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写真
写真は、被写された対象をみるのではなく、そのように対象をきりとったこちらがわを、みるものだというかんがえは、わたしの気に入ったものであった。佐藤宗太郎の『石仏の美』は、その意味でもわたしを充たしてくれた。まぎれもなく被写体のこちらがわに、独りの人物がいることを、そしてその人間がどんなことをかんがえて写しているかを知ることができたからである。
(「『石仏の解体』について」佐藤宗太郎『石仏の解体』序1974.9学藝書林 「初源へのことば」1979.12青土社に収録 「信の構造・吉本隆明全仏教論集成」1983
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キリを揉みこむような
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だが、もっとほんとの理由は、年齢とともに、心身ともゆとりを失って、きつくなるばかりであったことに帰せられる。わたしが弱年のころ想像していたのは、この逆であった。やがていつかはじっくりとゆとりをもって生きてゆけるときがやってくるにちがいないということであった。壮年になっても、この夢を捨てることができなかった。いまは、それがどんなに虚妄であったかを思い知らされている。そして、そんな夢は捨ててしまった。人間の生涯は、何ものかに向って、キリを揉みこむようなものではないのか。深みにはまりこんで困難さは増すばかりで
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料理は時間である
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料理を繰返しの条件に叶うものにして限定していえば料理は時間であるという鉄則が成立つように思われる。時間がかかる料理、それはどんなに美味しくても駄目である。なぜなら、日常の繰返しの条件に耐ええないからである。料理の1回性、刹那性の見事さ、美味しさ、それは専門の料理人の世界であり、かれらにまかせて、客の方にまわせばよいとおもう。
(「わたしが料理を作るとき」1974.9「マイ・クック」に掲載「詩的乾坤」1974.9国文社に収録された)
:| 独身のころからいまも、この料理は時間であるというのがよく実感できる
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わたしが料理を作るとき
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わたしは、ごく親しい知り合いから、吉本さん、料理の本を書くといいよ、と冗談半分、真面目半分にからかわれたことがある。わたしが、巧みな料理人だからでもなければ、包丁さばきがよいからでもない。病弱な妻君の代りに、ほぼ七年くらい、毎晩喜びもなく悲しみもなく、淡々と夕食のオカズの材料を買い出し、料理をつくり、お米をとぎ、炊ぐということを繰返してきた実績をその人がよく知っていたからである。七年間もやっていると、料理自慢の鼻もへし折れ、味の愉しみなど少しもなくなり、ただ、そこに夕方が来るから、口に押し込むものを、す
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『新古今集』の本質
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詩としての短歌の、最後に追い詰められた姿が、『新古今集』の姿なんです。そのことははっきりさせなれればいけないので、時代がもっと先の詩集だったら、上半は風物描写やなにかしますけどね、下になったら心の描写しかしないんです。心の描写でびっととめて短歌的安定感というのを獲得するわけです。短歌的な安定感というのはすでに危うくなっているというような、詩の姿がここにあるわけです。これは当時の詩人たちの危機意識みたいなものを象徴する世界であり、かつ決して高級で絢爛豪華な世界ではなくて、低級、俗謡的で、俗謡の感性から辛う
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愚と愚者
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どんな自力の計(はからい)もすてよ、知よりも愚のほうが、善よりも悪のほうが弥陀の本願に近づきやすいのだ、と説いた親鸞にとって、じぶんがかぎりなく愚に近づくことは願いであった。愚者にとって愚はそれ自体であるが、知者にとって愚は近づくのが不可能なほど遠くにある最後の課題である。
親鸞には、この課題そのものが信仰のほとんどすべてで、たんに知識をすてよ、愚になれ、知者ぶるなという程度のものではなかった。つきつめてゆけば、信心や宗派が解体してしまっても貫くべき本質的な課題であった。そして、これが云いようもなく難
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最後の親鸞
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知識にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、そのまま寂かに非知に向って着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の知にとっても最後の課題である。この「そのまま」というのは、わたしたちには不可能にちかいので、いわば自覚的に非知に向って還流するよりほか仕方ない。しかし最後の親鸞は、この「そのまま」というのをやってのけているようにおもわれる。
(「最後の親鸞」「春秋」1974.1〜2・3に掲載 「最後の親鸞」1976.10春秋社に収録された)
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初期
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たれにとっても初期というのは、かけがえもなく自己のみの所有でありながら、ある普遍に属している。この普遍は、未熟、多感性、初々しさ、甘美さ、愚さ、などどんな言葉でくくりとられても、その指すところはおなじである。ただ、書くという自己慰安を覚えたものと、幸いにもそういう病いに侵されなかったものとに別れるだけだ。そしてこの病いに侵されたものは、それなりに生涯を自分の手で苅りとらねばならない。それを毒をもって毒を制するという危うい方法で、である。そのうちに廃疾にちかくなり、これを免れることはたれにもできない。かれ
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