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タグ検索で平成5年38件見つかりました。
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読むことの愉しみ
 本を読む体験は実生活には役に立たないことがあるかもしれない。もしかすると逆に実生活のやり方を、ぎくしゃくさせるかもしれない。でも他人からみて、何かこの人は見た目と違うものがありそうだと感じさせるものがあったら、それは役にも立たない本を読んだ体験を積み重ねてきたからだと思える。本当は本は直ぐ役に立たない本と、直ぐに役に立つ本と二種類ある。直ぐに役に立つ本は書いてある通りに役立ってくれる。直ぐに役立たない本は、ちょっぴりだが、いつも無限のむこうから手を振って、あなたの喜怒哀楽に応えてくれる。本は言葉で織りあ
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c6%c9%a4%e0%a4%b... - 2006年12月10日更新
コメについての唯一の立場
 国民大衆にとって、毎日の主食であるコメについての唯一の立場は、眼の前に安くてうまいコメと高くてまずいコメがあれば、安くてうまいコメを買うにきまっているということだ。嘘つきでないかぎり、これには例外はない。また高くてうまいコメと安くてまずいコメがあれば、ふところ具合によって自由にどちらかを択ぶということだ。これが手離れしてはならない原則的な場所で、それ以外のことは政治家や政治指導者の政策的な振舞いや宣伝にすぎないから、政府の立場も反政府の立場もこの原則を免れるものではない。 (「情況との対話第九回−コメの
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%a5%b3%a5%e1%a4%c... - 2006年12月10日更新
ルソーの教育への考え
 これ(ヘーゲルの教育への考え)とまったく正反対のことを云っているのがルソーです。ルソーは、自然がいちばんいい。自然に放っておくのがいちばんいいと、徹頭徹尾云っています。これも本当にじぶんの生涯考え抜いたあらゆる考え方の集大成として云っているので、無責任ではないのです。これで間違ったらしようがない、仕方ないと本気で云っています。 (「私と生涯学習」1993.10.03文京区女性センターでの講演。「人生とは何か」2004.02.10弓立社に収録された) :| ルソーのこの考えもまた強力です。そしてまたこれも
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%a5%eb%a5%bd%a1%b... - 2006年12月10日更新
ヘーゲルの教育の考え
 ヘーゲルは『精神現象学』の中で教育のことを研究しています。特に十三歳までの思春期、つまり学童期というわる時期は、人間の本性からいうと、本能や生命力のいちばん多感な時期です。その時期に学校へ行って、算数や国語や道徳を教わることがいいことなのかどうか、根本的な問いを発して、それに根本的に答えたのはヘーゲルただ一人だとおもいます。  後の人は皆云っていることがいい加減です。勉強しなくてもいいんだという人も、じぶんの子どもだけは別だとか、いい加減なのです。じぶんの云ったことに責任をとるかというと、とれるやつはい
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%a5%d8%a1%bc%a5%b... - 2006年12月10日更新
教育の根柢的な目標
 教育のいちばんの根柢的な目標は何なのか。本当はそこで問われないといけない気がします。ぼくの考え方の本音をいってしまえば、教育の目的は何かというと、高度な教育を獲得した人間は、高度な教育を獲得していない人間よりも下位にある、つまり下になるということです。例えば体のことでいえば、体育が得意で、体が人一倍きくようにしてきた人はそれは自慢ではなく、体のきかない人より下位にある、下のほうにあるという観念を獲得する、それが教育の最終目的だとぼくは思います。  たいへん難しいことですが、教育の最終目的は何かというと一
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%b6%b5%b0%e9%a4%c... - 2006年12月10日更新
生涯の概念
 生涯というのは、生まれてから死ぬまでという概念で使われていますが、ぼくは胎児の時代、母親のお腹の中にいる時代の後半からと数え直したほうがいいのではないかとおもっています。そういうことがわかってきたのではないかと、おもいます。  胎児がお腹の中にいる後半から、乳児───つまり母親のおっぱいを飲んで世話になっているとき───までは、じぶんだけでは単独で生きていけない時代です。この胎児の後半から一歳未満までを乳・胎児期と考えたほうがいいのではないかとおもいます。常識的にいえば、乳・幼児期といわれ、生まれてから
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c0%b8%b3%b6%a4%c... - 2006年12月10日更新
日本を世界第二位の経済大国にしたゆえん
 そうすると、ほかの国に比べると、経済的な伸びや発展とか教育費のかさみ方は、べらぼうなというか、一けたちがうストックを獲得したことが、日本を世界第二位の経済大国にしたゆえんだとおもいます。世界第二位の経済大国は、近々二十年たらずのうちに表れてきたものです。だからバブルが解けたら、すぐにしぼんでしまうとおもいたい人もいますが、そんなことはありません。少なくとも二、三十年はこの構図は動かないと考えられたほうがよろしいとおもいます。 (「私と生涯学習」1993.10.03文京区女性センターでの講演。「人生とは何
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c6%fc%cb%dc%a4%f... - 2006年12月10日更新
使わない部分のストック
 皆さんよくご存じだとおもいますが、社会へ出て獲得したいろいろな知識やその他の要因を会社で十割発揮しようとしたら、たちまち頭は叩かれ、足をひっぱられたりします。また四割以下しか能力を発揮しなかったら、「駄目だ」といわれて、あまり給料が上がらないことになります。だから、だいたい五、六割、七割ぐらいの能力を使う。そうすると同僚と調和がとれて、上役からそんなににらまれないし、いいのではないかということになります。  使わない部分のストックを中心にして、日本人が明治以降獲得したストックが、明治十八年から昭和十六年
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%bb%c8%a4%ef%a4%c... - 2006年12月10日更新
教育ストックとは何か
 教育ストックとは何かというと、佐貫さんがうまく解説してくれていないので、わかりにくいのですが、一般的な解釈をすると、学歴社会、学校社会・会社の社会とすると、学校で習ったことの五、六割ぐらいの能力・知識を発揮すれば、だいたい会社で勤めることができます。  ぼくもそうでした。だいたい五、六割使えばいい。四割ぐらいは使わないですむ教育、知識が入っている。入っている部分、使わないでいる部分を元にして、学校教育によって獲得し貯蓄した能力のストックを、教育ストックと解釈すればいいのではないかとおもいます。 (「私と
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%b6%b5%b0%e9%a5%b... - 2006年12月10日更新
教育ストック
 経済学者の佐貫利雄さんの概念ですが、「教育ストック」という概念を出しています。佐貫さんは明治十八年から昭和十六年までの一世紀、百年の統計では、国民総生産(GNP)が八十二倍ぐらい増えている。そのぐらい日本国は昭和十六年まで発展してきたと云っています。  その間に教育費はどのくらい増えているかというと、三百倍に増えています。そこで「教育ストック」という概念を出しています。教育の貯蔵、在庫です。明治十八年から昭和十六年までの統計で、四、五七五倍くらい増えていると云っています。それは、GNPに比較しても教育費
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%b6%b5%b0%e9%a5%b... - 2006年12月10日更新
本当に偉い人
 ぼくの好きなフランスの女性思想家にシモーネ・ヴェーユがいます。この人は、百年、千年の単位で、人類に偉大な影響を与えた人たちが世界中にいる。しかし、そのまた向こう側に一つの領域があって、真に偉大な人はそこにいる。真に偉大な人はそこにいるけれど、その人たちは人に知られているわけでもないし、何でもないから、偉いかどうかはわからない。しかし本当に偉い人は、千年、百年単位の人ではなく、もっと向こう側に無名の領域があって、そこへ行けた人が本当に偉いのだ、と云っています。そこへ行くのは越境なんだという云い方をしていま
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%cb%dc%c5%f6%a4%c... - 2006年12月10日更新
尾崎豊
 一つの芸術的な表現というのは、あらゆる立場、あらゆる悪も善も退廃も何も全部許容するというものの裏返しと言いましょうか、あらゆるインチキな評価や間違っている評価までも引き受けなきゃならないという気がするんですね。結局最後になって何がものをいうかというと、その人の表現した作品といったパーフォーマンスがものを言うのであって、その存在感に対しては、誤解なんかでなにも言うことはできないだろうと。  尾崎さんという人のその作品とかパフォーマンスは、あくまで僕の感じですので、当たっているかどうかは別なんですけれど、こ
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c8%f8%ba%ea%cb%a... - 2006年12月10日更新
途方もないエネルギーの浪費
 あるものが富めばあるものは不可避的に欠乏するとか、ある国が富めばある国は必然的に欠乏するとかいった総需要と総供給にはじめからタガをはめて限定しなければ、とうてい連環系を形成しないような馬鹿話を流布して、わたしたちのうちに潜む通俗的な倫理感を惑わす俗説が、どんなに人々を毒してきたか量りしれなかった。総需要も総供給も、どこまでも可変のパラグラムであり、生産と消費も、欠乏と過剰も、方向ベクトルの並進と逆進性をかんがえることなしに、経済的な指標となることはありえないのだ。わたしたちは幼稚な倫理感が経済的な概念と
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c5%d3%ca%fd%a4%e... - 2006年12月10日更新
経済連環系
 すくなくとも女子学生の人気企業のイメージが実体として指向しているのは、大部分が、第三次産業に属しており、第二次産業である製造業にかかわるごく少数の企業も、軽化学企業に属するものばかりだから、わたしたちはこの指向性を先進地域国家における産業社会の近未来像としてかんがえて大過ないことになる。もっとはっきりいってしまえば、個人所得においては次第に拡大していく一方である選択できる消費に対応する産業への傾きを累進させてゆくし、企業体についていえば設備投資をはじめとする総支出が選択消費を拡大させ、促進させる方向にむ
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%b7%d0%ba%d1%cf%a... - 2006年12月10日更新
レーニン組織論の罪
 共産党の不破哲三は、テレビの画面ではなかなかの男前で、押し出しもよく婦女子に人気があるだろうなと感じた。いつもご立派で清潔政治をやっているような発言をしていたが、もちろん聞く人が聞けば嘘と矛盾がすぐ判る程度のものだった。田原総一朗などはあなたたちの発言はいつも正論なのだが、その正論が現実離れしているからいけないのだと言わんばかりだったが、わたしなどが不破の発言を聴いたり表情を視たりしていると、正論などはちっとも言っていない。赤松や山花にくらべると組織だった嘘をいっているだけで、人間的な魅力も本音も感じら
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%a5%ec%a1%bc%a5%c... - 2006年12月10日更新
労組の存在の理由
 自民党と共産党をのぞいた政治勢力の創出は、新生党を中心とした政治改革派がやればいいことで、労組などが介入すべきことでもなければ、公党と癒着したり、引き廻されたりすべきことでもない。労組に存在の理由があるとすれば、すべての政党とかかわりのない自主労組を組みあげることでしかない。そのために何よりも必要なことは労組の理念をソ連型の旧い国家社会主義から解き放すことだといえる。 (「情況との対話第6回−総選挙の話」1993.9「サンサーラ」徳間書店に掲載) :| 連合の山岸の動きはまったく「最低の動き」だ。いった
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%cf%ab%c1%c8%a4%c... - 2006年12月10日更新
社共、左翼勢力の存在意味
 それでは社会党や共産党や新左翼には何の存在意味もないのだろうか。もちろん九割一分の国民大衆はそういう判断を選挙によって下した。民利・民福の経済政策については社共が国民大衆に清貧と節約を強要する以外に能がないこともはっきりしてきた。ただひとつ存在理由が見つけられるとすれば、戦後憲法の非戦条項を世界に冠たるものとして国連を介して積極的におしすすめ、核兵器をもたない諸国とともに米・ロをはじめとする核兵器を保有する国々にその廃絶をすすめる具体的な方策を提案し、それを推進する役割を担えるかどうかということだけだ。
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%bc%d2%b6%a6%a1%a... - 2006年12月10日更新
最小限二つの政権担当の能力の政党
 わたしが妥当だという意味は主に勢力分布についてだが、国民大衆の方から判断が妥当だったという意味は、自民党が単独では絶対多数を得られないように分割されたことと、社会党と共産党の意味が、ちょうど世界の情勢に見あった程度の軽さに修正されたことに帰着する。もっといえば、これから数年間をかけて自民党的な中心をもった保守政党と、新生党を中心にしたより進歩的な政党との二つの政権政党が形づくられてゆくに相違ない最初の兆候が、見えはじめたことを意味している。別な言い方をすれば社会・共産党的な民利・民福の課題はほんとうはも
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%ba%c7%be%ae%b8%c... - 2006年12月10日更新
社共の存在の無意味さが露わに
 自民党の政府は腐敗した金権体質だとか一党独裁だとか非難されながら、国際的にはわが国を世界経済を主導する実力をもつまでに導いてきた。国内的にはまがりなりにも九割一分の国民大衆がじぶんたちは中流だと自認するようになり、また統計データから計ると、最低の所得者と最高の所得者の格差が、一対四くらいのところまで平等化を実現してきた。戦後半世紀のあいだに日本社会をそこまでもってくることに政治的に寄与した。この平等化のデータは世界の第一位になっている。旧進歩や旧左翼の知識人たちは不服で、不愉快だろうが、自民政府にも進歩
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%bc%d2%b6%a6%a4%c... - 2006年12月10日更新
政治家の存在の基盤
 現在、あまり変りばえしない選挙案や政治資金の規制案をめぐって、敏感な若手の議員政治家たちが立ち騒いでいるのは、保守にしろ進歩左翼にしろ、じぶんたちの掲げているスローガンの大部分はすでに企業や国民大衆によって不用とされていることに気づきはじめたからだとおもえる。それは近代以降、わが国ではじめて政治家(政治運動家を含めて)がじぶんたちの存在の基盤に疑いをもちはじめたことを意味している。 (「情況との対話第5回−辛棒づよい人たちの政治劇」1993.8「サンサーラ」徳間書店に掲載) :| この立ち騒いでいる若手
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c0%af%bc%a3%b2%c... - 2006年12月10日更新
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