 「まあ、とにかくツーアウトですからね……」
 「ああ。だけど次は……」
 相手ベンチを見る。超最強学園の監督、皇が下卑た笑みを浮かべている。
 「統道……ですか」
 バッターボックスに相手の四番打者、統道が立つ。
 俺が昔見た甲子園で、兄の統道が活躍していた。つまり、その弟だ。
 「でかいですね」
 190センチはあるだろうか。ガッシリとした体格は現役時代の鬼鮫選手を彷彿とさせる。 
 「確かにでか……お前何で目を輝かせているんだ?」
 「はは……いや、彼が後十歳若かったからな、と思って」
 全身に寒気が走ったので、気づかれない程度疋田から離れる。
 「いやあ、でも良いじゃないですか。筋肉のあるショタって。結構熱くなれるというか、むしろ美として扱うというか」
 無視だ、無視。俺は何にも聞こえていない。
 俺達が遊んでいる間に、小波が初球を投じる。外角低めギリギリの直球。
 だが統道はその長いリーチを生かして打球を捉える。球はバックネット裏の金網へと衝突する。いくら金属バットとはいえ、あんな打球を実現できるのはプロでもホッパーズの諸星くらいだ。
 「無理じゃないですかね」と、疋田が弱気の発言をする。入学当初のこいつなら口が裂けても言わないだろうが、そこは丸くなったということにしておこう。
 「無理ではないだろうな。少なくとも、小波は諦めてない」
 「荷田先輩は諦めてそうですけどね」
 「違いない」と笑う。小波が二球目を投げる。先に投げたカーブと同じ。外角低めのストライクゾーンぎりぎりからボールへとなるカーブ。
 統道がスイングを開始したとき、疋田が「よし」と声をあげた。あのコースの球は、どう腕を伸ばしても届かないはずだ。いや、はずだった。
 統道のバットは、真芯で球を捉えた。打球は右翼線ギリギリへと、本塁打性の当たりで飛ぶ。
 「行くな!!」
 気づけば大声で叫んでいる。ベンチにいる選手も、グラウンドにいる選手も大声で叫んでいる。ただ一人、小波だけは統道を見つめたまま動かない。それに呼応するかのように、統道も動かず、ジッと飛んだ打球の方向を眺めている。
 「ファール!」
 三塁塁審が横に大きく手を広げ、宣告する。それに安堵し体中の力が抜ける。だが
 「流して場外に飛んで行ったぞ……?」
 「化け物ですね」
 2ストライクをとって追い込んでいるというのに、1点差で9回裏だというのに、追い込まれているのはこっちの方だ。
 その空気をつくっているあの打者を見ていると、自分と同じ人間だということが信じられなくなってくる。
 さっきは疋田に大丈夫だなどと無責任な事を言ったが、これはやはりだめかもしれないな。そう考え、マウンドの小波を見る。


 「どうしました、先輩?」
 「どうしたって、何が?」
 「いや、急に笑い出したんで」
 気づかないうちに、笑っていたらしい。口元を抑えてみるが、笑いは止まらない。監督や他の選手が訝しげな目で俺を見てくるが、それすら気にならない。
 「疋田、ギャンブル好きか?」
 監督に聞こえないくらい小さい声で、疋田に尋ねる。
 「どうしたんですか急に? まあ、Pカードなら好きですけど」
 「俺は小波が統道を抑える方に100ペリカ賭ける。お前はどうする?」
 「じゃあ、俺は打つ方に賭けます。でも、抑える方が確率が高いんで、こっちの掛け金は30ペリカで」
 「理由は?」
 「それは……怪我している小波さんが抑えれるほどあの統道って選手は弱くないですし、怪我してなくても抑えれるような選手じゃあ……」
 また笑いがこみ上げてくる。疋田が軽蔑した視線を投げかけてくるが気にならない。
 「あいつは抑えるよ」
 「理由聞いてもいいですか?」
 「見てみろあいつを」と、マウンドの小波を指さす。
 「あいつ、笑ってんだよ。この絶望的な状況で」
 疋田が身を乗り出す。小波の口元には、微かだが笑いが浮かんでいる。
 あの表情を一度だけ見たことがある。秋の予選、天道相手から本塁打を放った時だ
 確かあの時は九回裏1点差で負けていて、1死。前の打者の荷田が死球で、その日初めての走者になったときだ
 あいつは、今のように笑っていた。
 あのときは、こいつなら打てると思った。
 そして今は、こいつなら抑えると思っている。
 
 小波の球に統道が空振り、俺の笑い声は、甲子園の歓声にかき消された。

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