日本国籍は真の日本人の手に - 資 料 参議院法務委員会 (1)
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参議院法務委員会会議録 1


第170回国会 法務委員会 第5号
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kaigirok/d...
平成二十年十一月二十七日(木曜日)
   午前十時八分開会
    ─────────────
   委員の異動
 十一月二十六日
    辞任         補欠選任
     鈴木  寛君     白  眞勲君
     松浦 大悟君     田中 康夫君
     西田 昌司君     山崎 正昭君
     舛添 要一君     山谷えり子君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         澤  雄二君
    理 事
                千葉 景子君
                松岡  徹君
                松村 龍二君
                木庭健太郎君
    委 員
                小川 敏夫君
                今野  東君
                田中 康夫君
                白  眞勲君
                前川 清成君
                松野 信夫君
                青木 幹雄君
                秋元  司君
                丸山 和也君
                山崎 正昭君
                山谷えり子君
                仁比 聡平君
                近藤 正道君
   国務大臣
       法務大臣     森  英介君
   副大臣
       法務副大臣    佐藤 剛男君
   大臣政務官
       法務大臣政務官  早川 忠孝君
   最高裁判所長官代理者
       最高裁判所事務
       総局人事局長   大谷 直人君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        山口 一夫君
   政府参考人
       警察庁刑事局組
       織犯罪対策部長  宮本 和夫君
       法務大臣官房司
       法法制部長    深山 卓也君
       法務省民事局長  倉吉  敬君
       法務省刑事局長  大野恒太郎君
   参考人
       中央大学教授   奥田 安弘君
       弁護士
       日本弁護士連合
       会家事法制委員
       会副委員長    遠山信一郎君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○国籍法の一部を改正する法律案(内閣提出、衆
 議院送付)
○政府参考人の出席要求に関する件

○委員長(澤雄二君) ただいまから法務委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告をいたします。
 昨日、西田昌司君、舛添要一君、松浦大悟君及び鈴木寛君が委員を辞任され、その補欠として山崎正昭君、山谷えり子君、田中康夫君及び白眞勲君が選任されました。
    ─────────────
○委員長(澤雄二君) 国籍法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本日は、本案の審査のため、お手元に配付の名簿のとおり、お二人の参考人から御意見を伺います。
 本日御出席いただいております参考人は、中央大学教授奥田安弘君及び弁護士・日本弁護士連合会家事法制委員会副委員長遠山信一郎君でございます。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、本当にありがとうございます。
 参考人の皆様方から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の審査の参考にしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。
 ありがとうございます。
 議事の進め方について申し上げます。まず、奥田参考人、そして遠山参考人の順に、お一人十五分程度で御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございますが、御発言の際は、その都度、委員長の許可を得ることとなっております。また、各委員の質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いをしたいと思っております。
 それでは、奥田参考人からお願いいたします。奥田参考人。

○参考人(奥田安弘君) 中央大学の奥田です。本日は、このような場で話をする機会を与えていただき、ありがとうございます。
 さて、今回の国籍法改正について意見を述べよということですが、改正法案は本年六月四日の最高裁判決をきっかけとしておりますので、最初にこの判決の趣旨を説明し、さらに若干の補足をしておきたいと思います。
 御承知のように、我が国の国籍法は血統主義を採用しておりますが、血統主義とは親の国籍によって子供の国籍を決定することでありますが、そこで言う親とは法律上の親を意味します。すなわち、大ざっぱに申し上げますと、国籍法で言う父親や母親というのは民法上の父子関係や母子関係と連動しているとお考えいただいて結構かと存じます。
 ところが、この血統主義を定めた国籍法二条一号をよく読みますと、出生のときにそういう法律上の父親又は母親が日本人であることを求めています。この「出生の時に」という箇所が非常に重要でありまして、民法によりますと、母子関係は原則として分娩の事実により成立すると解されていますが、父子関係はそういうわけにまいりません。父母が結婚している場合は、母が産んだ子は夫の子と推定され、また婚外子であっても生まれる前の認知、すなわち胎児認知があれば出生のときに法律上の父子関係が成立します。これに対して生後認知の場合は、言わば出生のときには法律上の父が存在していなかったことになるので、国籍法二条一号による国籍取得は認められない、このように解釈されております。
 そこで、国籍法三条が問題となるわけです。生後認知の子供は国籍法二条一号による国籍取得は認められませんが、出生後の届出による国籍取得であれば認めてもよいのではないかという点が問題となります。ところが、現行の国籍法三条一項は、認知だけでなく父母の婚姻を求めています。すなわち、出生のときは婚外子であったわけですが、出生後に父の認知があり、かつさらに父母の婚姻もあれば子供は嫡出子になる、これを準正と呼んでおりますが、こういう準正子にだけ届出による国籍取得を認めております
 この届出による国籍取得は出生による国籍取得の血統主義を補完するものであると言われておりますが、その国籍法二条一号の方は父母の婚姻を要件としておりません日本人母の子供は婚外子であっても日本国籍を取得しますし、また日本人父の婚外子も胎児認知があればやはり日本国籍を取得します。日本人父の婚外子であって生後認知しかなかった子供、すなわち準正子にならなかった子供に対し、届出による国籍取得さえ認めないのは行き過ぎではないか、このように最高裁判所は考えたのでしょう。さらに、社会の変化や外国の立法動向、我が国が批准した国際人権条約もあるということで、今回の違憲判決が出たものだと理解しております。

 それでは、このような子供には簡易帰化の道があるではないかという疑問に対してどのように答えるか。最高裁はこの点について余り詳しい説明をしておりませんが、少し私の方から補足しておきたいと思います。
 簡易帰化と言いますが、国籍法は法務大臣が帰化を許可する最低条件を定めているだけです。これは二つの意味を持っています。第一に、これらの最低条件を満たしても帰化が許可されるという保証はないということです。法務大臣は、更に様々な事情を総合的に考慮して、自由裁量により帰化を許可するかどうかを判断いたします。第二に、これらの最低条件を満たす限り、一般の外国人と日本人父の認知を受けた子供は全く同じスタートラインに立つということです。すなわち、一般の外国人は二十歳以上であり、かつ五年以上日本に住所がなければならないわけですが、これに対して、日本人父の認知を受けた子供は未成年であっても構わないし、現に日本に住所があればその期間は問わないとされています
 しかし、これらの最低条件を満たしている場合、日本人父の認知を受けた子供が一般の外国人よりも緩やかに審査をされるというようなことは、少なくとも法令上の根拠を見出すことはできません。しかも、日本に住所を有することが最低条件となっていますが、本件の第一次訴訟の子供ですが、母親とともに日本からの退去強制を求められていたわけですから、この最低条件さえも満たすのが不可能な状況であったことに注意していただきたいと存じます。すなわち、第一次訴訟の子供は住所条件という最低条件さえも満たさないわけですから、帰化の可能性はその当時はなかったということです。

 次に、仮装認知の問題であります。
 皆さん御関心のあるところだと思いますが、仮装認知が増えるのではないかという疑問につきましても、最高裁判決自体では余り詳しいことが述べられておりません。この点については、私はドイツの例を取り上げたいと思います。
 一部の報道では、今回の国籍法改正が成立すると仮装認知が増えるおそれがあるとして、ドイツにおける今年三月の法改正を取り上げております。しかし、このドイツの法改正は国籍法の改正ではありません。国籍法の方は、相変わらずドイツ人父親による認知だけでドイツ国籍の取得を認めております今年三月に行われたのは民法の改正でありまして、ドイツの官庁が認知無効確認の訴訟を提起できるようになった、そういう内容でございます。
 すなわち、ドイツの民法では、改正前は、認知をした父親本人又は認知を受けた子供、さらに母親しか認知無効確認訴訟を提起することができなかったのです。これは法律上、明文の規定による制限です。そこで、新たに官庁もこういう訴訟を起こせるようにしたわけです。

 このドイツの例は、三つの点で注意する必要があります。
 第一に、ドイツは、仮装認知が増えたからといって、認知のみによる国籍取得をやめませんでした。つまり、国籍法の方は改正しなかったということです。これは、真実の認知を保護する必要があると考えたからでしょう。
 第二に、ドイツでは認知無効確認の提訴権者が制限されておりますが、日本法にはこのような制限がありません。それどころか、公正証書原本不実記載などの罪により刑事裁判で有罪判決が確定した場合は、裁判所から本籍地の方に通知がなされまして、本籍地の市町村では職権によって認知の記載を抹消することになっております
 今回の国籍法改正が成立した場合は、さらに日本国籍を取得したとして戸籍が作成された子供についてもその戸籍は抹消されることになります。したがって、ドイツの三月の法改正はある意味では日本法では必要のないことであり、またある意味では仮装認知の防止と国籍取得を安易に結び付けるべきではないということを示しております
 第三に、ドイツではドイツ人父親の認知があれば自動的にドイツ国籍の取得を認めており、我が国のように更に加えて国籍取得届を出させるというようなことはしておりません。これは極めて大きな違いであります
 国籍取得届の詳細は、我が国の場合、国籍法施行規則一条や昭和五十九年の通達などに定められておりまして、これらも改正が予定されているようですが、この国籍取得届の取扱いは市町村への認知届とは大きく異なります。すなわち、届出人は必ず自分で法務局に出頭し、届出の際に届書や必要書類の点検を受けるだけでなく、いろんな質問をされた後に受付をしてもらいます。さらに、受付後も法務局の職員は届出人や関係者の自宅に赴いて事情聴取をするなどの権限が与えられています。このように慎重な手続を経て初めて国籍取得証明書が交付され、子供の戸籍をつくることができるのです。したがって、認知のみで国籍を与えるドイツと比較いたしますと、かなりハードルが高いと言えます。

 さらに、届出による国籍取得は、それ以前に取得した外国国籍を喪失する可能性が高いことも指摘しておきたいと思います。例えば韓国がそうですし、恐らくフィリピンの場合もそうであろうと思われます。これらの国から見た場合、届出による日本国籍の取得は自己の意思による外国国籍の取得となるからです。
 我が国の国籍法も、自己の志望による外国国籍の取得を日本国籍の喪失原因としておりまして、これと同様の規定が諸外国にもあるということです。したがって、外国人母親から生まれたことによりその国籍を取得した子供は、届出により日本国籍を新たに取得した場合、母親と同じ国籍を失うことを覚悟しなければなりません。これは国籍取得届を慎重ならしめる要因の一つとなり得ます。
 ただし、ここで問題となるのは、このような届出による国籍取得が外国政府に通知されるかどうかということです。この点の実務がどのようになっているのかは私も詳しく存じませんが、仮に全く通知がなされていないのであれば、新たに通知を検討すべきではないかと思います
 少なくとも、届出によって日本国籍を取得した場合、韓国国籍は確実になくなるはずですし、恐らくフィリピン国籍もなくなるはずです。しかし、本人や関係者はこのような国籍喪失を自覚していないおそれがあるので、国籍取得届の際に十分に説明するとともに、本人が自発的にパスポートなどを返還しない場合に備えて我が国から相手国政府に通知をするということが望ましいように思います。

 それでは、国籍法改正法案自体を見ていきたいと思いますが、父母の婚姻要件を除いて、単に認知があれば届出による国籍取得ができることになっています。このように改正法案が父母の婚姻要件を除いただけにしたのは、もちろん最高裁判決を慎重に検討した結果であろうと思います。父母の婚姻要件に代えて他の追加的な要件を設ける可能性は確かに最高裁判決でも否定されておりません。しかし、判決は「合理的な選択肢の存在の可能性」と述べておりまして、追加的な要件が合理性を有すること、すなわち合憲の範囲内であることを求めております。そして、判決自体は何が合理的な選択肢であるかを示しておりません
 恐らく、父母の婚姻要件を除いたその他の現行法上の要件、すなわち二十歳未満であること父親が子供の出生のときだけでなく届出のときも日本国民であること、さらに法務大臣への届出これらの要件で足りると考えたように思います。そして法案の起草者も、合憲の範囲内で考え得る追加的な要件、すなわち新たな差別を生み出さないような要件は見当たらないと考えたからこそ父母の婚姻要件のみを除いた法案を提出したのだと思います。

 次に、罰則については私の専門外のことでありますので、コメントを差し控えさせていただきます。

 さらに、経過規定につきましても、これこそ立法者の裁量の範囲内に属することですから余り多くのコメントはいたしませんが、かつて尊属殺違憲判決の際にも、恩赦により減刑や刑の執行免除がなされたことが思い起こされます。そのような意味では、今回の国籍法改正や経過規定によっても救済されない人々、すなわち、経過規定はかなり広いですが、それでもなお、国籍取得届が出せたはずであったのに父母の婚姻要件があるためそれができなかった人々、こういう方々についても、帰化の審査の際には特段の配慮をするというような措置が考えられます
 誤解のないよう申し上げますと、私は帰化の制度を変えろと言っているのではありません。現行の制度の枠内で、すなわち自由裁量の範囲内でそのような配慮をするという方針を示すことにより、関係者の方々の気持ちを和らげることができるのではないかということが言いたいのです。恩赦の場合も上申書を出した人がすべて減刑や刑の免除を受けたわけではありませんので、今回の場合も必ず帰化を許可するということにはならないと思います。
 以上で私の話を終わらせていただきます。
 御清聴ありがとうございました。

○委員長(澤雄二君) どうもありがとうございました。
 それでは次に、遠山参考人にお願いをいたします。遠山参考人。

○参考人(遠山信一郎君) お手元の陳述骨子を御覧ください。
 私の肩書は日本弁護士連合会が付いておりますが、これから述べるお話は私の個人の見解でございます。

 まず初めに、考え方のスタート地点は子供の基本的人権の保障にあるというところから話を進めたいと思います。
 そして、本改正の憲法上の意味合いについては、基本的人権の保障の視点からすると、最高の判例もおっしゃっているように法の下の平等、そして、国籍を取得する権利というものも、国籍自体が人の生存にかかわるものだと考えますと、憲法上も保障されているのではないかというふうに考えております。視点を変えて、民主的統治機構の視点ということになりますと、これは主権者たる国民の拡大という問題になります。ここら辺が本改正の憲法上の意味合いの骨子ではないかというふうに考えております。

 次に、条約上の意味合いということで、資料一と資料二を付けさせていただきました。ヒントがとても満載された条約で、私の愛読書でもあるのですが、今回は自由権規約とその延長線にある児童の権利に関する条約を付けさせていただきました。
 これは、資料一の方でいきますと、自由権規約の二十四条というところに、出生による差別を受けない、そして、すべての児童は、国籍を取得する権利があるというふうにうたい込んであります。
 そして、その後、我が国が批准した児童の権利に関する条約では、二条七条九条十条十八条と関連条文がございます。七条を見ていただくと、児童は、出生の後直ちに登録される、そして国籍を取得する権利を有するというような記述がございます。九条とか十条とか十八条というのは、さらに子供を父母から分離してはいけないとか家族の再統合とか、そういった事柄が書いてあるのですが、これは出生、国籍、家族というものが実は一体として有機的にとらえるものなのだということをこの条約はうたい込んであるわけですね。ですから、とても何か示唆に富む条約だなと思っておりますし、我が国は批准しておりますので、この条約との要するに調和ということも立法においては考えなくてはいけないのではないかということで、ここで御紹介させていただきました。

 次に、家族法制上の意味合いというところでは、非常に言葉としてはよく使われている家族の多様化、グローバリゼーションということがよく言われます。それに対する法制的対応として考えるときに、どうも法律婚、つまり婚姻秩序の尊重に揺らぎが出ているんではないかというふうに考えております。それはどこに出てくるかというと、婚内子と婚外子とのいわゆる平等化という流れの考え方にこれは表れているんではないかと思っておりますし、今回の改正もここで一つの合流点を示すんではないかというふうに考えております。
 さらに、国籍取得の要件として任意認知ということを考えたときに、ここの場面では私法としての民法とそれから公法としての国籍法が言わば交錯します。この関係どう考えるかというのも結構面白い問題なのですが、ここでは、国籍法は言わば血族主義を取っている、そして私法である特に家族法では血族集団の秩序ということを考えているという点ではセットで考えざるを得ないのかなというふうに今のところ考えております。

 次に、偽装認知リスクの国家管理の手法という、ちょっと何か官僚のような題名を付けてしまいましたが、これは私が思い付く範囲でどんな管理の仕方があるのかなというリストを作っただけでございますので、どこがいい、どこが悪いということは今はちょっと差し控えさせていただきます。
 事前管理ということでは、DNA鑑定というものの義務付けというのが議論の俎上に上がっているということは耳にしております。これについては、だれの費用負担で、どの業者が行って、さらにその正確性をどう担保するかというなかなか実務的に厄介な問題もあります。というふうに実務家的なセンスでは考えております。
 そして、その届出の手続のところで、一定の調査、スクリーニングができないかという議論につきましては、これは十分に実務的にもいろいろな行政手続ではなされているとは思うのですが、ちょっと気になるところでいうと、過度の窓口規制にならないようには配慮しなくちゃいけないかなというのがここの私の考えでございます。

 さて、事後管理の問題でいきますと、一応三つほどA、B、Cと分けて考えてみました。一つは、人事訴訟、認知無効訴訟ですね。今、奥田先生の方からドイツの話を聞いて目からうろこだったのですが、ここで問題となるのは、ちょっとマニアックな問題なのですが、日本で認知無効訴訟を公益の代表者たる検察官ができるのかしらというのが実は議論としてはあります。これは民法の七百八十六条の解釈の問題なのですが、ドイツでは、もう先走ってとは言いませんが、ドイツではそういった公の方で認知無効の訴訟が提起できるということになっているのを聞いて、非常に勉強になりました。
 この認知無効訴訟ということになりますと、その訴訟の空間の中でDNA鑑定というものが登場してくると思います。さらに、刑事処罰ということで刑事訴追をするということになりますと、捜査方法若しくは刑事訴訟内での証拠としてのDNA鑑定というのがクローズアップされるというふうに考えております。
 ちょっと私の考えでは、先ほど言いました事前管理でのDNA鑑定とそれから民事訴訟、刑事訴訟で登場してくるDNA鑑定はかなり質が違うものだと考えております。なぜならば、民事訴訟、刑事訴訟の空間でのそのDNA鑑定は法的なバックアップがしっかりでき上がっていますので、その正確性が担保されておるというところで質的に違うのではないかという実務家的な感覚を持っております。

 三番目、Cと書きましたが、行政の方で例えば国籍取得後の監護養育というか家族の実態というのを確認するのはどうかということを、勧めているんではなくて、ちょっと考えてみました。一種のトレーサビリティーなのかなという気もするのですが、ここら辺も行政の方が仮に偽装の事実若しくは事実に裏付けられるような関係を認知した場合、この場合は多分、捜査の端緒と考えるのであれば刑事訴追の方に移るでしょうし、公務員がそういう事実を知ったときには刑事訴訟法上告発義務がありますので、ここら辺でCからAやBに移行するのかなというふうな感覚を持っております。

 さて、じゃ、そういった事前管理、事後管理ということを考えたときに、この管理手法の設計、選択、運用の配慮点って何なんだろうかと思ったときに、思い付くままA、B、Cというふうに付けておきました。
 Aは関係当事者の人権。取りあえず私は、比較的専門的に勉強している個人情報について言うと、DNA情報というのは究極の個人情報かな、センシティブ情報の最たるものかなと思っておりますので、その入手、保管、利用については最大限に慎重にあらねばならぬという力が働くと思っております。
 そして、Bについては、リスクの実現ですね。どの程度偽装の認知のリスクがあるのかということについては、ただ懸念されるというだけでは少しちょっと力が弱いので、若干、官庁の方が持っている現実的なデータをしっかり検証する必要があるのかなとも思っております。
 さらに、リスク管理費用とその効果ですね、それから費用負担ということもしっかり考えなくてはいけないというふうに思っております。

 もう私の話はこれでおしまいなのですが、この問題の根底にあるものは一体何なのかというふうに一文入れさせていただきました。これはこの場に立って考えようということでこの一文を入れたのですが、様々なお考えがあると思っているんですね。
 例えば、国籍が商品化されちゃうのは困るなとか、それから男女間の倫理が少し問題じゃないかとか、それから国の安全保障の問題もあるんじゃないかとか、それから国の財政の問題もあるんではないかとか、本当に様々な思いがこの問題には交錯すると思うのですが、やはりこの問題の根底にある本質的な問題というのは、軸足を人権保障に置かざるを得ないだろうと。そうすると、この人権保障に対応する合理的な制限は当然考えざるを得ませんので、そこら辺を立法府の良識で構築していただければよろしいのではないかというのが私の、極めて雑駁でございますが、陳述の中身でございます。
 以上です。

○委員長(澤雄二君) どうもありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
○松岡徹君 民主党の松岡でございます。
 今日は、両参考人、本当に忙しい中ありがとうございました。
 限られた時間でございますので、我々もここまで議論が世間を騒がすということについては想像していなかったんですが、奥田先生がおっしゃったように、私たちの当初の認識は、最高裁の六月の判決が違憲である、今の立法が、国籍法の三条一項が違憲であると。立法府である我々とすれば、我々が作った法律が憲法違反であると言われているわけでありますから、当然のように、そこをどう正していくかという立場で今まで来たわけでありますし、当然そうならざるを得ないというふうに思っています。
 ただ、それによって起きてくる、先ほど遠山参考人がおっしゃったように、リスクの問題とかいろんな派生する問題の心配がございます。そのことと今回の法改正の部分とは若干性格が違うかのように思っております。しかし、考えられるこの法改正によって起きてくるであろう問題をどう対処していくのかというのは、当然課題として積み上げていかなくてはならないと思いますが、そういう意味で、まず分けて、今回の最高裁の判決結果を受けて、最高裁がなぜ違憲と言っているのかというところなんですね、そこをやっぱり我々はまずしっかりと受け止めたいというふうに思っています。
 その上で、大きく、先ほど奥田参考人がおっしゃったように、まあ最高裁の判決の中にもありましたが、社会の変化であるとか、あるいは諸外国の、海外の動向の変化でありますとか、それから国際人権諸条約の対応、責任等々もあるというふうに言われています。
 この国籍法三条一項の結果によって差別が生じて違憲であると言っていますが、この社会の変化というものを、これは後のところでもちょっと議論に重なってくると思いますが、社会の変化というものを最高裁はどういうふうに言って、参考人お二人はどういうふうに受け止められて、それが改正されるべき重要な根拠となり得ているのかどうか、すなわち特徴的な社会の変化という内容をできればお二人からお聞かせいただきたいというふうに思うんですが。
○参考人(奥田安弘君) まず、違憲判決の意味ですが、我が国の違憲審査はもちろん具体的な事件の解決のためのものでありまして、つまり法律を適用した結果が違憲状態なんだと、こういうことであります。ですから、最初から立法が間違っていたとか、立法過誤ですね、そういうようなことを言っているわけではないというふうに私は理解しております。
 その上で、なぜ違憲かということなんですが、今回の原告の子供たちの状況を見たところ、日本人父親の認知を受けている、そして国籍取得届を出していると、そういう事実に対して日本の国籍法三条を当てはめたところ、これでは国籍取得届を出しても国籍が取得ができないというその結果を問題としているんだということだと思います。
 御質問の社会の変化の方ですが、判決の方を見ますと婚外子が増えたということを言っておられますが、私がそれを少し補足して申し上げたいと思います。
 日本人同士の婚外子の数は約二%程度と言われておりますが、私が調べたところ、外国人母から生まれた婚外子は一〇%に達しております。その辺が判決では詳しく述べられておりませんが、私は、その点で日本人の母親の婚外子と外国人母親の婚外子だと随分状況が違うんだろうと思っております。
 ただ、私はこの裁判で意見書を随分出したんですが、私自身の主張としましては、数は問題ではないんだろうと思っております。たとえ一人でもそういうふうな子供さんがいる、婚外子であって父母の婚姻がないために認知があるのに国籍取得ができないという子供さんが一人でもいれば、やはりそれは違憲という判断をするべきなんだろうというふうに思っております。
 以上です。
○参考人(遠山信一郎君) 社会の状況の変化ということについては、私の骨子に書いてあるような言わば婚姻秩序に対する考え方に対して裁判所も少し柔らかくなったのかなという認識を持っております。
 裁判所の素朴な憲法センスというふうに私理解というか考えておりまして、婚内子とそれから婚外子という大人の事情で国籍取得要件に差を設けられるというか、それがあるということ自体が非常に不合理である、憲法的には非常に不平等であるという感覚が最高裁の中で裁判官の方々にセンスとして言わば沈着したのでこういう判決が出たのではないかなというふうに思っております。
 以上です。
○松岡徹君 時間がわずかですので。
 奥田参考人にお聞きしたいんですが、先ほど奥田参考人がおっしゃいました例えばドイツの例でございますね。今年の三月の改正で国籍法ではなく民法の部分を改正した、すなわち認知の無効確認訴訟ができるところを変えた、すなわち官庁自身もできるというふうに変えたと。その背景ですね。認知すれば国籍を取得できていたのが、今回の法改正の背景となったのは一体何なのかというのをお教え願いたいということが一つと。
 もう一つは、今、遠山参考人もありましたDNA鑑定というのがあります。その認知をする場合、その日本人の父親が本物の父親なのかということを確かめる作業とすれば、日本には様々なゲートがあるわけですが、新たにDNAというのが出ています。そのDNAは、先ほど遠山参考人がおっしゃったように、もう要するに究極の個人情報になります。しかし、そうではなくて、取られる側が、そういう場合にDNA鑑定をするということ自身が例えば人権侵害には当たらないのかどうか、違憲には当たらないのかどうかということも含めてちょっと危惧するところがございます。その点については、遠山参考人、奥田参考人からも簡単にお聞かせいただきたいと思います。
○参考人(奥田安弘君) ドイツの立法の背景について今直ちに述べよと言われましても、ちょっと私の方も調べる時間をいただければと思うわけでありまして、正確なことをお答えするためにはやはり調査が必要でございますんで、一般的なドイツの、今のドイツの立法と日本の立法ですね、これは国籍法や民法、非常に似ていますが、違うということだけ説明したいと思います。
 まず、国籍法の方は日本と同じ血統主義です。ただ、認知による国籍取得について、あちらは国籍取得届を要件にしていない、認知届だけです。その認知届が現実的にどういうふうに審査されて受理されているのかということも、これまた調査を要することですので正確なことは今お答えできませんが、やはり日本で行われるであろう国籍取得届の審査と比べるとかなり緩やかなんじゃないかということは推測できます。ですから、ドイツで仮装認知が仮に増えたからこういう改正をしたんだとしても、日本も同じようになるかどうかというと、それは分からないわけであります。
 次に民法の方ですが、認知無効確認の提訴権者を制限する規定というものがドイツにはありますが、日本にはそういうものがない。先ほど遠山先生がそれは日本法で可能かどうかというのは一つの問題だとおっしゃいましたが、日本の場合は、ただそういう訴訟をしなくても刑事裁判の方で有罪が確定すればそれは戸籍の訂正を自動的にいたしますんで、結局、国が訴訟を起こすというようなことまでしなくても済むじゃないかということであります。その違いをやはり認識しておく必要があるんだろうと思います。
 次にDNA鑑定の方ですが、私、今日ここに来る前に衆議院の方の議事録を拝見いたしまして、そこでイギリスの例を取り上げられた方がいらっしゃったようなんですが、イギリスでは実は認知制度というのはございません。英米法一般の話なんですが、英米法系の国では認知というようなことで包括的な親子関係を成立させるというものがそもそもないんです。国籍取得や扶養請求や相続や、そういうそれぞれのことが問題になったときにその前提として親子関係を確定すると。ですから、その時々の証明の問題になるわけですね。
 ところが、日本の場合は認知制度というものがありますんで、そして認知があれば法律上の親子関係は成立すると。つまり、生物学的な親子関係ではなくて法律的な親子関係、これを国籍法は基本にしているわけですから、余り生物学的な親子関係にこだわるというのはどうかなと。
 DNA鑑定自体の技術的な問題は遠山先生お答えになったとおりですので、私の方からは特に補足することはございません。
 以上でございます。
○参考人(遠山信一郎君) DNA鑑定の義務付けが人権侵害かと問われれば、まごうことなく人権侵害だと思います。問題は、その人権侵害を正当化する合理的な理由が例えば憲法的な価値とかということで見出すことができるかというふうに思っております。
 繰り返しになりますが、本当にこれ究極的な個人情報なものですから、よほどの正当な理由がない限りはやはりこの人権は、個人情報の人権は守らなくてはいけないというのが私の考えでございます。
 以上です。
○松岡徹君 どうもありがとうございました。
○丸山和也君 自民党の丸山ですけれども、よろしくお願いします。
 お二方に二、三点、同じ質問を順次さしていただきたいと思いますけど、若干やや大まかな、大まかというか、大局的な観点からどういうお考えを持っておられるかということをひとつお聞きしたいんですけれども。
 たしか私の記憶では、福沢諭吉が明治維新のころに封建制度は親の敵であるとたしか言って、有名な言葉、有名かどうか知りませんけど、私の記憶の中にあるんですけど、やはり日本のいわゆる、まあ今封建時代じゃないはずなんですけれども、いわゆる戸籍制度、戦前は家族制度というのがありましたから、そこに、いわゆる戸籍制度と国籍制度というのはこれ非常にリンクしている問題だと思うんですけれども、いわゆる戸籍万能主義というか、それと婚姻万能主義というか、これの結び付いたところで、実際この国籍法の問題にしたりあるいは他の民法との関連の中で恐らく最高裁が言うような法の下の平等が発生してきていると思われるんですが。
 そこでお聞きしたいんですけれども、そもそもいわゆる日本の言う戸籍というような制度が、私も若干は勉強しているんですが余り専門家じゃないので、世界的に見て非常にたぐいまれな制度なのか。韓国なんかはあると思うんですけれども、外国で戸籍というのは余り、私もアメリカにおりましたけど、そういう発想がないものですからお聞きしたいんですけれども、戸籍というのは、世界の中で日本的な戸籍というのはどのように位置付けされるのかということを一点お聞きしたいのと、それからいわゆる二重国籍の問題なんですけれども、例えば日本人が、最近よくあるんです、日本人女性が外国人男性と結婚すると、当然といいますか、例えばヨーロッパならヨーロッパの国籍を取得しますね。すると、日本の国籍法にすると国籍の選択という義務があるんですけれども、要するに二重国籍を原則として日本の国籍法は認めないんですけれども、これについて、例えば二重国籍を許容する国もいっぱいあるんですけど、この点についてどのようなお考えをお持ちなのかと。あるいは二重国籍を、例えば日本人女性が外国人と結婚した、しかし、日本にいる父親、母親が老後になって介護の必要が出てきた、すると、日本に帰るときは今度外国人として帰らなきゃならないとか、いろんな問題がたくさん出ているんですね。だから、二重国籍問題というのも避けて通れない問題だと思うんですよ。こういう点についてどういうお考えかということが第二点と。
 第三点として、今回の六月の最高裁判決というのは、この問題だけじゃなく、例えば嫡出子と非嫡出子の違いによる、やっぱり親の地位というか位置付けによって子が不当に差別をされることは法の下の平等に反するというところがやっぱり僕は主眼だと思うんですね。そうすると、民法九百条とかの問題なんかも避けて通れない近々の問題になると思うんですけれども、こういう点についてどのようにお考えか、この判決の効果といいますか、思想的な流れとしてどのようにお考えかということを簡潔にお聞きできたらと思っています。
○委員長(澤雄二君) すべての質問を両参考人でよろしいですね。
○丸山和也君 はい。
○委員長(澤雄二君) じゃ、今度は遠山参考人にお願いいたします。
○参考人(遠山信一郎君) まず、戸籍については、先生以上の知見を私持っておりませんので、ちょっとお答えができません。
 二重国籍の問題は、実は今回の改正が第一楽章であれば、第二楽章の問題かなというふうに思っています。たしか衆議院の附帯決議にも後ろの方にそのような重国籍のことが書いてありました。
 私の認識としては、例えばノーベル賞をアメリカに国籍を取った人が出たときに、実は日本人だったというときに日本の誇りと言いづらいとか、そういうふうなこともありますので、二重国籍ということは今まではどちらかというと忌み嫌われたという風潮があるかなと思っていますけれども、これからはそれも揺らいでいくのではないかというふうな感覚を持っております。
 先生がおっしゃっていたのは非嫡差別の問題なんですが、これも実は第二楽章だと思っておりまして、今回は、個別の判例のテーマとしてはこの国籍の問題でございました。でも、そのセンスの、最高裁の物の考え方の本流にやっぱり非嫡差別はいかぬというのがあると思います。ですから、これはその流れからすると、親の都合で婚外子になったということで不当な不利益を与えるのは、これはもう憲法違反であるという流れにあるのかなというのが私の大局的な感覚です。
 以上です。
○参考人(奥田安弘君) 丸山先生の御質問に対して私の答えが少しずれていたりしますと、そのときは御指摘いただきたいと思いますが、まず戸籍が万能かどうかという、これ質問の中に入っていませんでしたが、戸籍はあくまで公証力がある、公に証明するという力があるだけでありまして、それは実際に例えば後で裁判で覆るというようなことはあるわけです。ですから、万能という言い方は少し違うかなと思っております。
 その上で、世界の中での我が国の戸籍制度ということですが、家族登録制度というふうに言い換えますと、それはどのような国、どこの国でもあるわけです。出生、婚姻、離婚、死亡、そういうものを全部一つにまとめてあるという意味では、日本の戸籍制度というのはかなり優れていると思っております。例えばアメリカなどでしたら、出生届、婚姻届、死亡届というものが全部ばらばらでありまして、それを一つにまとめるものがない、ですから丸山先生が向こうでは戸籍を見なかったと、こういうようなことだろうと思います。
 家族登録というのは、しかしどこにも、どこの国でもあるわけでして、それは登録されたことによって、じゃ子供が国籍を取るのかというと、それは逆でありますね。日本人である、国籍法によって日本人であるということが確定されて初めて戸籍ができると。戸籍あって国籍じゃなくて、国籍があるから戸籍だという、この順番を考えますと、そういうことでいいますとほかの国と何ら違いはない、共通しているものだと思います。
 次に二重国籍の問題ですが、私が最初の説明で少し申し上げましたように、今回届出によって日本国籍を取得した場合、外国国籍を失う危険というのが非常に多くあります。ですから、私は裁判ではそれは望ましくないんじゃないかということを主張しましたが、しかし最高裁判決が出て、届出は残しておくべきだと、こう判断されたわけですから、私がそれに従って考えますと、そういう自分の意思による国籍取得によって元の国籍を失う、これは実は自動的でございまして、例えば日本人がアメリカに帰化して、それをしかし日本の戸籍とかに届け出なければ日本国籍をあたかも失ってないかのように見えますが、実は国籍法では既にもう失ったことになっているわけです。私は、そういう意味で、むしろ仮装認知より仮装二重国籍の方が問題かなと思っています。
 今回、私が言いたかったのは、届出によって日本国籍を取得しましたということを元の国籍国に通知するということ、これが非常に重要だろうと思います。本当はもう元の国籍を失っているのに、あたかも失っていないかのようにパスポートもそのまま持っているというようなことは望ましくないだろうということでありまして、この辺が丸山先生の御質問とかみ合っているかどうかというのはちょっと私分かりませんが、私の方が言いたかったのはそういうことであります。
 二重国籍一般の問題については、今コメントを差し控えさせていただきたいと思います。
 三番目の非嫡出子差別の問題ですが、子供にとってどうしようもないことということがすべて違憲だということにはもちろんなりません。社会的身分による差別は確かに憲法十四条で禁止されていますが、しかし、そこには合理性が問題となるわけです。婚内子と婚外子が全く同じかといいますと、それは同じではありません。それは嫡出子、非嫡出子という用語、言葉を廃止した国においても、やはり差別はないけど区別は残っているわけです。母が産んだ子供はその母の夫の子であるという推定、これはそういう嫡出、非嫡出という用語を廃止した国でも残っておりまして、その辺の区別はやはり残っているわけであります。
 したがって、今回の違憲判決の射程距離、射程範囲ということですが、これはあくまで国籍についてこれは不合理であったという判断をしたわけでありまして、相続分差別の方はまた合理性は別個に判断すべきことだということであります。つまり、問題によってやはり分けて考えていかなければならないということが申し上げたかったわけであります。
 以上です。
○木庭健太郎君 公明党の木庭健太郎でございます。今日は、奥田、遠山両参考人、貴重な御意見をありがとうございました。
 まず、今回の最高裁判決がどこまで射程にとらえているのかということを両参考人からお伺いしたいんです。
 今回の最高裁判決でございますが、別件の上告人九人も含めて十人の子供たちは、いずれも日本国内で出生し、日本国内で生活している子供たちです。また、最高裁判決の冒頭の事案の摘示におきましても、「日本国民である父とフィリピン共和国籍を有する母との間に本邦において出生した上告人が、」とされているわけでございまして、この判決の射程という、この日本国民から認知された子というのは、そのようないわゆる日本国内において出生し生活しているという子が前提ということになるのか、あるいはそのような限定なしに日本国民から認知された子と考えてよいのか、この点について両参考人から御見解をお伺いしたいと思います。
○参考人(奥田安弘君) 我が国の国籍法は血統主義でありまして、そういうことからいきますと、日本で生まれて日本で育って日本語しか話せないということは全く本来関係のない話でございます。親が両方とも外国人であれば日本国籍を取るわけがないわけでありまして、そういう意味では今回の裁判の原告の子供たち、これも日本で生まれて日本で育ったということは余り関係ないだろうと。
 それから、法律的な意味で日本における居住、これ住所と置き換えてみますと、法律的な意味の住所が第一次訴訟の子供にあったかというと、実はなかったわけですね。少なくとも国籍取得届の時点では不法滞在の状態ですから、退去強制命令を受けていたわけですから、法律的な意味の住所は日本になかったと、こういうふうに解されます。そうしますと、そういう子供についてしかし違憲判決が出たということは、つまり住所要件というのは全く問題外であろうと思います。
 それから、日本で生まれたということも、今回はやはりたまたまで、そういう子供たちについて裁判なされたというふうに理解しております。
 そういうわけで、今回の判決は、やはり法律上の親子関係が成立したんだから、だからせめて届出による国籍取得くらいは認めるべきであると、そういう趣旨が私の理解でございます。
 以上です。
○参考人(遠山信一郎君) 最高裁が国籍要件、つまり国との結び付き要件として、出生から住所ということも要件としているというメッセージを送っているというふうには私も考えてはおりません。その意味では奥田参考人と同様でございます。
 以上です。
○木庭健太郎君 当委員会でも一番議論になっているのがやはり偽装認知の、これをどう本当に防ぐのかという問題がずっと議論になっているわけなんですけれども、私は、奥田参考人が先ほどおっしゃったように、本法そのものも、例えば虚偽の届出に対する罰則を設けるとか、元々の法律の仕組みの中で、公正証書原本不実記載の問題も御指摘いただきましたが、ある程度仕組みの中でそういうものはあると考えているわけでございます。
 ただ、それでもなおかつ議論の中で大きく主張されるのは、先ほども御指摘ありましたが、DNA鑑定など親子関係の科学的な証明、これを提出を必ずすべきであるという議論は一向に消えないところでございます。
 先ほど遠山参考人は、そこまで求めることになればそれは人権侵害という問題も考えなければならないという御意見でございましたが、奥田参考人はこのDNA鑑定の問題についてどうお考えになられるのか、先ほどちょっとイギリスの例をおっしゃっていましたが、これを当初から仕組みとして導入するということについてどうお考えかということについて御意見を伺いたいと思っておりますし、遠山参考人からは逆に、でしたら、この偽装認知の防止対策としてこれからどんなことにある意味じゃ取り組まなければならないのか、もしそういう策について御意見があれば遠山参考人から伺っておきたいと思います。
 以上です。
○参考人(奥田安弘君) 偽装認知の問題に関しては、これが必ず防げるか防げないかというふうなことは、これは研究者の立場としては言えることではございません。どういう方法を取れば必ず確実だということは言えないわけでありますが、私は、その罰則とかDNA鑑定よりももっと重要な問題があるんじゃないかと思っております。
 今回、偽装認知を心配されていらっしゃるのは、例えば胎児認知の偽装なんかも随分多かったじゃないかという声がございます。しかし、胎児認知の場合は、これは出生による当然の国籍取得ですから、元々持っていた国籍を失わないわけです。これに対して、届出による国籍取得の方は元々持っていた国籍を失うという可能性が非常に高うございまして、やはりこの点はかなりハードルになるんじゃないかと。例えば、いわゆるオールドカマーの人たちが日本に帰化するかどうかを判断するときに、元々の国籍を失うということはかなり心理的な障害になっているというふうに聞いております。帰化の場合は元の国籍を失うということは皆さん御承知だと思うんですけれども、日本に帰化した場合、元の国籍を失うということは皆さん御承知だと思いますが、今回の届出による国籍取得で元の国籍を失うかどうか、これは余り認識されていらっしゃらないんじゃないかと思います。
 我が国の場合、こういう戸籍や国籍の問題について諸外国と協力関係を結ぶということをやっていらっしゃるのかどうか、これは私、詳しくは存じませんが、これから非常に重要になってくるだろうと思います。そういう情報交換ですね、届出によってこの度日本国籍を取得されましたということを相手国政府に通知をする、そうすることによってまた相互主義で相手国政府からも情報が得られるだろうと、そういう協力関係が非常に重要だろうと。そして、そういう協力関係を密にすることによりまして情報交換がなされれば、それは偽装ということはやりにくい環境ができ上がるわけでありまして、私はむしろそちらの方が重要だろうと思っておりまして、DNA鑑定はやはり必要ないというのが私の意見でございます。
 以上です。
○参考人(遠山信一郎君) 今回、私の陳述骨子の第五というところが思い付く範囲の国家管理の手法のメニューを示しました。私の考え方は、事前管理としてのDNA鑑定をこれは差し控えましょうというふうに考えておりますと、あと四つ残るんですね。ですから、この四つをうまく組み合わせて、なおかつ運用もしっかり実施してもらうというところでいかがなものかというふうに私自身は考えております。
 以上です。
○木庭健太郎君 終わります。
○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。お二人の参考人、本当に今日はありがとうございます。
 私からも、まず、奥田参考人に今回の最高裁判決の意義についてまずお尋ねをしたいと思うんですが、立法府の裁量の範囲とその制約原理をどのように考えるのかということについて、今回の最高裁判決は厳格な審査を行ったというふうにも言われているわけですけれども、その辺り、奥田参考人の御意見、特にどうして最高裁判決はそのような原理を取ったのかという点についてお伺いをできますでしょうか。
○参考人(奥田安弘君) まず、最高裁判決の意義でございますが、確かに、国籍というのは要するに自国民の範囲を決めるということですから、それぞれの国が自国の主権作用としてその範囲を決めると。その国にとって一番基本の問題ですからその国が自主的に決めるということは当然のことでございますが、これはただ、直ちにじゃ立法の専権事項になるかということにはならないんだろうと思うんです。憲法で違憲審査が認められている以上、裁判所は憲法違反だという判断はできるわけでありますから、したがって、今回、立法権の裁量を、立法権を侵害したというようなことにはならないだろうと思います。
 その上で、じゃなぜ違憲審査に当たっていわゆる厳格審査のようなことをしたのかという点でございますが、国籍は、アメリカなんかではこれは権利を取得するための権利というような言葉を使っておりますが、国籍を請求する権利、裁判で国籍を請求する権利というものは、確かにそういうものはなかなか実定法上は言えないだろうと思います。国籍はやはり国民としての法的地位でございまして、国籍請求権というものがあるかといったら、そういうわけではないでしょう。ただしかし、その国籍を取得することによって得られる権利というものが非常に重要でございます。参政権とか公務就任権とか言われますが、私はやはり日本に住む権利、居住権、これが一番重要だろうと思います。
 現に、今回の第一次訴訟の子供は、日本人父から認知を受けているにもかかわらず退去強制命令を受けていたわけですね。それは日本国籍はないんだから当然じゃないかと思われるかもしれませんけれども、そういう法律上の親子関係が成立しているにもかかわらず日本に住む権利がない。これは国籍そのものの問題ではないけれども、国籍が前提となって居住権が与えられるわけですから、だからその前提となる国籍もこれは人権として保護しようじゃないかと。法律用語で言いますと背景的権利と言っておりますが、そういう意味で重要な人権問題だからこそ厳格審査をしたのであろうということでございます。
 つまり、単なる利益とかそういう問題ではないだろう、かといって実定法上の権利というものでもないだろう、その中間的なものといいますか、実定法上の権利の前提となる国籍ということで厳格審査が必要になったわけでありまして、これがじゃどんな場合でも厳格審査でいくかということにはならないかと思います。
 以上です。
○仁比聡平君 さらに、奥田参考人、今回の最高裁判決が国際人権規約B規約あるいは児童の権利条約について触れているわけですけれども、この点は先生はどんなふうに受け止めていらっしゃるでしょうか。
○参考人(奥田安弘君) 判決を検討しますと、判決の中では差別の禁止というところだけが取り上げられておりますが、私は、これらの人権条約の中に国籍取得権も規定されているということに注目してほしかったと思っております。
 先ほど、実定法上の権利ではないと言いましたが、いわゆる背景的な権利としての国籍取得権です。この国籍取得権そのものは直ちに具体性を持つものではありませんが、なぜそうかといいますと、それぞれの国は血統主義を取るか出生地主義を取るか、それは自由でございますので、直ちに具体的な権利には結び付かないわけですが、ただ、それが差別の禁止と結び付くこと、差別の禁止という規定と相まって、血統主義を取るんだったら、そこで国籍取得について差別をしてはいけないと、こういう形でこの二つの規定が合体して具体的な権利を生むんだろうと思います。
 ただ、判決自体は条約違反ということを直接的には認定しておりませんで、いわゆる間接適用ですね、これ間接適用と言うんですが、条約を間接的に適用して我が国の憲法の解釈の参考にしたと。最高裁の立場はそうだろうと思っております。
 以上です。
○仁比聡平君 そうした形で、先生のお言葉で言えば間接的に適用したと、間接的にでも適用したというところの重みを私ども受け止めたいと思うんですけれども。
 この婚内子と婚外子の区別について、これが、父母の婚姻が子の意思や努力によって変えることができない事柄であるという判決がございまして、これは先ほど少し話題になりました相続分についての嫡出でない子の差別にかかわる平成七年の最高裁判決とはこれは違った考え方を取っているのかもしれないと。平成七年の相続分についての最高裁の大法廷は言わば大変広い裁量を立法にもゆだねているというふうにも感じられるわけですが、その辺りは先生はどんなふうにお考えですか。
○参考人(奥田安弘君) 平成七年の判決そのものについて詳しくコメントをするというわけにはまいらないと思いますが、私自身が感じますのは、相続分差別の場合、相続分の区別の場合ですね、これをなくした場合に、つまり婚内子と婚外子と相続分を同じにするということの意味が直接財産的なものに結び付いてくる。つまり、婚外子が二分の一であったものを平等にするということは、その分だけ婚内子の取り分が減るわけですから、そういうものを考慮するということはあり得ると思います。ただ、私は、それが適切かどうかということについてはコメントを差し控えたいと思いますが、一つの考え方として、つまり婚内子の方に影響があるというところが相続分の方では問題となり得るだろうと、こう考えております。
 ところが、今回の国籍の場合は、婚外子が国籍を取っても婚内子に何の影響もないわけです。その点では、相続分差別の合憲判決というのは今回の国籍法の判決とは全く関係がないといいますか、区別して見るべきだろうと、こういうふうに思っております。
 以上です。
○仁比聡平君 遠山参考人に一点だけお尋ねしたいんですが、実務家として、DNA鑑定の義務付けの問題について実務的には厄介なことを抱えることになると冒頭の陳述でおっしゃったと思うんですけれども、この厄介さというのをどんなふうにお感じになっていらっしゃるか、教えていただけませんでしょうか。
○参考人(遠山信一郎君) 実は私も自分でDNA鑑定したことがなく、先生方もしたことが余りないかとは思うんですね。実際の訴訟空間であれば法的バックアップの中でかなり正確性を持ってくるんですが、どの業者がどのくらいの精度でどれぐらいの料金でどのようなことを実際に行っているかということ自体は全く分からないわけですね。
 そうすると、その正確性をじゃ届出の役所がどうやって対応するんだろうか。例えば、一番簡単なアイデアというのは、国が指定業者をつくって、なおかつ費用も国が持って、それでやってしまうというのであれば、アイデアとしては出てくるんだけれども、とてもそういうことは国民的理解も得られないんじゃないかというふうないろんな選択肢がある中で設計がすごく厄介である、なおかつ、それに苦労するほど価値のある管理方法かという問題がそもそも論であるということで、かなり厄介な問題かなという印象を持っているということでございます。
○仁比聡平君 ありがとうございました。
○近藤正道君 社民党・護憲連合の近藤正道です。
 今日は、お二人の参考人、大変貴重な御意見いただきましてありがとうございました。何点かお尋ねしたいというふうに思っています。
 最初に奥田参考人に質問いたしますが、先ほど国籍取得権についてのお話がございました。今回の法案の直接のきっかけになった最高裁の大法廷判決、法改正の論理の一つに国際人権規約、自由権規約と児童の権利条約がございます。この二つの国際人権規約からいきますと、国籍取得権をどういうふうにとらえたらいいのか。外国では、とにかく認知さえあれば、つまり法律上の親子関係さえあれば、新たに国籍取得という手続にどれほどの重みを持たせたらいいのか、そもそもそういうものは必要ないんではないかという議論さえ出てくる中で、日本は認知があって、かつ届出による国籍取得という新たな行為を求めているわけですね。
 ところが、この国際人権規約からいくと、私はまず国籍取得権あるいは届出による国籍取得、この法的性格をやっぱりきちっとまず整理をしておくことが必要なのではないか、こういうふうに思えてならないんですが、奥田参考人はこの点についてどういうふうにお考えでしょうか。
○参考人(奥田安弘君) 国籍取得権について、これら二つの国際人権条約では随分もちろん議論がございました。その辺の議論については私は研究いたして論文などを書いたりしたところでありますが、そこで問題となったのは、各国が血統主義と出生地主義に大きく分けて二つ相対立してあるわけです。人権条約に書かれております国籍取得権は、血統主義を採用せよとか出生地主義を採用せよと、そういうことは言っておりません。ですから、具体性に欠けるんじゃないかという議論もございました。
 今回の認知による国籍取得との関連でございますが、例えば、我が国のこういう国際人権条約に基づく報告書に対して人権委員会や子どもの権利委員会が勧告をいたしまして条約違反じゃないかというようなことを意見を述べております。どうしてそう言われたかといいますと、それは国籍取得権そのものからは直ちに条約違反とは言えないけれども、しかし差別の禁止という規定と結び付くことによって条約違反になるんだと、こういう理屈でございます。
 それでは諸外国はどうなのかということですが、諸外国の例を見るときにまず気を付けなければいけないのが、認知制度がそもそもあるかどうかなんです。先ほど言いましたように、英米には認知制度はございません。それから、ドイツも最初はなかったんです。認知制度がなくて、非嫡出親子関係そのものを、非嫡出父子関係ですね、これをかつては否定していたというような、そういう歴史がございます。最初から認知制度があった国、つまり日本が認知制度をつくるときにモデルにした国はフランスが第一ですし、ほかにベルギーやイタリアなんかがそうですね。で、フランス、ベルギー、イタリアにとっては、認知があれば国籍取得を認めるというのは、実はもうその国籍法を作った最初から当然のこととして認められておりまして、これを要するに戦前から戦後に至るまで一度もやめたことはございません。
 日本だけが、戦前の旧国籍法では認知による国籍取得の規定があったのに、戦後やめてしまったんですね。これは立法過誤かもしれませんが、この点はしかし問題にすべきではないだろうと思います。で、そのまま来まして、昭和五十九年の改正で準正による国籍取得、ただし届出による国籍取得を認めたと、こういう流れでございます。
 私、日本の国籍法と民法の、これ連動するということを申し上げましたが、そういうことからいくと、日本は最初からずっと認知制度があったのだから、やっぱり国籍取得に連動させるという方がむしろ自然だったんでしょうが、やはり国籍法は国籍法でその連動を制限するという判断、それをするということもまたそれは一つの判断であろうと思います。
 こういう認知制度があるにもかかわらず、しかし一度認知による国籍取得をやめてしまった国というのは、実は余りほかには見当たらないわけであります。ドイツの場合も、最初は認知制度がなかったけれども、一九六九年でしょうか、正確なことは覚えておりませんが、そのころに民法の方で認知制度をつくったんで、それじゃ国籍法も改正しましょうといって一九九三年に認知による国籍取得の規定を置いたわけです。
 だから、これは人権条約と直接関係する話ではありませんが、立法のことですから直接は関係しませんが、しかしドイツでもその九三年の法改正のときは随分やはり人権侵害じゃないかという議論がございまして、それで九三年にそういう規定を設けたわけですので、民法との連動ということからだけではなくて、やはり人権の観点から国籍取得を認めるべきであると。その背景にあるのは、国籍がないことによって生じる様々な権利の制限ですね、特に大きいのは居住権ですが、そういうものを考えると、やはり人権の観点を見逃すわけにはいかないだろうと思います。
 以上です。
○近藤正道君 時間がもうなくなってきているんですが、私は、その国籍取得権とかあるいは国籍届出による国籍取得、ここに余り大きなウエートを掛けるべきではないと、認知という制度があるんだから、できるだけその後はスムーズに国籍取得のところにいくべきだと、こういうふうに思っているんですね。
 ところが、日本の実務は、その国籍の取得の届けがあったときに、まあ様々、本人を出頭させたり、あるいはその父親の身分関係を様々証明させたり、あるいは最近では、この本法案の審議の中で出てきたことなんですが、母親について、外国籍の母親だけにDNA鑑定を求めたり、ある意味では過度の負担といいましょうか、あるいは新たな差別とも受け取られるような、そういうことをいろいろ今は準備をしているんですが、これは基本的にちょっとおかしいんではないかな、行き過ぎではないかな、こういうふうに私は思えてならないんですが、奥田参考人、遠山参考人、お答えいただけますか。
○参考人(奥田安弘君) 手短にお答えいたします。
 その国籍取得届は、今回新たにつくるわけではなくて、準正による国籍取得、昭和五十九年の改正のときに届出が必要だと、こう言ったわけで、今おっしゃったような手続もそのときに定められておりまして、今回の最高裁判決の趣旨は、ただ準正子と準正のない子供とを平等にしなきゃいけないと、そういう趣旨でございますので、判決の趣旨からいくと、もう届出のところは仕方のないことなのかなと思っております。
 ただ、私個人の考えでは、先ほどおっしゃったように、認知があれば当然国籍取得があるんじゃないか、届出を再度させるというのは変じゃないかと。これは立法論としては不適切ということは言えるかもしれませんが、最高裁判決に沿った改正ということであれば仕方がないかなということでございます。
 以上です。
○参考人(遠山信一郎君) 人権擁護という発想で考えると、確かにハードルをできるだけ下げるという発想はよく理解できる話だと思っています。
 ただ、一方で、だれをこの国の主権者とするかという問題でもあるんですね。そうすると、ちょっと言葉が乱暴ですけれども、むやみに主権者にするわけにはやはりいけないというお考えも十分に考えられて、そこが立法政策の問題にかかわるのかなと思います。
 だから、このハードルの取り方というのは、まさに立法府のバランス感覚で考えていただくしかないのかなというのが私の考えでございます。
○近藤正道君 終わります。
○委員長(澤雄二君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、大変お忙しいところ貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。本委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 午後一時に再開することとし、休憩いたします。
   午前十一時三十一分休憩

     法務委員会会議録 2へ続く