海外都市同盟Wiki - boxer

獲得タイトル百を越える日本人世界王者

1:その当時のその階級において世界最強を証明している

2:多くの日本の人に顔と名前を記憶されている

3:引退後リング外においても模範となるべき人物である


この三つの条件になると世界王者の数が少なく当時最強を証明しやすくボクシング人気の高い時代の
昔の王者にベスト3がいくのも仕方のないところである。下記において現役選手が越えるべき課題を書いてある。

1位ファイティング原田(笹崎)

フライ1962年10月10日 - 1963年1月12日バンダム1965年5月18日 - 1968年2月27日 世界戦戦績10戦6勝4敗
日本人で2人目19歳6ヶ月で王座奪取した。この記録は日本最年少の18歳9か月井岡弘樹に抜かれる(1987年10月18日)まで25年破られていない記録。
当時無敗のエデル・ジョフレ(ブラジル出身)に生涯でたった2回の黒星をつけた。幻の三階級でフェザー級、現在であればジュニア階級があり5階級制覇に匹敵。
チャンスにおけるラッシュは伝説的なものがあり、人気が高い。日本ボクシング界会長を長く務めた。

2位白井義男(カーン)

日本人初の世界王者をフライ級で獲得以後10年以上日本人チャンピオンは現れず 1952年5月19日 - 1954年11月26日 世界戦戦績7戦5勝2敗
映像資料もあまりはっきり残っていないので記録で判断するところも多いが、アウトボクサータイプでクリンチが多く世界戦の多くが判定。
引退後のテレビ解説でもおなじみで黒い社会に染まりがちな部分が多かったボクシング界においても模範的な人物であった。
戦後25歳から復帰しパスカル・ペレスに引導をわたされた32歳まで現役であり、当時としては比較的高齢まで頑張った。

3位輪島功一(三迫)

ジュニアミドル=スーパーウェルター 日本人で当時一番重い階級であり三度王座に返り咲く 1971年10月31日〜1976年5月18日 世界戦戦績13戦8勝4敗1分
リーチ差を克服するために変則スタイルながらも統一王者として君臨。人柄も明るくひょうきんで田舎者の風があり。
ボクシング経験がないまま25歳でデビューし未だ獲得経験のない重い階級で世界タイトルを取るという破天荒な記録を持つ。
引退後もボクシングジム経営者となるもあまり振るわず、むしろテレビ出演に呼ばれて人気を博すもタレント志向のない人物。

次点候補

小林弘(中村)
史上初の日本人同士の世界スーパーフェザー級タイトルマッチで沼田義明からタイトル奪取。西城とのノンタイトル統一戦、当時としては6度防衛は記録。10年以上破られなかった。

大場政夫(帝拳)
帝拳初の世界王者で名門の先駆け、世界戦に部類の強さを発揮し6戦全勝5度防衛のままサルバドール・サンチェス同様交通事故死。逆転勝利が多く人気も高かった。

柴田国明(ヨネクラ)
ビセンテ・サルディバルからタイトルを奪取した後、2階級を制覇し、海外でも多く戦っため海外での評価が高い。消極的なスタイルに見えるため人気はあまりなかった。

ガッツ石松(ヨネクラ)
映像を見る限り非常にすばらしいボクシングセンスの持ち主でどうしてこんなに負けているのか説明が難しい程。引退後、芸能界転進は自身の夢であり目的を果たした。

具志堅用高(共栄)
軽量級ながらも倒すボクシングで13度連続防衛記録を樹立も毒オレンジ事件やTBSボクサーの草分け的存在など周囲に怪しい面もあるのが残念。

渡辺二郎(大阪帝拳)
WBA・WBC通算世界戦14戦12勝2敗、日本拳法出身異色で徹底した自己管理、後に暴力団関係者となり歴代チャンプの系譜から外れる。

世界王者になれなかったものの特筆すべき番外編


矢尾板貞雄;フライ級歴代最強の呼び声高いパスカル・ペレスに初黒星をつけた
田辺清;日本人初のメダリストで網膜はく離により無敗のまま引退
桜井孝雄;東京五輪金メダリストでプロ・アマの軋轢に埋もれた

生観戦もある勇利・アルバチャコフ 旧ソ出身初の世界王者


じっくりボクシングを見始めたのでここからは記憶が鮮明
当時フライ級最強は間違いなくユーリであったが強打故の右拳の故障やジムとのリングネームトラブルに
金銭面における不満をロシア紙に漏らすなど年齢とともに徐々にモチベーションが低下する。
環境がよければ10度連続KO防衛、通算20度防衛くらいできただろう素材であった。
輸入ボクサーながらアジア人ぽい顔立ちでテレ東ボクシング中継に出ており一定の知名度があった。

WBCのチャンピオンはムアンチャイ・キティカセム(当時はマイケル・カルバハルに敗れたのみ)
WBAはセーンソー・プルンチット(当時は無敗で9度防衛)
IBFはピチット・シットバンプラチャン(ピチット・チョーシリワットは弟)
5度防衛後無敗のまま引退に記録上はなっているが最後の防衛試合は12R昏睡状態に陥っており
一年以上休養後返上せざるをえないほどダメージを負った。

つまりこの当時フライ級はタイ人の独壇場であったわけだがその中でもユーリの強さは別格だった。
初防衛戦に決まっていたチャッチャイ・サーサクンに7度目の防衛戦で一度は初黒星を与えたものの
1年以上のブランクを経て行われた10度目の防衛戦で相手は休養中に暫定王者になっていたチャッチャイだった。
だがブランクの影響は大きく、勇利は12R判定負けを喫した。その唯一の一敗を持って引退した。

上の階級には同門の鬼塚(WBA)、ヨネクラの川島(WBC)がいたもののスパーリングでも五分以上
下の階級のチキータやカルバハルと対戦しても充分勝算が見込める実力の持ち主であった。

平成三羽カラス:辰吉・鬼塚・渡久地・(川島)


新人王MVPの渡久地が一番大したこがなく、そこで敗れた川島が記録上6度防衛を果たす。
網膜はく離があっても三度王座返り咲きを果たした辰吉が人気面でリードか。
逆に網膜はく離で引退し疑惑の判定が多かったストイックなタイプ鬼塚が先駆者でリードか。

実力と人気の乖離が大きいボクシング界の潮流を表す


畑山隆則
日本王者時代から人気者で観客動員が多く2階級制覇を達成しているものの本人の言うとおり決して強い王者ではなかった。

竹原慎二
強豪ひしめくミドル級を初制覇し日本・東洋において無敵であった。減量苦もありロートルが多い上の階級を狙える素材だった。

ガチンコで共演してから年齢も近いことから気があったのか、同じジムを開いている。戦績を悪くする前に早く引退している。

薬師寺と内藤の共通点


日本人とのタイトルマッチで一躍知られることになった2人だがボクサーとしての記録は大したものがある。

後輩を育てるのがうまい新興ジム会長


井岡弘樹
甥の一翔だけでなく宮崎なども同ジム出身。最年少王者となった後、無敗の柳明佑の18度目の防衛を防ぎ3階級への執念を見せた。

大橋秀行
2人の世界王者川嶋勝重や八重樫東を育て日本のジム会長を原田より受ける。プロアマ交流や女子の解禁さらにIBF・WBOの認定など転換の舵を切った。

引退前のボクサーで歴代ベスト3位に入り込むにはどうすればいいか


長谷川穂積(千里馬神戸ジムから独立した真正と帝拳が後援の日本テレビ)
何といっても辰吉からタイトルを奪い14度も防衛を重ねたウィラポンからタイトルを奪い
リターンマッチでもKOで返り討ちしその後通算10度防衛。飛び級でWBCフェザー級を制覇し
現在はスーパーバンダム級で3階級制覇のチャンスを待つ。しかし現在においては人気先行の面は否めず
仮に3階級制覇できたとしても年齢から長期防衛は難しいだろう。西岡利晃のように3階級達成した後はラスベガスで散って引退が花道。

内山高志(ワタナベのテレビ東京)
2010年1月11日31歳で当時無敗のWBA世界スーパーフェザー級王者ファン・カルロス・サルガドから奪取し
以後7度の防衛に成功。対戦者の質が高いにもかかわらずKOを量産ノックアウト・ダイナマイトの異名を持つ。
年齢との戦いがあるものの40歳まで十年以上東京オリンピック2020まで世界の一線で頑張れれば
連続防衛記録において見えてくるものがあるだろう。それは具志堅の日本人最長13度とこの階級の連続記録ブライアン・ミッチェル12度である。
実力的には統一王者になっても充分に長期安定できるだけの魅力が備わっているとみるべきで普段からの節制の賜物であろう。

亀田興毅(グリーン津田からTBS協栄に移り自前の亀田)
辰吉のような外向けスタイルによるTVスポンサー獲得術と徳山のような内実の塩ボクシグで長期安定。
日本人初となる3階級を制覇し4階級となるのがスーパーフライであれば相手もあるがほぼ確実な状態。
日本のボクシング復興と現在の世界王者二桁という隆盛を極めたきっかけを与えた人物でもある。
次男大毅・三男和毅と3兄弟ともに同時王者になり亀田プロモーションの社長として父親代わりもやる。
日本ボクシング界がやってきた穴王者を狙い、弱い挑戦者を見つけてきて、テレビ局をスポンサーに地元での判定を取る
というスタイルを極端にやっているためかアンチが多数存在することでも異色である。

井岡一翔(グリーン津田から自前の井岡TBS)
世界最短王座記録7戦目で当時無敗のチャンピオンオードレンからミニマムWBCタイトルを奪い
同級WBA八重樫東との統一戦に勝利、ライトフライに転級し2階級制覇
フライ・スーパフライまでは相手選びを間違わなければ実現可能とみる。
バンダムまでで5階級さらにスーパーバンダムも層が薄いために
バンダムまでこれればスーパーバンダムも難しくなく現実には6階級可能とみる。

村田諒太(フジテレビ三迫を借りた帝拳でトップランク)
2012年ロンドンオリンピックミドル級金メダリスト。ミドル級で王座獲得後30歳前後で何回かビッグマッチを経験し
スーパーミドルやライトヘビーやクルーザーを40歳まで続けて獲得し4階級制覇(世界戦を20戦以上)
WOWOWのエキサイトマッチをよく見ており研究熱心でボクシグマニアな面がある。
ボクシング界初の国民栄誉賞も不可能ではない逸材で今後に期待。

決定戦で戴冠した世界王者は認めたくない


50〜70年代 海老原博幸

80年代 六車卓也、井岡弘樹、 三原正

90年代 鬼塚勝也、辰吉丈一郎(暫定)

00年代 戸高秀樹(暫定)、高山勝成(暫定)、名城信男、
亀田興毅、ホルヘ・リナレス(2回)、西岡利晃(暫定)、 石田順裕(暫定)、星野敬太郎

10年代 亀田興毅、亀田大毅、井岡一翔、宮崎亮、山中慎介、長谷川穂積