鄭 和(てい わ、Zhèng Hé, 1371年 - 1434年)は、中国明代の武将。
永楽帝に宦官として仕えるも軍功をあげて重用され、南海への七度の大航海の指揮を委ねられた。
この航海によりそれまで明と交流が無かった東南アジアの諸国が続々と明へと朝貢へやってくるようになった。
この大航海はヨーロッパの大航海時代に70年ほど先んじての大航海であり、非常に高く評価される。
鄭和の巨艦とコロンブスの帆船の模型
鄭和の船団は東南アジア、インドからアラビア半島、アフリカにまで航海し、
最も遠い地点ではアフリカ東海岸のマリンディ(現ケニアのマリンディ)まで到達した。
彼の指揮した船団の中で、最大の船は宝船(ほうせん)と呼ばれ
その全長は120メートルを超えるような大型船だったといわれる。
5回目は1417年の冬に出発し、本隊は前回と同じくアデンまで到達したが、
途中で分かれた分隊はアフリカ大陸東岸のマリンディにまで到達したという。
1419年8月に帰国、ライオン・ヒョウ・ダチョウ・シマウマ・サイなどの珍しい動物を連れ帰っている。
特に永楽帝を喜ばせたのはキリンであり、これは王が仁のある政治を行うときに
現れる神聖な生き物「麒麟」として紹介されたからである。
現地のソマリ語で「首の長い草食動物」を意味する「ゲリ」が、伝説上の動物「麒麟」の音に似ていたことから、
これが本物の麒麟だとして珍重された。現在の日本語でキリンをこの名で呼ぶのは、
この故事によるものである。ちなみに現在の中国語ではキリンは「長頸鹿」という。