ゆうなぎ鉄道社長のページ - 阪神淡路大震災に遭遇して
災害の頻発する昨今、阪神大震災の時の神戸市消防局長であった、上川さんの文章を発見。神戸市消防局の広報誌「雪」の1995年3月号に添えられていた手記だ。

1995年
阪神淡路大震災に遭遇して

 上川庄二郎
 ゴゴッという音とともに凄い揺れで起こされた。 1月17日(火)の早朝、5時46分のことだった。
 一瞬のうちに、全半壊家屋86,000棟、全半焼家屋7,400棟と90,000棟を超える被害をもたらし、3,800人にも及ぶ神戸市民の尊い命を奪い、15,000人の負傷者と230,000人を超す多くの市民を被災民にしてしまった。これが、今度の震度7の直下型大震災のアッという間の出来事だった。
さらに先人たちが営々として築いてきた神戸港や美しい神戸の街も一瞬にして崩壊させてしまった。JRも阪急も阪神も市営地下鉄も神戸高速鉄道も神戸新交通も山陽電鉄も神戸電鉄もすべての鉄道を破壊し不能に陥れた。また、阪神高速道路神戸線も湾岸線も無惨にへし折られるなど全ての交通インフラが機能しなくなってしまった。1
 日本を代表する世界のハプ港も完膚なきまでに打ちのめされ、港湾機能を失った。地場産業のケミカルや灘五郷も壊滅的な打撃を受けるなど都市のあらゆる基盤を一瞬にして崩壊させる未曾有の大災害をもたらした。被害総額は、約10兆円ともそれを超えるとも推計されている。正に、関東大震災と戦災が一緒にきたと言ったらいいのだろうか。
 これが、未だに信じられない1月17日(火)の早朝、5時46分に起こった悪夢の一瞬である。ここに、不幸にして震災の犠牲になられた方々に対して深甚なる哀悼の意を表し、また、被災された方々に心からお見舞い申し上げる次第である。
 一方、西市民病院の5階部分が崩壊、職員・入院患者合わせて39人が生き埋めに。その他、民間病院が倒壊したり焼失したり、ポートアイランドにある中央市民病院は陸の孤島となるなど、市内の医療機関は壊滅状態。正に、医療空白都市と化した。
この日から水道は破損されて断水し、下水道は使えず電気もガスもない都市生活を余儀なくされる日々が始まった。これは、先に言った関東大震災や戦災よりも、高度に文明の発達した都市生活を享受してきた神戸市民にとって、被災者はもとより、全ての市民にとって耐えがたい震災生活を余儀なくされることとなった。
 午前11時に、三田市消防本部が一番乗りで応援に駆けつけ、次いで午後1時40分には大阪市消防局が、それから以後続々と各地の消防本部から応援隊が駆けつけてくれた。最終的には、全国、北は札幌から南は麗児島までの42都道府県、442消防本部から延べ20,000名を超す隊員の派遣をしていただいた。また、自衛隊も午後1時15分に到着し、早速西市民病院の救助に当たっていただいた。この場をお借りして、厚くお礼を申し上げる次第。ほんとに隊員の皆さんには不眠不休で消火、救助・救急活動に活躍していただいた。神戸市民は、このご恩を決して忘れないと思う。

 私は今、神戸市消防局長の任にある。この日、自分はどのような行動をしたのか。少し振り返っておきたい。
 1月17日5時46分、ゴゴッというひどい揺れとともに揺り起こされた。隣のベッドで寝ていた女房が「地震や!」というので、「これは大きい。布団を被って少しじっとしていろ!」と言うのがやっとだった。
 地震の治まるのを待って、電気をつけようとスィッチを押すがすでに停電。本部の管制室に電話をと受話器をとったが、これも通じない。
これは只事ではない、「すぐに出掛ける」と作業服に着替え長靴を履いて、最寄りの消防出張所に走った。
 ここでも、本部には電話も無線も通じない。しかし、この辺りには被害は余りないらしい。それでも落下物で怪我をしたといった市民が三三五五出張所に集まってきて、救急隊員に応急処置をしてもらっている。
 すぐに、査察広報車で本部に向かうことにし、 トンネルの多い山麓バイパスを避け、南へ国道2号に出ることにした。これが、結果として後の被害状況の把握に大いに役立ったといえる。サイレンを鳴らし、反対車線を走行して離宮道まで下りてくると、果して古い木造日本家屋がペシャンコに潰れているではないか。もう少し下ると、今度は右手の家がもうすでに手のつけられないぐらいに火の手が上がり、道路上まで倒れかけて燃え盛っている。その側を危うく通り抜け国道に出る。
 国道2号線を東に進むと阪神高速道路の桁下を通るが、1本足の橋脚が見事に座屈しているではないか。それも連続してである。
 鷹取駅辺りだったろうか。JR線越しに高く黒煙の上がるのを見た。それも一か所ではない。市街地改造で建てられたビルも傾いている。
神戸駅手前に差しかかったが、すでにサイレンを鳴らしてもこれ以上進めないほどの交通混雑である。仕方がない。有馬道を上がって楠公さん(湊川神社)から東にJR線の高架沿いに行こうと決める。
 比較的走りやすかったが、元町を過ぎて神戸高速鉄道が地下から地上に上がってきたところで、鋼鉄製の橋脚が折れ橋桁が落下しているではないか。これはただの地震ではないわ、と何だか別世界の地獄絵を見ている気持ちのようになった。
 三宮に出る。交通センタービルの5階辺りがペチャンコだ。JR三ノ宮駅ターミナルビルも大きくひび割れている。向かいのそごう百貨店も何だか変だ。
 南に下がる。やっ! 市役所がおかしい。低くなっているぞ! よく見ると6階がなくなっている。潰されたんだ。向かいの明治生命ビルも前のめりに傾いて肋骨が突き出したようになっている。
 壊れた落下物で塞がれた通用口からやっと庁内に入る。7時過ぎだった。渡り廊下で笹山市長と出会う。市長は早い!
 管制室に入る。すでに、吉宗警防部長が到着して指揮に当たっていた。「今しがた、市長が見え、消火よろしく頼む。拡大防止に全力を注いでくれといわれました」とのこと。早速に災害の状況を聞くが、すでに火災24件、救助事案など108件。現在の防御活動の現状確認と各署個別対応への切替えを承認。

 この頃の様子を、ほぼ正確に表現してくれている1月26日の産経新聞「検証、 1・17激震」での取材記事を引用しておこう。
 「この歯がゆさをどう表現すればいいのか」。神戸市消防局長は、市庁舎(同市中央区)3号館2階の指令室で背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。
 道路の大渋滞が消防車を足止めし、現場に到着しても消火用水の確保がままならない。幾筋もの猛煙が立ちのぼる神戸市街を監視カメラで見つめていると、「分」を刻む時計の針がまるで秒針のように感じた。
上川局長は神戸市須磨区の自宅で、激しい揺れで目を覚ました。揺れが収まるのを待ち、いつも枕元に置いている懐中電灯で時計を見た。午前5時46分だった。
 すぐに、自宅近くの消防出張所まで走り、指令車に飛び乗った。その時すでに、国道2号は車であふれていた。サイレンを鳴らし、反対車線を突走った。
 10キロほどの道のりに1時間もかかり、指令室に飛び込んだのは7時過ぎ。隣の2号館は6階がおしつぶされていた。部屋中で119番通報が鳴り続ける。午前9時、応援協定を結んでいる大阪、京都、名古屋のうち、京都、名古屋の消防局、消防庁に応援要請した。
 市消防局の全隊員1,368人のうち、9割の隊員を確保できたのは地震発生から5時間後。が予想外の問題が待ち受けていた。水道管がいたる所で破損し、消防栓から水が出ないのだ。
 地下に埋められた水道管は地震の際、地面と一緒に揺れる。管のつなぎ目に融通を利かせ、絶対に外れない「かぎ手」をつける。さらに弾力性に富んだ材質の管を使えば、まず破断しないと考えられていた。
 しかし、現代の都市が体験したことのない震度7の激震は、科学的な計算を上回る破壊力だった。防火水槽もほとんどが地震でひび割れ、役に立たなかった。やむなく火災現場に近い学校のプールやせき止めた川から水をくみ上げて放水する。火災がひどかった長田区では午後から、ホースを長くつないで長田港から海水をポンプ車でくみ上げたが、水圧が十分にかからない。
 猛煙は長田区の木造家屋をなめつくし、二日間も燃え続けた。地震後、神戸市内の火災発生は約440件、焼失面積は100ヘクタール以上。(中略)
「予想もしない激震に見舞われたこと自体が、致命的だった」と上川局長は言う。

しかし、今回の震災でマスコミ、特に東京系テレビ局の取材に極めて不快な思いをしたことも事実。これについて少し弁明しておきたい。
 2月3日の午後11時、「TBSのニュース23」の放送内容である。
 自衛隊は、県からの要請があった場合に備えて午前7時過ぎから神戸市や淡路島上空を視察。空中消火基地となるヘリポートを設定していた。「長田区あたりに対しては須磨海岸あたりが適当でないか、ということで写真を撮り準備はしていた」
 神戸市は、午前中(1月17日)の段階で、「県を通じて自衛隊から打診を受けていたが、すでに空中からの消火は必要ないと判断していたとされる」というテロップが流れ、「同日午後8時頃、自衛隊は県にあらためて空からの消火の必要性を打診した」と放映し、次いで、県はすぐに神戸市に伝えたところ、「地上からの消火で十分対応ができると思うが、明日7時まで待ってほしい」と回答した、と放映した。
 こんな事実はないし、私もそのことを説明したにもかかわらず、無責任なあたかも神戸市消防局が自衛隊のヘリによる有効な空中消火を断り、結果として大火になったかのような放映である。
 その後、県に駐在していた自衛隊の某幹部に私自身直接会って話し合ったのだが、その時の様子を整理してみよう。
まず、「自衛隊は本当に17日に県を通じて神戸市に伝えたというのか? 」という問いに対し、その事実については曖味に言葉をにごした。次に、「ヘリによる市街地での空中消火の実績はあるのか? 」の問いについても、「林野火災の実績はあるが、市街地火災のそれはない」。また、「何処まで有効か疑問を持ったままだ」という回答。それなら、我々消防(神戸消防だけでない)の林野用ヘリ消火と変わりはないではないか。
 その上、ヘリ消火で吹き上げ流が起こり、かえって火面拡大も懸念されることを認め、さらに「夜間消人ができるのか? 」の問いについても「できない」との返事。
 「それならば、何故、曲来ない空中消火にこだわるのか? 」と問い詰めると、「上からの命令だ」という。こんな馬鹿げたことで世論を愚弄していいのだろうか。しかもマスコミまで踊らして一。神戸市民はモルモットではない。私たち消防はあの日の消火活動には命をかけて真剣に戦っていたのにいい加減にしてくれ、と言いたい。事実、この番組が終わった後、神戸市民でない視聴者から、何故消防は自衛隊の申し出を断ったのか、といった電話が幾つも入って管理職が迷惑させられた。
 その後、消防庁長官と防衛庁事務次官で話し合ってもらい、結局、自衛隊も空中消火は出来ない、また今後こういったことは言わないということで決着した。また、国会答弁でも自治大臣答弁は「ヘリ消火は効果がない」と言っている。 ・
 にもかかわらず、今度週間誌(2月3日の週間宝石)が「阪神の大火災は自衛隊のヘリ出動ですぐに消せた!」という大きな見出しで自衛隊幹部OBの発言を取り上げ、「ふだんから空中消火の訓練を行っている自衛隊ヘリなら心配ない。なぜ消防当局がヘリ消火要請をしなかったのか、日頃のい研鑽の欠如が悔やまれるところだ」とか、専門家たちの無知な発言として「現在行われているヘリ消火の議論は、実際にヘリ消火の経験のない人々を中心に進められているのが実情だ。このような間違った情報を前提にして議論が進められていることは大きな問題です。実情を知っているのは自衛隊なんですが、自衛隊はやはり本当のことをキチンと主張していかないといけないと思います」なんてうそぶいている。
 神戸市消防局だってヘリコプターは2機持っているし、パイロットも4名とも自衛隊出身で、飛行時間も2,000時間以上のベテラン揃いである。そんなに経験のないパイロットばかりいるわけではないことを申し添えておこう。
 史上稀に見るこの大震災に遭遇して、あらん限りの力を費やし消火活動に救助活動に活躍した消防隊員の気持ちをみじんも知らないマスコミのやらせ記事のようなものに、何故我々消防隊員がもて遊ばれなくてはならないのか。腹立たしさを超えて、憤りさえ覚える今日この頃である。

 またさらに、震災後の国会のテレビ中継を見るにつけ感じることは、どうして被災地を愚弄するようなことばかり論議しているのだろうということである。まるで、この震災を政争の具にして官邸や自衛隊の初動態勢の遅れや連携の悪さをあげつらい、総理大臣の責任論や空理空論に明け暮れているとしか思えない。
 もっと大事なことは、今なお避難所生活を続ける18万人もの被災者の明日の住居をどうするか、 150万市民の生活再建にどう取り組むか、はたまた、地場産業の生き残りのためにどうすればいいか、世界のハブ港としての神戸港は何としても再生をさせなければならない、といった前向きの復興計画を議論して欲しいものでぁる。
 中でも神戸港の復興は、単に神戸市の問題でなく、日本の経済にまで大きく係わる問題であることを忘れないようにしていただきたいのだが、今の政府なり国会議員には、この辺りのことにどれだけ認識があるのだろうか。淋しい限りと言わざるを得ない。

 それでも、医療スタッフや上下水道関係技術者など様々な分野で他都市からの応援やボランティアの皆さんの暖かい支援が続いている。有り難いこと、涙の出る思いで感謝している。
 神戸市民は不死鳥のごとく必ずや立ち直り生き返ってくれると私は信じているし確信している。見てご覧なさい。この不自由な生活に耐えて、市民の間には何一つパニックは起こっていないではないか。むしろ、災害当日は市民みんなが消火・救助に力の限りを尽くして下さったし、今は近隣の助け合いの絆が今までにも増して強くなったといえるのではないだろうか。
 応援していただいた上に、さらに各消防本部・消防団の皆さんから毎日のように義援金が届く。被災しながら頑張った神戸市消防隊員、消防団員にぜひとの伝言もある。また、多くの方々からの日常品の差し入れもいただいた。
 このご好意を無にすることなく、これからも神戸市民の生命と財産を守る頼もしい消防人としてその任務を全うすることをお誓いして、ひとまず筆を置くとしょう。