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戦争が露出してきた
戦後というものをかんがえたばあいにどういうことがいちばん戦後の課題となりえたかというと、ようするに公(おおやけ)よりも、私のほうが大切だということ、国家よりも大衆の個人個人のほうが大切なんだ、つまり私が明日どうなるのかということのほうが国家が明日どうなるのかということより大切なんだということは最低限の了解事項だった。
(「戦後思想の頽廃と危機」1972.10.2日本読書新聞主催・創刊35周年記念講演会於新宿朝日生命ホール 「日本読書新聞」1972.10.30に掲載 「知の岸辺へ」1976.9弓立社に収録
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c0%ef%c1%e8%a4%a... - 2006年12月09日更新
環相
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ひとたびそこに達して、愚者というものを捉え、自からも愚者になりさがっていく過程。知識が往相を歩き尽くしたときに、再びその地点から愚者を捉える、いわば帰る過程がある
(「親鸞について」1972大谷大学学園祭実行委員会主催講演 「知の岸辺へ」1976.9弓立社に収録された)
:| 吉本さんはこの環相の過程に到達しているのだろうかと思う。この愚者とは「大衆」ということなのだろう。しかし環相の行き着くところは、もうひとつは現実的には吉本さんの死でもあるようにも思えるわけで、はやく私も往相を極めたい。
[[隆明
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%b4%c4%c1%ea... - 2006年12月09日更新
往相
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知識が世界思想の最高水準まで到達していく過程
(「親鸞について」1972大谷大学学園祭実行委員会主催講演 「知の岸辺へ」1976.9弓立社に収録された)
:|「最後の親鸞」から「未来の親鸞」に至ったとき、吉本さんの親鸞はまさしく完成したという感じをもつ。私には吉本さんが親鸞に思えるときがある。
[[隆明鈔--吉本隆明鈔集]]
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自殺
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自殺は人間だけに特徴的なものだ、という云い方が流布されています。けれどこれは疑わしいのではないでしょうか。動物の行為にも、植物にも、そうとしか云いようのない状態が観察されているような気がします。人間の自殺ということは、もっと過渡的に追いつめてかんがえるべきではないのでしょうか。これは自殺を強要されるということとは違います。強要された自殺は、殺害であり、かれは殺されたのです。
だから、自己意志によって自殺できるのは、人間に特徴的なものだという云われ方にいつも疑問を感じます。その瞬間まで自殺の過程を追いつ
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近親姦が禁止された根拠
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家族の共同体が、氏族の内部で、独自の、縮小された、内閉的な位相を獲得するようになったこと、いいかえれば、氏族の共同体が、部族共同体へと飛躍する契機を獲得するようになったこと、それこそが近親姦の禁止をもたらしたのだ、
(「書物の解体学−ジョルジュ・バタイユ序」1972.1「海」に掲載 「書物の解体学」1975.4中央公論社に収録された)
:| 近親相姦は何故禁止されたのかというのは、あまりに明確な説明がされてこなかったと思う。天照大神と須佐之男命、邪馬台國女王卑弥呼とその弟、女王クレオパトラとその弟プトレ
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このよき人に幸あれ
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わたしのよい著作にはなりそうもないものを、できるかぎりはよい著書にまで高めてやろうとして、最大の努力をもって装備・小道具の末端にまで力をそそがれたのは、筑摩書房の間宮幹彦氏である。はじめはやや投げやりであったわたしの姿勢は、努力をかたむける氏を見ているうちに、と感じて、しだいに居ずまいをこそこそと正して、辻つまを合わせるまで、わたしを感化したのだから不思議である。このよき人に幸あれ。昭和四十七年四月五日吉本隆明
(「どこに思想の根拠をおくか」1972.5.25筑摩書房の「あとがき」)
:| 私はこの対談
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