[293] Little Lancer 五話 01/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/02/12(火) 01:24:16 ID:q+TQ/oUv
[294] Little Lancer 五話 02/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/02/12(火) 01:26:24 ID:q+TQ/oUv
[295] Little Lancer 五話 03/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/02/12(火) 01:28:12 ID:q+TQ/oUv
[296] Little Lancer 五話 04/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/02/12(火) 01:29:04 ID:q+TQ/oUv
[297] Little Lancer 五話 05/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/02/12(火) 01:29:48 ID:q+TQ/oUv
[298] Little Lancer 五話 06/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/02/12(火) 01:30:49 ID:q+TQ/oUv
[299] Little Lancer 五話 07/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/02/12(火) 01:33:50 ID:q+TQ/oUv
[300] Little Lancer 五話 08/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/02/12(火) 01:34:27 ID:q+TQ/oUv
[301] Little Lancer 五話 09/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/02/12(火) 01:35:41 ID:q+TQ/oUv
[302] Little Lancer 五話 10/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/02/12(火) 01:36:33 ID:q+TQ/oUv
[303] Little Lancer 五話 11/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/02/12(火) 01:37:09 ID:q+TQ/oUv
[304] Little Lancer 五話 12/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/02/12(火) 01:37:55 ID:q+TQ/oUv
[305] Little Lancer 五話 13/13 ◆vyCuygcBYc sage 2008/02/12(火) 01:38:39 ID:q+TQ/oUv

 その日の昼食には、ニンジンが入っていた。
 大きな角切りのニンジンがゴロゴロと、ホワイトシチューの中に浮かんでいる。
 うーん、とキャロは形の良い眉を寄せた。
 別段好き嫌いなど無いキャロだが、ニンジンだけはどうしても食べられなかった。
 あの独特の甘みが苦手なのだ。
 フォークの先端に突き刺して、くんくんと匂いを嗅いでみる。

「う〜ん……」

 スプーンで掬えるような小さなものなら、我慢して飲み込めないことも無いのが、この塊はキャロにとって余りに巨大だった。
 かくなる上は、とキャロは思う。

「ねえ、エリオくん、またニンジン―――」

 お願い! のポーズをしながら左隣の友人に振り向き―――
 ―――そこに、誰も居ないことに気付いた。
 そのテーブルには、キャロが唯一人だけだった。
 スバルとティアナは必殺技の特訓があるというので、今日はキャロ独りで食堂に向かったのだ。

「あはっ……」

 自嘲気味の笑みが零れた。
 かちゃり、とニンジンの刺さったフォークが器に落ちて音を立てる。
 キャロはゆっくりと顔を抑えて、待機形態のストラーダの巻かれた右手首を撫でた。

「やっぱり、わたし、馬鹿だ……。エリオくん、もう、いないのに……」

 既に、JS事件の終結から10日余りが過ぎていた。
 だがキャロは、エリオの死を未だに現実のものとして実感できずにいた。
 勿論、頭ではちゃんと理解したいる。思い出す度に泣きもする。エリオの最後は夢にも出る――― 
 それでも、振り向けばそこにエリオが笑っているような気がして……
 エリオの死を再認識させられる度に、キャロはぐすぐすと涙を流すのだ。
 
「きゅくる〜……」

 食事の途中に不意に泣き出したキャロの顔を、フリードリヒが心配そうに覗きこんだ。
 ごしごしと子供っぽい仕草で、キャロは涙を拭いながらフリードリヒの背を撫でた。

「ごめんね、フリード……わたし、ダメだよね。
 いつまでも泣いてちゃ、エリオくん、きっと安心できないから。
 いつまでも泣いてちゃ、ダメだよね」

 そう言って、再びフォークを手に取った。
 一大決心を籠めて、ぐーでフォークの柄を握る。

「きゅくるっ!」

 ボクが食べてあげようか? とばかりに首を伸ばすフリードリヒを、キャロは優しく止めた。

「大丈夫、フリード。わたし、独りでもちゃんと食べられるから。
 ちゃんとニンジン食べられるよーって、エリオくんに見せてあげるんだから」

 そう言って、少女は不器用な手つきでニンジンを口に運んだ。
 フォークの使い方を覚えたばかりの小さな子供のような手つきで、次々と少女の小さな口には少し大きなニンジンを運び、目を瞑って咀嚼しては飲み込んだ。

 ―――そこに小さな救いがあったとするなら、涙が鼻に詰まってニンジンの味を全く感じなかった事だろうか……



『Little Lancer 五話』



 シグナムは、自動販売機の隣のベンチに座って、ぼんやりと訓練場を眺めていた。
 ぶらりと垂れた右掌の中には、プルタブを開けてもいない缶コーヒーが握られている。
 彼女は、当て所もなく視線を訓練場に彷徨わせている。
 『烈火の剣将』と字される普段のシグナムからは想像もできない緩みようである。

「んったく、何やってやがんだよ、こんな所で」
「……ああ、ヴィータか。何でもない。
 ―――ただ、一休みをしてただけだ」

 シグナムはヴィータの方を振り向きもしない。
 鉄槌の騎士は、戦友の呆けきった姿に嘆息しながら告げた。

「おい、折角訓練場にいるんだ。久々に手合わせでもしようぜ。
 あれから十日ほど、どうも緩んだ空気が流れてていけねえ。
 久々にマジな一本勝負でもして、気を引き締めようぜ」

 ヴォルケンリッターの将の中でも一際図抜けたバトルマニアとして知られるシグナムは、静かに頭を振った。

「やめておくよ。余り……面白そうじゃない」
「ああ!? シグナムてめえ、あたしじゃ相手にならないって言いたいのか!?
 何時の間にかに随分偉くなったもんだよなぁ、シグナムさんよ!」

 喰ってかかるヴィータに、シグナムは気の抜けた表情で再び頭を振った。

「済まない、そういう意味で言ったんじゃないだ……
 今の私は、誰とも楽しく剣を交えることができそうにないんだ……」

 シグナムはそう言うと、静かに席を立った。
 返す言葉も無いヴィータの手の中に、ぽとりと未開封の缶コーヒーを落とした。

「おい! 飲まないのかよ!?」
「体を動かしても無いのに、水分補給が必要になる筈無いだろう」

 そう言って、シグナムは訓練場から去っていった。

「ったく、重症だな、あれは―――でも、フェイトに比べれば随分マシか……」

 ヴィータは苛立たしげにそう言うと、温びた缶コーヒーを一気に飲み干した。



 シグナムの向かった先は、医務室だった。
 ベッドには、輝きを失った、心優しき金の閃光が横たわっていた。
 痩せこけた頬、艶を無くした髪、落ち窪んだ眼―――
 腕には、点滴のチューブが繋がれていた。
 ベッドの隣の椅子には、憔悴しきった表情のアルフが座っていた。

「今、薬で眠ったところなのよ」

 シャマルは、開口一番にそう告げた。
 見るも無残な剣友の姿に、シグナムは目を伏せた。

「……どうしてだよ……どうして、こんなことに……」

 アルフの握り締めた拳に、涙の雫が滴り落ちる。
 
「フェイトちゃん、あれから睡眠も食事も摂ってなかったみたいでね……
 今朝、部屋で倒れててるのをアルフが見つけたのよ……」
「フェイト、食事を摂っても戻してばっかりで、あれからマトモな食事は一度も……
 それに、眠るように言っても、ベットに入ったまま目を開いてずっと宙を見てるんだ。
 何度も……何度もっ!、きちんと眠らなくちゃって、食事とらなくっちゃって、注意したんだけどっ!」
「責任感の塊のような奴だからな……自分が、許せないんだろう」
「―――エリオも、フェイトも何をしたってんだよ! 畜生! 畜生っ!!」

 再び、医務室の扉が開いた。
 やってきたのは、なのはとはやてだった。それぞれ見舞いの花束を持っている。

「フェイトちゃんの容態はどないや?」
「見ての通りよ……完全に入院が必要な状態だわ。
 この容態が続くなら、最悪なら命まで―――」
「……フェイトちゃん―――」

 二人は、目に涙を浮かべて変わり果てた親友の顔を見つめた。  


     ◆


「こんな所で言うのは何なんやけどな」

 そう前置いて、はやてはクアットロの逃亡とスカリエッティの蘇生が確実となったことを告げた。
 なのはも薄々感ずいていたのだろうか、悲しげな顔で頷いた。

「まだ……戦いは終わらないんだね」  
「ああ、そうや。機動六課は当分解散できへん。
 今回の件で、六課は大災害を未然に食い止めた『奇跡の部隊』との風評や。
 スカリエッティに立ち向かう為の神輿に据えるには丁度いいと、上の偉いさんも考えたんやろ……
 それに、どうも陸の偉いさん達は、スカリエッティを相手にするのを嫌がっとる節がある。
 ……レジアス中将の件で裏からスカリエッティに繋がりがあった陸は、スカリエッティを恐れとる。
 まあ、大きなオモチャ空に浮かべた挙句、次元振動起してミッドに落とそうとするようなキチガイなんて、誰も相手しとうないわな。
 でもま、その分、六課はこれからの活動で相当の自由が許されるって話や。
 出力リミッターの任意解除はもちろん、色々なとこで横車が押せるようになったんやで」

 アルフは椅子を蹴るようにして立ち上がった。

「そんなことは、そんなことは、どうでもいいんだよ!
 あいつら、―――エリオ殺してフェイトをこんなにしたあいつらは、まだのうのうと逃げ延びてるんだよな!」

 アルフの掌の中から、肉食獣の爪が延びる。
 
「仇を、討ってやる……仇、討って、あの眼鏡女の首をフェイトに見せて、少しでも安心させてやる……」

 ベッドから、細く青白い手が延びた。

「……そんなこと、しなくていいよ、アルフ」
「フェイトごめん、起しちゃった!?」
「フェイトちゃん、まだ寝てなきゃ駄目だよ!」

 周囲の制止も聞かず、フェイトはベッドの中で状態を起した。

「エリオの仇は、私、だから……
 あの戦闘機人逃がして、エリオが死ぬ原因を作ったのは、私……
 ううん、私が居なければ、エリオは機動六課に入ることも無かった。
 もし私に出会わなければ、エリオはあんなことにならずに幸せに暮らせた。
 何もかも、私のせい―――
 エリオの仇を討つなら、私を―――」

 誰もがその言葉を否定しようとした瞬間。

「そんな事言っちゃあダメです!!」

 誰よりも早く機先を制してフェイトの言葉を遮ったのは、医務室に飛び込んできたキャロだった。

「そんな悲しいこと、言わないで下さい……っ!
 フェイトさん、わたし、まだまだ子供ですけど、これだけは言えます……
 今のフェイトさんの言葉は、絶対に、間違ってますっ!!
 あの時、エリオくんと二人で言いましたよね?
 もしもフェイトさんが道を間違った時は、わたし達が正しますって!
 だから、今、ここで、わたしはフェイトさんの間違いを正します。
 フェイトさんは、わたし達を見つけてくれました、育ててくれました!
 わたし達、フェイトさんに出会えて幸せでした! 
 わたしがエリオくんと二人で話す時、どうすればフェイトさんに喜んでもらえるかって、そんな事ばかり話してました!
 フェイトさんは、エリオくんの仇なんかじゃありません!
 フェイトさんは、エリオくんの―――わたし達の、最高のお母さんです!
 エリオくんも、絶対にそう思っています!
 だから―――だからお願いします。そんな、悲しいこと言わないで下さい!!!」

 フェイトは、キャロの言葉を唇を噛み締めるようにして聞いていた。
 キャロは、最後にこう告げた。

「わたし……エリオくんの果たせなかった夢を継ごうと思うんです。
 ―――見てて下さい」

 そういって、キャロは右手首のストラーダに手を伸ばした。

『Set up.』

 キャロの全身が光に包まれる。ストラーダのスピアーフォルムが姿を現す。
 眩い光の中から現れたキャロは―――果たして、エリオのバリアジャケット姿をしていた。

「ストラーダにお願いして、やっとここまで出来るようになったんです。
 見てて下さい、わたし、きっとエリオくんの目指した立派な騎士になりますから―――」

 そう言って真っ直ぐな瞳でフェイトの顔を見つめたキャロは、
 ―――そこに、本当の恐怖の表情を見た。

「……いや、いやぁぁエリオ、ごめんなさい、ごめんなさいぃ!」

 顔を抑えてのたうち回って泣き叫ぶフェイトは、程なくしてシャマルに鎮静剤を打たれて再び眠りについた。


     ◆


「……っ、……っっ、フェイトさん、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 医務室の外で、キャロはしゃくり上げながら泣き続けていた。

「……キャロのせいじゃ、ないよ」

 キャロの頭を優しげになのはが撫でた。

「そやな。キャロの考え方は立派やし、キャロはフェイトちゃんのこと思っとる優しい子や。
 ただ、今のフェイトちゃんには、ちょびっとだけ刺激が強すぎたみたいやな……」
「わたし、ただ、ただフェイトさんに元気になって欲しかっただけなのに……」
「そうだ、フェイトのせいじゃない……全部、奴らのせいだ」

 アルフが怒りに燃える瞳で立ち上がった。

「止めておけ」

 それを、シグナムが押し止めた。
 
「『―――悲しい過去があろうと、消せない傷痕があろうと、生きる意味を見失わなければ人は強く生きていけるもの』
 ……もう、いつ聞いたのかも覚えていなが、古代ベルカの諺だ。
 今のテスタロッサは、自分の生きる意味を完全に見失っている。
 皆も知っている通り、テスタロッサは誰よりも責任感が強く、そして優しい。
 復讐は、どうあってもテスタロッサの生きる意味には成り得ない。
 テスタロッサは、エリオとキャロの母だからな。
 ……この子達を見ていると、それが、良く解る」

 シグナムは泣き続けるキャロの頭をくしゃくしゃと撫でた。
 子供の頭を撫でることに慣れていないのか、どこか乱暴で握り締めるような、でも優しい撫で方だった。

「テスタロッサが立ち直る為には、テスタロッサが己を許し、己の生きる意味を見つけなければならない。
 我々に出来るのは―――それを見守り、陰から手助けすることだけだ。
 私は、テスタロッサを信じている。
 あいつは―――強い女だからな。必ず、乗り越えられると、信じている」

 アルフが、涙を零して席に着いた。
 シグナムは思う―――あのJS事件の日から、一体どれだけの涙を見たのだろうか。
 はやては思う―――10年前のクリスマス、初代リーンフォースとの別れ。
 あんな悲しみを少しでも減らそうと立ち上げた機動六課。それがどうしてこんなことに。
 なのはは思う―――PT事件の日、母プレシア・テスタロッサに捨てられ、一時は廃人のようになりながらも立ち上がった友人のことを。
 再び、立ち上がってくれることを信じるしかない無力な自分を。

 シグナムは、泣き続けるキャロの頭に手を置いた。

「キャロ、付いて来い。訓練場に行くぞ。
 エリオのような騎士になりたいんだろう?
 ならば―――私が、稽古をつけてやる」

 キャロは涙を溜めた瞳でシグナムを見上げ―――強く、頷いた。


     ◆


 シグナムはレヴァンティンを抜いてキャロに正対した。
 エリオのバリアジャケットに身を包んだキャロは、ストラーダを抱えるようにして構えてシグナムに対峙している。
 言うまでもなく、ストラーダを装備したばかりのキャロなど、シグナムにとっては目も開かない子猫も同然だ。
 喩え素手の片腕だろうと一息の間に勝負を決めることが可能だろう。
 だが、騎士の礼儀として剣を構え、どこからでも懸かって来いと視線で告げる。

「やああぁ!」

 キャロが渾身の力を籠めて突き懸かる―――だが、槍の重量に上体が引きずられ、全身がぐらりと揺れた。
 シグナムがかわすまでもなく、その槍の先端は掠りもしなかった。
 再び、体勢を立て直し、幾度も刺突を繰り返す。
 目蓋の裏に騎士を目指してこのストラーダを執った少年の姿を浮かべ、それに自身を重ねようと突きを繰り返す。
 だが、どれも思い浮かべる少年の姿には遠く及ばず、珍妙な踊りを踊っているかのような無様を晒しているだろうことは容易に自覚できた、
 傍から見ればさぞ滑稽であるだろうキャロの姿を、シグナムはニコリともせず見つめ続ける。
 殆どの刺突は届きもせず、運よく体に触れそうになった一撃は、剣の刃先で撫でるようにして受け流された。
 元々運動神経に劣っており、フォワード陣の中でもフルバックで最も運動量の乏しいキャロである。
 5分も経たないうちに足をふらつかせ、肩で息を始めた。

「どうした? これで終わりか? このざまじゃあ……100年経ってもエリオのようにはなれないな」
「……っ、まだまだです!」
『Sonic Move.』

 ストラーダの高速移動機能を発言させる。 
 途端、キャロは体の全ての均衡を失った。
 移動速度に身体感覚がついていかず、バランスを崩して転倒したのだ。
 手に持ったストラーダで己を傷つける寸前、キャロはシグナムに抱きとめられた。
 目を回して失神したキャロは、シグナムの腕の中で、悔しげながらもどこか満足げな表情を見せていた。
 

     ◆


 次の日も、その次の日も同様にシグナムに稽古を挑むキャロだったが結果は同じ。
 シグナムには掠る事すら出来ない。
 自滅も同然の形で失神し、倒れてその稽古を終えるのだ。

「シグナムさん、これはやっぱりちょっと、キャロには無茶なんじゃないかな……」

 ある日、稽古を終えるとなのはとフェイトが連れ立って訓練場に見せていた。

「テスタロッサ、もう体の調子はいいのか?」
「うん、なんとか。
 ……まだ、エリオの名前を聞くだけで、どうしたらいいか解らなくなる。
 足が震えて、胸が痛んで、どうしようもなくなる。
 まだ、私がエリオの為に何が出来るのか……こんな私が居てもいいのかも解らないけど……
 キャロを見ると思うんだ。私も、ただ立ち止まってるだけじゃ駄目だって。
 エリオは……もう、……いないけど、キャロの為だけでも、私がしっかりしなきゃって……」
「今は、それでいい。テスタロッサ、ゆっくり、自分の答えを探して行けばいい」

 シグナムはゆっくりと頷いた。
 なのはがボロボロになり気を失ったキャロの頭を撫でる。

「でも、シグナムさん、やっぱりこれは……無茶です。
 こんなトレーニングをしても、キャロにとって利になることはありません」
「シグナム、それについては私もなのはに同感。
 シグナムの指導は、ちょっと、度を越してる」

 シグナムは腕に抱いたキャロの頭を撫でて、顔を曇らせた。

「なのは、テスタロッサ、年長者として、一つ忠告をしておこう。
 ―――確かに、トレーニング効率の話ならば、お前達の言う通りなのだろう。
 お前達は正しい。
 トレーニング効率だけの話じゃない。これまでの戦い、機動六課での活動、お前達は常に正しい道を来た。
 正し過ぎて、私には眩しい程だ。
 ―――だが、この世には、正しさでは救い上げることができないものも有る。
 テスタロッサ、今のお前になら、解るだろう?
 ……今のキャロは、エリオの後を追うことで立っている。
 震える足を押さえて、崩れ落ちそうな体を抱き締めて、今にも泣き出しそうな瞳を歯を食いしばって耐えている。
 エリオの槍を持った時のキャロがどんな顔をしているか、お前達は見ているか?
 きっと、キャロはエリオの槍に縋らなければ、一息の呼吸すらできない状態だ。
 そんなキャロに、どうして無茶をするななどと言える? 
 今の私達にできるのは―――ただ、正面から受け止めてやることだけだ。
 いずれ、キャロが新たな道を見つけるにせよ―――今は、それだけだ」

 なのはとフェイトは、神妙な顔でシグナムの言葉に頷いた。
 最後に、フェイトがキャロの頭を撫でて言った。

「キャロ……がんばってね―――
 私も、お母さんも、頑張っていくからね―――」

 フェイトの顔の陰は消えないものの、彼女は何とか六課へと復帰を果たした―――
 

     ◆


 その日、朝のなのはの教導の模擬戦で、六課のフォワードメンバーの不満が爆発した。
 ガードウイングへの転向を行ったキャロを、ティアナとスバルが戒めたのだ。

「やっぱり、キャロにはフルバックに徹してもらった方がいいよ」
「うん……、キャロの気持ちは凄くよく解るんだけど、あたしもその点はティアと同感かな。
 キャロの能力が一番生かせるポジションは、フルバックだと思う」
「……ごめんなさい」

 キャロは下を向いてしゅんと項垂れた。

「キャロ、あんたの気持ちはとても大切なもの。それはあたし達も解ってる。
 でもね―――あたしたちは、チームなの。
 キャロも自覚してるだろうからズバッと言っちゃうけど―――あんたのガードウイングとしての能力は、エリオに遥かに及ばないわ。
 その反面、フルバックの能力は今までの個別指導の成果もあって、相当なレベルに達してきてる。
 その……エリオが居なくなっちゃって、優秀なガードウイングが居なくなっちゃたのは凄く痛いけど……
 キャロがその穴を埋めようと頑張ってるのは解るけど……
 あんたじゃ、どうあってもその穴を埋めることはできないの。
 優秀なガードウイングと優秀なフルバックを失って、代わりに役立たずのガードウイングを入れたんじゃ割りが合わない。
 だからキャロ、あんたには優秀なフルバックで居て欲しいの」

 キャロは目に涙を溜めて答えた。

「ティアさんの言ってることが、本当に正しいのは、わたしにも解ります。
 わたしが、エリオくんみたいなガードウイングになれてないのは、自分が一番良く解ってるんです。
 それでもっ!
 ……ごめんなさい、わたしは、それでも、エリオくんの目指した騎士になりたいんです」

 いつも素直で物解りの良いキャロの、初めての駄々をこねるような物言いに、スバルとティアナは嘆息をした。

「気持ちは、……よく解るんだけどねえ―――」

 ぱんぱん、と手を打つ音がした。
 
「はい、みんなそこまで」

 六課の教導官高町なのはが、にこにこと笑顔を見せていた。

「今回の事、みんなよく悩んでるみたいだね。
 そうそう、それが大事。なんでも良く考えるのが一番大事だよ。
 今回の件でみんなが気付いたのは、ガードウイングとフルバックのポジションの重要性だよね。
 まず……ガードウイングの重要性に気付いて、それからフルバックの重要性にも気が付いた。
 今日の模擬戦、コンビネーションも動きもガタガタだったからね」
「―――なのはさん」
「ん〜、正しいのはやっぱりティアナとスバルの考え方かな。
 でも、キャロの想いも尊重してあげたい」
「そこでうちから、ビックリハッピーな解決策や〜〜!」
「八神部隊長!?」

 突然訓練場に顔を出したはやてに、フォワード陣の一同は驚愕した。
 そして、はやてに連れられて現れた少女の姿に、更なる驚愕をした。

「……どうも」
「ルーテシア!?」
「ルーちゃん、どうしてこんな所にいるの?」
「……奉仕活動。本当は、次元世界で更正プログラムを受ける筈だったんだけど、懲役の代わりにここで働かないかって……」
「そーいうことや。今日からこの子、ルーテシア・アルピーノが六課フォワード陣のフルバック、ライトニング5や!
 ……まあ、オトナの事情が色々あって、このルー子をこっちに連れてくるのに時間がかかったんやけど、細かいとこはツッコまんどいてや!  
 みんな、仲良くしてやってな!」

 フォワード陣はぽかんと口を開けたまま、声も無い。
 ルーテシアの足元に召喚魔法陣が回転し、外骨格に覆われた巨体が姿を現す。
 ある種の不気味さを持つ異様をなのはは朗らかに紹介した。

「こちらは、ルーテシアの召喚虫のガリュー。このガリューがサイドウイングに回ってくれることになったの。
 これからは、ルーテシアがメインのフルバック、ガリューとキャロでガードウイングを守りながら、キャロはケリュケイオンを併用。
 ガードウイングとして移動した先で臨機応変にバックスも行うことになるから。
 これからも新しいフォーメーションで、びしばしいくよ〜」

 一同は、冷や汗を垂らしながら今後の苦行を思った。


     ◆


 ルーテシアは、キャロに問うた。
 一同が解散し、ルーテシアとキャロの二人きりになった時の事だった。

「……あなた、私のこと怨んでないの?」

 二人の間に、秋口の冷たい風が吹いた。

「ルーちゃん、何、言ってるの?」
「……あの男の子……エリオは、暴走した私のことを止めようとして、ゆりかごに行って死じゃったんだよね?」
「ルーちゃん……」
「……私と戦ったりしなければ、あの子はきっと死なずに済んだ筈」
「やめて」
「……だから、あなたは私を怨んでいい」
「ルーちゃん……やめてっ!」

 キャロの声は悲鳴に近かった。

「わたしは―――きっと、エリオくんも―――ルーちゃんのこと、怨んだりなんてしてないから。
 わたし達はね、ルーちゃんと、お友達になりたかったから戦ったの。
 ルーちゃんを怨んだり、するためじゃ、ない。
 わたしも、エリオくんが死なずに済んだ、もっといい方法があったんじゃないかって思うことが何度もある。
 その度に、どうしようもなくてベッドの中で一人で泣いちゃう。
 それでもね、あの時のわたし達の行動は間違って無かったって、そう思うの。
 死んじゃったエリオくんの為にも、そんな事は言わないで……
 
 それから―――良かったら、わたしと、お友達になって」

 キャロは、ルーテシアにストラーダを手首に嵌めた右手を差し出した。
 ルーテシアは―――その手を、ゆっくりと握り返した。

 その光景をなのはとはやては遠くから眺めていた。
 
「やっぱり、みんな、先に進むしかないんやな……」
 
 本来なら長期懲役に該当するルーテシアとアギトを、このような形で六課に登用したのは、はやての横車である。
 『幼き槍の遣い手』の予言の存在もあり、キャロをガードウイングとして使用するためにも、キャロに類似した能力をもつフルバックの存在は必須だったのである。
 JS事件以来、はやての発言権は大きく向上しており、慣れない『オトナの手段』を使い、二人を登用したのである。

「そうだね。わたし達も、前に進むしかないよね」

 黄昏時、嬉しげにルーテシアの手を握って上下にふるキャロと、困ったような顔をして手を握られるルーテシアの姿を、二人は楽しげに眺めていた。

「んふふ、ルー子の部屋、キャロと同室にしといたで。これから、キャロは寮に帰って二度ビックリや」

 はやては悪戯っぽい笑みを浮かべる。
 六課はゆっくりと、だが着実に、エリオの死から立ち直って行った。


     ◆


 ―――はい?、クア姉の話っスか?
 いいッスよ〜 何でもこのウェンディちゃんが答えちゃうっス!
 え? あんまり出しゃばるなって? まぁまぁノーヴェ、そう固いこと言わずにっス。
 解ってますって、これも捜査協力の一環ってことっスね。
 ええっと、あたしの知ってることは全部チンク姉の受け売りになるんっスけど……
 え? ならチンク姉に聞く? ああ、ちょっと待ってっス! あたしにも喋らせてっスよ!
 ……さっすがチンク姉、話が解るっス!! じゃあ、チンク姉がそこで聞いてて、間違ったとことかあったら訂正して下さいっス!

 クア姉、一人だけ逃げちゃって今も捕まえてないんっスよね〜
 あはは、ちゃっかりもののクア姉っぽいっス!
 え? 笑いごとじゃない? はいはい、じゃあ話を始めるっスね。

 ええっと、あたし達のナンバーの1番から4番、ウーノ姉、ドゥーエ姉、トーレ姉、クア姉の四人は、産まれからしてちょっと違うんっス。
 この四人は、ドクターの因子ってのを受け継いでいるんっス。
 ん〜ドクターの因子ってのがどういうものか、受け継いでないあたしにはよく解らないっスけど……
 何と言うか、この四人は行動や考え方がどこかドクターに似てる感じがあったっスね。
 ウーノ姉とトーレ姉は軌道拘置所に居るんっスよね。きっとドクターやクア姉も捕まってたらそっちに行ってるっスよ。
 それに、この四人はあたし達ナンバーズの中でも、それぞれ特別な役目を持ってたっス。
 それぞれ教えて欲しい? いいっスよ! 頑張って答えちゃうっス!

 まず、ウーノ姉っスね。
 これはもう知ってると思うっスけど、ウーノ姉はあたし達の中で唯一、全く戦闘をしないドクターの秘書だったんっス。
 ドクターの散髪までしてたんっスよ?
 一番の年上だったっスし、何かナンバーズの中で一番偉い人って感じだったっス。
 誰もウーノ姉には口答えできなかったっス。

 んで、次ドゥーエ姉。
 んと、あたしドゥーエ姉には会ったことがないんで、ドゥーエ姉のことは余りよく知らないんっスよね……
 あたし達の中で唯一死んじゃった人っスしね……
 チンク姉は確か会ったことがあるんっスよね? え? やっぱり顔を合せた程度っスか。
 まあ、ドゥーエ姉はいつも何か特別な任務で外に出てたみたいっス。
 ―――ただ、クア姉を育てたのがこのドゥーエ姉って話なんっス。
 クア姉曰く、敵には怖いけど妹達には優しい人だったらしいっスよ?

 三番目のトーレ姉が、この四人の中では一番解り易いっス。
 ナンバーズの実戦リーダーで、ドクターの信頼も厚くて、多分喧嘩をしたらナンバーズで一番強い人っス。
 トーレ姉が負けちゃったって聞いたときは信じられなかったっスよ!
 そのトーレ姉に勝ったって槍使いの子、そんなに強かったんっスかね?
 凄く厳しい人で、あたしもトーレ姉のことはちょっと怖かったっス。
 ……ただ、よく解らないことがあるんっスよね。
 最後の戦いで、トーレ姉がドクターを放ってクア姉の所に行っちゃった、って話っス。
 トーレ姉は妹達に厳しい人だったっスけど、自分にも厳しい人だったんで、ドクター放ってクア姉の所に行くなんて、ありえないんっス。
 ん? ああ、やっぱりセインもそう思うっスか。
 何か、ドクターとこの四人しか知らないような秘密でも有ったんっスかね?

 あ、ちょっとお茶飲んでいいっスか? 口の中乾いちゃったっス。
 ・
 ・
 ・
 はあ〜、六課の人が差し入れくれたお茶は美味しいっスね〜
 ……で、いよいよクア姉の話っスね。
 クア姉はナンバーズのサブリーダーで、後方指揮官。
 あたし達の中で、一番自律行動可能範囲も広かったんっス。
 ルーお嬢様の扱いも任されてたみたいっスしね。
 クア姉も一番上のウーノ姉には頭が上がらないみたいだったっスけど―――
 何と言うか、ある意味、クア姉はウーノ姉よりもドクターに近い感じもしてたっス。
 ウーノ姉はドクターの後ろにピッタリついて歩いてるって感じっスけど、クア姉は何時の間にかドクターの隣に立ってるみたいな……
 解るっスか? この感じ?

 クア姉はあたし達の中じゃ珍しくいつもにこにこしてて―――
 ほら、ノーヴェなんていっつもイライラしてて……ああ、そんなに怒らないでっス!
 オットーとディードのムッツリコンビなんて見ての通りっスから、クア姉のスマイルはあたし達の中ではホント貴重だったっス。
 ―――ただ、クア姉はいつもにこにこしてたっスけど、目の奥では笑って無かったんっスよね……
 笑っててそれは本音じゃなくて、軽い口調や態度の下で何か色々考えてて……
 何て言うんっスかね? りち……りちて……でれい、れい―――そうそれ、理知的で冷酷っス!
 さっすがチンク姉! 難しい言葉を良く知ってるっス!

 なーんて言うか、クア姉、本音の部分じゃ妹達をみんな見下してたんじゃないか、って思うこともあるっス。
 ほら、周りのことを自分の―――ええと、何だったっスかね、あのゲームとかに使う、馬の頭とか付いたのもある……
 ―――そうそれ、駒っス!
 駒みたいに見てた気がするっス! 
 さっすがチンク姉! 難しい言葉を良く知ってるっス!
 ……え? その位は知っとけ? 
 もう、ノーヴェは手厳しいっスね……

 んで、クア姉と言えばメガネ、メガネと言えばクア姉っスけど、あの眼鏡伊達なんっスよ?
 知ってました?
 あたし達戦闘機人は、みんな体のあちこちに改造をうけてて、眼鏡なんてしなくても、すご〜く目がいいんっス。
 なのに、どうして眼鏡なんて掛けてるんっスか〜? って聞いてみたことがあるんっス。
 その時も、こっちの方が優しいお姉さんに見えるでしょ〜、とか何とか言ってて、よく意味が解らなかったんっス。
 チンク姉が右目を治さないのと同じで、何かのこだわりだったんっスかね?

 あと、クア姉について知ってること……
 う〜ん……
 あ、そう言えば、クア姉こんなこと言ってたっス!
 弱いものイジメをして、いたぶって苦しむのを見るのが楽しいって……
 あたしも、流石にそれはどうかと思ったっス。
 やっぱり、勝負は勝つか負けるかの相手とガチンコでやるのが一番楽しいっスよね!?
 ああ〜 早くあのティアナにリベンジマッチをかましてやりたいっス……!
 ねえ、あの二人、スバルとティアナっスけど、また来ないんっスか? 

 あれ……どこ行くんっスか?
 え……もう話は終わりっスか? ちょっと待って下さいっス!
 クア姉の話はもう無いっスけど、他にも色々話せること有るっスよ!
 あたしの必殺技、エリアルレイヴの話とか聞きたくないっスか―――

 ああ、行っちゃったっス……
 え? あたしの話し方が下手だからって?
 そんなこと無いっス! ちゃんと、よーてんをかいつまんで話したっス!

 ……はあ、それにしても、クア姉、今頃どこで何してるんっスかねぇ……


     ◆


 その夜、女は出産の時を迎えた。
 JS事件から約一月が経過した晩の事である。

 成人男性が丸々入るほどに膨れた腹部は赤く充血し、一つの臓器のように脈打った。
 その異形の腹部を愛しげに撫でながら、女は恍惚とした表情を浮かべる。
 通常の妊婦の出産に見られるような苦痛は、欠片もみられない。
 唯ひたすら、エクスタシーのような恍惚とした表情を浮かべ、時折艶かしい声を漏らす。

 彼女は、全裸で月の下に横たわっていた。
 既に人とも見えぬ畸形の妊婦―――だが、それはどこか毒果のような艶かしさを見せていた。

「あ、ああ、ああああああああああっ」

 女は遂に絶頂の声を上げる。
 膨れ上がった腹部が月の光を浴びて妖しく脈打つ。

 そして遂に―――その腹が破れた。
 理の中に無い妊婦が、理の中に有る出産など行おう筈も無い。
 女の胎に宿った赤子は、その腹を自ら張り破って地に立った。
 それは、雛が卵の殻を破るように―――夜蛾が繭を破って羽ばたくように。

 女の腹を裂いて現れ出たのは、黄金率の肉体を誇った美貌の男だった。
 男は羊水を振り払うかのように、その長髪を掻き揚げた。
 男は産声すら上げず、鼻から大きく息を吸い込み、自らが再び産まれ出でた世界の香りを嗅いだ。

「あ、ああ……」

 女の瞳から、歓喜の涙が溢れる。
 今、自分は世界を統べる王となるべき人間の母となったのだ。
 男は母である女に、その理知的で冷酷な流し目を送った。

「ただいま。愛しいクアットロ。やはりお前は―――パーフェクトだ」

 女は母性を湛えた微笑みを返す。

「お帰りなさいませ。ドクター・スカリエッティ。この世界は、貴方をお待ちしておりました」

 男は口の端を吊り上げる。

「ああ、本当にこの世界は素晴らしいよ。
 さあ、クアットロ。お前にはこの世界で存分に働いてもらう。
 まず、差し当たっては―――」

 耳打ちをするように、今後の計画を告げた。
 女は目を輝かせた。

「素晴らしいですわ! ドクター! 矢張り貴方は楽園を築かれる御方―――」

 男は苦笑する。

「そう急くんじゃないよ、クアットロ。見ての通り、裸一貫からの再出発だ。
 作戦の決行は―――そう、三年後かな?」


     ◆


 時計の針を、少し戻す。
 誰にとっても悪夢でしかなかった、あのジェイル・スカリエッティ事件の終結の時に。
 ―――時を同じくせども、違う世界で―――

 
 その森は、少女の遊び場だった。
 付近の猟師も近寄らない深き森なれども、少女にとっては自分の庭も同然だった。
 黒き木々の香りを嗅ぎ、鳥の囀りを聞き、時折足元で微笑む花を摘む。
 それだけで、少女は楽しかった。
 少女の年の頃は高町ヴィヴィオと同じ程。
 されど、淀みない足取りで鬱蒼とした木々の間を駆け抜ける。
 森は、少女を飽きさせない。
 四季折々、その日その時によって、森は姿を変えるからだ。

 だが、その日、森は奇妙なざわめきに包まれていた。
 普段は無数に感じる獣の吐息も感じられない。
 奇妙に静まり返った森の中で、少女は微かな血臭を嗅ぎ取った。
 あらゆる感覚の敏感な少女だが、こと血臭には図抜けた敏感さを示すのだ。
 彼女は森の奥へと向かい―――それを見た。

 左腕を失い、全身を刻まれた少年が森の広場に倒れていた。

 少女は悲鳴を上げる。
 
「大変!大変! お父さん、お母さん、ノエルさん、大変だよ〜〜っ!」

 少女―――月村雫は、森の畔の我が家へと駆けて行く。
 昼尚薄暗い、ドイツの森を駆けて行く。
 少年の掌の中から、紅い宝珠が零れ落ちたことに気付かずに―――


     ◆


 それから数日が経過した。
 森の中に倒れていた少年は、今は白いベッドの上に横たわっている。
 心配そう見守っているのは、先の少女とまだ年若い夫婦だ。
 夫の名は恭也、妻の名は忍である。付け加えるなら、夫の旧姓は―――高町、と言った。
 夫は頭を抑えて唸る。

「輸血用パックがあったから、なんとかなったものの―――
 それにしても、なんだこの傷は……?
 刀傷? 鋼糸? いや、何時か蕎麦屋で見た麺切り包丁を、もっと薄く細長くしたような刃物か?
 見れば見る程訳が解らない……
 それに、これだけの手傷を負いながら、周囲に血糊の一滴も零さずに森の奥に倒れているなんて。
 ……忍、こいつは、間違いなく、ヤバい件に関わってるぞ」
「でも、見捨てることなんて出来ないわ。
 私達も、もう関わっちゃったんですもの。……それに、こんな可哀相な目にあってる男の子、放って置ける訳が無いわ」

 そう言って、妻は少年の髪優しくを撫でる。
 少年が、低く呻き声を漏らした。

「あっ、見て! 目を覚ましたよ!」
 少女は飛び跳ねて喜んだ。
 少年は、ぼんやりとした目つきで周囲を見渡した。

「目を覚ましたか―――体の調子は大丈夫か?」
「……ここは、どこですか?」
「無理も無いか……事情は、話せるか? 
 まずは君の名前―――教えてもらえるか?」

 なまえ? とぼんやりした口調で少年は反芻をする。
 そして、さも不思議そうに尋ねた。

「僕の名前―――何ですか?」

 記憶障害か、と恭也は頭を抱える。無理も無い。発見時には大量出血で心拍は停止直前。
 脳は虚血状態が長く続き、意識が戻っただけでも奇跡に近いのだ。

「おい、まだ動かない方がいいぞ……」

 少年は忠告を無視してよたよたとベッドから立ち上がった。

「……―――?」

 そして、ベッド脇に立てかけてあったモップを手に取った。
 腰を落とし、それを正眼に構える。
 ―――体が、覚えていた。
 それは、左腕を無くしてなお堂々とした武術の構えだった。
 恭也はふむ、と頷いた。
 
「槍術―――それも和槍じゃない、洋槍の類だな。
 矢張り、その筋の出身か……
 それで、小さなランサー君。君はこれからどうしたいんだ」

 少年の、どこかぼんやりしていた瞳に意志の光が灯った。
 それは、左腕を失い、全身を刻まれ、記憶すら失い、尚失われぬ、魂に刻まれた渇望。
 それを、少年は口にした。

「僕は、―――僕は、強くなりたいんです」


 ―――そして、長い時が過ぎる。



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目次:Little Lancer
著者:アルカディア ◆vyCuygcBYc

このページへのコメント

批判じゃないです(原作STSにはありますが)。面白いですよ。

>「そうだ、フェイトのせいじゃない……全部、奴らのせいだ」
 アルフは精神的に成長してない使い魔って感じですね。
 地球でクロノの子供二人を育てているのだから、まともな判断ができそうなのに。…使い魔だから、どんなに矛盾があってもフェイト史上主義なのか。ヴォルケンリッターも変わらないのかも。

 はやて超外道ですね。罪の軽減を理由にルーテシアを最前線で戦わせるとは。

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Posted by 少年兵・少女兵(・A・)イクナイ 2010年03月26日(金) 18:23:47 返信

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