中東・ギリシャ・アナトリア・東ヨーロッパに広がり成長したキリスト教諸教派(正教会、東方諸教会)の総称。
古代のキリスト教関連施設ではよくあることだが、モンテ・カッシーノに築かれた修道院も異教の神殿の上に建てられた。
古代教会の時代、砂漠、洞窟、断崖絶壁の頂、あるいは地面に立てた柱の頂きで1人で修行し、
隠者のような生活を送るキリスト教徒が居た。塔の頂で修行する人々は正教会では登塔者(とうとうしゃ)と呼ばれるが、
これらの人々の中では登塔者聖シメオン (390-459) が代表的存在である。座禅によく似た修行スタイルであった。
こうした1人で修行を行う古代教会の聖者の多くが、正教会とカトリック教会の双方で聖人として記憶されている。
これらの1人として行う修行の形式と並行して、古代末期のエジプトから、
砂漠において集団で求道生活を共にするという動きも始まった。
このような生活スタイルは東ローマ帝国全域に広がり、砂漠においてのみならず都市においても修道を行う者も現れてきた。
それに伴い、都市にも大規模な修道院が建設されていった。
コンスタンディヌーポリにおけるストゥディオス修道院は463年に建てられている。
東ローマ帝国内で培われた修道生活はその後、東ヨーロッパに伝播した。
また、医療、病院もそのルーツは修道院にある。旅人を宿泊させる巡礼者を歓待する修道院、
巡礼教会をいうホスピス(hospice)が、がんで余命いくばくもない人が最後の時間を心やすく過ごすための施設、
ホスピスに転嫁したこと、歓待する(hospitality)が、病院(hospital)の語源でもある。
修道院でリキュール(薬草酒として発達した面もある)が製造されているのもこうした医療行為に由来する。
ヌルシアのベネディクトゥスが、「すべて労働は祈りにつながる」と言ったように
中世以来の修道院では自給自足の生活を行い、農業から印刷、医療、大工仕事まで
すべて修道院の一員が手分けして行っていた。そこから、新しい技術や医療、薬品も生まれている。
ヨーロッパに古くからある常備薬の中には、修道僧や修道女の絵柄がよくみられるのはそのためである。
ヨーロッパのワイン(ミサ・聖体礼儀に欠かせない)、リキュール(薬草酒等)、
ビール(麦酒)は今でも修道院で醸造されているものも多い。