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タグ検索で昭和53年は11件見つかりました。
動物と人間
人間社会の現状および過去、未来をはかる場合には、その三つを考えなくちゃいけない。つまり生物としての人間の歴史というものと、人間だけが固有につくっている人間社会の構成、さらにその上に、人間が自己意識をもっているために生み出された精神の文化というもの、その3つを考察しなければならない、というのが、エンゲルスの考え方のいちばん基本にある点だ、というふうにぼくは理解します。
(「ダーウィンを超えて−今西進化論講義−」1978.12朝日出版)
:| 吉本さんはあまりエンゲルスを評価しないと思うのだが、やはり正確に
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宇宙フィクション映画
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すべての宇宙フィクション映画を科学的に制約しているのは、光速度より速く運行できないかぎり、宇宙人に出会うことは、一人の人間の年月のあいだでは不可能だということである。つまり赤ん坊のとき宇宙船に乗っても老人になって死ぬまでに、他の宇宙人に出遭える可能性はまったくない。それにもかかわらずUFOが幻覚されたり、宇宙人との会見が妄想されたり、宇宙戦争のフィクションが成り立ったりできるのは、太陽系の地球が、射手座あたりを中心に廻転している銀河系の二番目の渦のところに位置しているありふれた惑星であり、そこに自意識を
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アジア的な自然
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わが列島のアジア的な自然規定は中国と、中国を経たインドの農耕的な原理を高度な哲学や宗教的な思想となった後に海を通じて受容した。それは自然意志のままに生活していたひとびとの上に自然を唯一の絶対者にまで高めた哲学と宗教と制度を強引に接木することを意味したにちがいない。島々という原理は海に囲まれた閉域という意味と農耕アジア的な文化の受容という意味をもっている。わたしたちの列島が古代に入ったというそのことが、ヘーゲルのいうアジア的の三つの原理を小規模に庭園的に併存させることにほかならなかった。中国とインドのアジ
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梶井基次郎にやってきた死
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ではこの切実な病身の詩人に生の恢復がやってくるとすればどうやってくるのか。かれの肉親や知友がかれを救うのか、社会がかれを救うのかわからぬ。ただ確かなことは感覚を生理に同調させ、生理を自然の敏感な反応器自体に化して、異和がなくなるまでに到りついたときに恢復はやってくるにちがいなかった。かれにはそれはやってこなかった。反対に死がやってきたのである。死はどうしてやってきたのか。自然に鋭敏に反応するかれの生理的身体の消耗が、もっとも陥没する冬の季節を超えて春まで耐ええなくなったときである。
(「吉本隆明歳時記−
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梶井基次郎の自然
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この自然詩人は中原中也とちがって、季節のように繰返し経めぐる悔恨と希望にさいなまれることはなかった。かれにとって自然はただ、生と死によって両端をおさえられた祝祭や儀礼と同一視された。かれの自然は季節のように移ろわない。ただ生と死とが自然の起源から終末にかけて繰返し交替し、人間の生涯もまた誕生から成人に、成人から老衰へ、老衰から死へと、いわば小さな生死を繰返されるものと認識されていた。認識されていたというよりも無意識のうちにそう見做していたといった方がよかった。たぶんそれは、肺結核というその頃は天刑病のよ
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長塚節
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たとえてみれば米粒のうえにどんな微細な文や図柄を巧みに描いても所詮は巧みな芸以上のものではない。なぜならば対象の選択力に内的な衝迫と必然がなく、ただ珍しいための限定しかないからだ。それと同じことであった。この方法を極限まで追いつめていったのが長塚節であった。そして極限まで追いつめられていってはじめて、子規派の『万葉』の歌の把握に重要な欠陥があることが露呈されたといってよい。
(「吉本隆明歳時記−冬の章」1978.10日本エディタースクール出版部)
:| 子規派の万葉理解は古今調への反発のために、心的な暗
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中原中也の宿業
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詩に憑かれ、少年期を脱する頃じぶんを天才だとかんがえた詩人はたれも、中原中也のように詩をこしらえ、それ以外にはなにもやる気がしないし能もなく、生活に適応できないじぶんを鍛えていくにちがいない。けれどかれがある時、空しさを感じて、詩をこしらえるのを諦め、小さな生活の環を大事にしだしたとしたら、たれもほっとするだろう。これは天才を遇する俗世の声である。あるいは子を遇する父の声だといってもよい。中原中也はこういう詩と詩人の存在の仕方のメカニズムについて、たぶん気づいていた。それだけ凡庸の何たるかを知る心さえも
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中原中也と自然
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わたしの好きだった、そしていまでもかなり好きな自然詩人に中原中也がいる。この詩人の生涯の詩百篇ほどをとれば約九十篇は自然の季節にかかわっている。こういう詩人は詩をこしらえる姿勢にはいったとき、どうしても空気の網目とか日光とか屋根や街路のきめや肌触りが手がかりのように到来してしまうのである。景物が喝えた心を充たそうとする素因として働いてしまう。
(「吉本隆明歳時記−春の章」1978.10日本エディタースクール出版部)
:| 中原中也にとっての自然の季節は、まず最初に心の中に存在してしまうものなのだろか。さ
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道元の根本思想
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座禅による肉体鍛錬の方法こそが、釈迦が導入した脱化の概念をいちばんよく伝えているものだというのが、道元の根本思想です。現世的な悩みを生死からの脱化の流れにそそぎ入れて、肉体の修練を契機に、いわばじぶんを、人間でもない、動物でもない、植物でもない、もっと極端に無機物だというところにもたらしてしまえば、生死もへちまもないんだ、自然の時間が永らえていくように人間も永らえて、流れていくことができるということになりましょう。だから道元によれば、仏教の本質そのものは宗派ではないということになります。
(「良寛詩の思
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詩の修辞的な可能性
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詩の修辞的な可能性をもっとも極度まで拡大してみたい欲望がゆきつくとすればどこだろうか。この欲望は修辞的な自然あるいは修辞的な宇宙を獲得しようとする無意識な欲求に根ざしている。言葉が規範のうえにしか成りたたないことがあたえる拘束感は、社会が自然の上に成り立っていることにくらべてはるかに重苦しいものだ。いったん言葉を書くという体験に深入りしたとき意のままにならなかった記憶は修辞的な生涯を決定する。表現は強いて造りだそうとせず、みつけ出されるまでまつのだというのは修辞的な詭弁で、どうかんがえようと書くという体
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修辞的な現代
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戦後詩は現在詩についても詩人についても正統的な関心を惹きつけるところから遠く隔たってしまった。しかも誰からも等しい距離で隔たったといってよい。感性の土壌や思想の独在によって、詩人たちの個性を択りわけるのは無意味になっている。詩人と詩人を区別する差異は言葉であり、修辞的なこだわりである。
(「戦後詩史論−修辞的な現代」1978.9大和書房)
:| 誰の詩も同じように見えてしまう。体験からでた言葉ではなく、言葉だけのこだわり、修辞的な差異を競うだけになってしまった。これは現在の情況を指している。さてそこで吉
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