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関係の絶対性
人間は、狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信ずることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。しかし、人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである。ぼくたちは、この矛盾を断ちきろうとするときだけは、じぶんの発想の底をえぐり出してみる。そのとき、ぼくたちの孤独がある。孤独が自問する。革命とはなにか。もし人間の生存における矛盾を断ちきれないならばだ。
(「マチウ書試論3」1954〜55年稿 「芸術的抵抗と挫折」1959.
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蕪村詩
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ひとつは、興隆してゆく町人ブルジョワジイの新鮮な、秩序破壊的な写実的な、感性の一面であり、ひとつは、徂徠学派のイデオロギイに滲とうされ、封建支配に頭うちされて屈曲した心理的な衰弱の一面である。
明治革命は、せめて蕪村──一茶を流れるイデオロギイ線上で、主動されるべきであった、というのはこの小論のおわりに加えられるべき嘆きのひとつである。
(「蕪村詩のイデオロギイ」1955.10「三田文学」に掲載 「抒情の論理」1959.6未来社に収録された)
:| 大正世代の人たちに与謝野蕪村がよく読まれたときがあっ
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