ロジック:応用編(2)
■ゴチャリという概念
お互い自分が正しいと思う事を言っているのに、結論がでない、意見がまとまらない、
相手の言い分もなんとなく理解できるのに、
相手の結論と自分の結論が違ってしまう。
...そんな事ってありませんか?
そういう場合、ゴチャリが生じている場合があります。
ゴチャリとは何か、ロジックをもう一度考え直してみましょう。
「D君:A君って頭良いらしいよ。期末テストって難しいのに、
A君ってば期末の英語テストで70点以上取ったんだってサ!」
D君の話から以下のようなロジックが成り立ちます。
<D君の意見>
主張:A君は頭が良い(A = B)
根拠:A君は英語テストが70点だった(A = C)
論拠:70点も取れるのは頭が良いからだろう(B = C)
「E君:いや、A君は頭悪いよ、期末テストが難しいとは言え、
A君は期末の国語テストで10点だったらしいし。」
E君の話から以下のようなロジックが成り立ちます。
<E君の意見>
主張:A君は頭が悪い(A ≠ B)
根拠:A君は国語のテストが10点だった(A = D)
論拠:テストで10点というのは頭が悪い証拠(B ≠ D)
D君の意見では「A君=英語70点=頭がいい」ですが
E君の意見では「A君=国語10点≠頭がいい(=頭が悪い)」です。
頭が悪い←国語10点←A君→英語70点→頭がいい
さて、この場合どちらが正しいのでしょうか?
D君の根拠もE君の根拠も正確な場合、
どちらも正しい、というのが正解になります。
英語70点も国語10点も、同じA君の側面の一つなのです。
物事は割り切れず、幾つかの側面を持っているものだ、
と、言う事を理解して下さい。
間違っているのは物事は片方が正しくて、もう一方は悪いものなのだ!
という固定した考え方です。
現実世界で片方のみ完全に正しい、という論理は存在しません。
逆に、「完全に奴等は悪の枢軸だ」と言う事もありえません。
あるとすれば、なんらかの主観的価値と尺度が付加された論理ですが
それはもはや客観から離れてしまっています。
閑話休題。
D君とE君の例をロジックの図式に当て嵌めると、次の様になります。
Fig.1:ゴチャリ
D君、E君、どちらも正しいのですが、一つだけ違いがあります。
「何を以って頭が良いと定義するか」すなわち価値観が違うのです。
この、価値観の部分でコンセンサスが取れていない状態の事をゴチャリと言います。
この価値観と言うのは、論拠の部分です。
ゴチャリ
論拠の価値観がバラバラな事によって、
互いの意見は正しいが食い違ってしまっている状態の事。
■価値基準と尺度基準
Fig.1の様なゴチャリを解消するにはどうすればいいのでしょう?どちらも正しいので、どちらが悪いとも裁けません。
答えは、なんらかの主観的価値と尺度を付加するです。
今回の例は同じ主張に基づくものなのでわかりやすいのですが、
主張は「A君は頭が良いのか or 悪いのか」です。
ならば論争点(論拠で考える所)は、頭がいいとは何なのかです。
今、矛盾したことを言いました。
意見を通すと言う事は、どれだけ主張を一般化(客観化)できるか、です。
主観的価値と尺度を付加する事は客観から離れる、と言ったのにも関わらず
今、「ゴチャリを解消するには、主観的基準を付加する」と言っています。
Criteriaという言葉がここでまた重要になってきます。
Criteria(クライテリア:基準)
物事を決定する際の基準。
価値(質的基準)と尺度(量的基準)がある。
まず、価値基準から決定していきます。
その後、尺度基準を決定していきます。
今回ならば、
今まで「論拠は根拠と主張とのツナギだ」としか説明してきませんでした。
2006年08月08日(火) 19:27:57 Modified by psyberformula
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Uploaded by psyberformula 2006年08月01日(火) 06:53:31
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