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タグ検索で平成7年は13件見つかりました。
世界都市博
わたしの意見をすこし細かく言えば、次のようになる。
(1)都市と文明の在り方について、できるかぎり世界じゅうの都市から展示を集めるようにすれば、居ながらにして得られる知識、見聞、論議の豊饒化は量りしれない。すくなくとも都市と文明のこれからの在り方について飛躍的な進歩と知見をもたらす基になりうる。そのために博覧会は中止よりも、もっと大規模なほどい。
(2)都市や国民が展覧を見物に出かけることで感性的な愉しみ、都市と文明への見聞の豊さ、行楽の機会などが獲得されることをかんがえると、都市の消費大衆にとって
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大前研一
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大前研一は、たぶん候補者のなかでは政治的な見識も、経済政策的な見識も、学問も、格段に優れているとおもう。でも都民大衆の票を獲得するのには何かが欠けているような気がする。ひと口に、欠けているものは見識ではなく、大衆性だといってもいい。譬てみれば、芸術大学の声楽科の研究生や教師が郷ひろみの歌唱は発声法が出鱈目だからだめだと評価したとしたら、だめなのは研究生や教師のほうで、郷ひろみはやはり偉大だと、評価できるような大衆への叡知がないのではないかと思わせるところがあるような気がする。
(「情況との対話第29回−
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柳田国男を理解するには
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柳田国男が「海上の道」を書いて、日本人はどこから来たかという課題に、じぶんの世界にたいする理念のイメージをこめて立ちむかったのは、生涯の経験知を叡知にまで凝縮した円熟期にはってからだ。これは人類の種、土地、水陸と山岳、その複雑な交換の過程から産みだされる習俗の形態などを素材にして、世界観を凝縮したイメージにしてみせたものだ。これが実証的に正確か誤謬かなどと挙げつらっても、まったく無意味なことだ。それは学説ではなく、イメージで造成された世界観だからだ。これが理解できなければ、柳田国男を理解したことにならな
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都市社会の貧困化の政策
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個人消費が実所得の半分を超えた高度消費社会の先進国で、湾岸を構築し、都市博を推進することが、社会経済を悪化させることなどあり得ない。また不況をなかなか脱しきれない現状の社会で、消費活性化と少しばかりではあるが企業効果を促進しないこともありえない。青島幸男の声明は、ほとんど信じられない都市社会の貧困化の政策につながるとしか言いようのないものだ。こんなことは、黒古一夫のような無智な文士にしか言いようのないものだが、青島幸男はいったい何を考えているのだ。ゴミ捨場のゴミ処理を見学して、都民はゴミを少なく出すよう
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青島の都市博中止公約
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軽味の話芸を身上とする芸能人が、真面目な顔して嘘をついたらおしまいだぜ。ようするに、この声明の言っていることは二つだ。
(1)「都市博は撤回」というのは、公約であり、それで知事選に臨んだのだから、都知事に就任してこの公約をひるがえすことは都民のじぶんに託した期待を裏切ることになり、都民の政治不信を決定的なものにするから、この公約を守ることが、いちばん優先さるべきだとかんがえる。
(2)都市博構想はバブル最盛期の所産で、臨海副都心開発のきっかけとしての意義を喪っている。現在の社会経済状況のもとでは成功
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サリンを撒いたとおなじだ
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鈴木前知事は、青島幸男が世界都市博中止を公約したからといって、中止を決定したことを「サリンを撒いたとおなじだ」と評したと報道している新聞があった。わたしなどもおなじような感想をもつ。こんなことをいうと青島や周辺の市民主義支持者は、鈴木都知事は保守派だから、その都政とくに東京湾岸の開発や世界都市博は悪くて、企業体を利するだけで、都民にとって無駄使いだくらいに思って、また大衆を誤るかもしれないが、これほどの進歩派の嘘はない。米自由化反対というスローガンや、その前の消費税反対のスローガンとおなじように、都民や
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青島の世界都市博中止
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青島幸男は都知事に就任してすぐに、知事選のときじぶんが公約に掲げた「世界都市博覧会の中止」と、都議会がすでに決定していた都市博の開催についての準備工事の進行のあいだの矛盾に当面した。軽味の芸を本領とする青島幸男でも、都市博中止という公約など、どうせ知事に当選するはずがないから冗談半分に掲げてみただけだというように茶化すだけの器量はなく、「悩みに悩み、熟慮に熟慮を重ね」たと声明文の中でのべている。わたしはほかのことは青島都知事を選んだ都市大衆の叡知に舌を巻くほど感服したが、この公約はつまらない独りよがりだ
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親鸞と蓮如
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僕は「蓮如シンポジウム」でお喋りしたことがあります。そのとき親鸞と蓮如をマルクスとマルクス主義の違いと似ているという比喩を使いました。つまり、マルクス主義というのはそれを信じている人には大きな力となるのですが、それを信じない人は全然関知しないものでしたありません。しかし、マルクスの思想は、信じる、信じないにもかかわらず近代思想の一つの場所を占めていて、だれも無視できない意味と影響力があります。
蓮如の場合も宗派に入ってきた人には有効性や影響力があるけど、信仰しない人、浄土真宗あるいは本願寺に帰依しない
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浮遊する社会現象
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わたしは自民党と社会党が差異を失って浮遊しながら国政権を掌握している現在の政治社会状態と、サリンによる無差別殺傷が犯罪として出現してきたことと、大手の新聞やテレビ報道機関が無差別に法的確定の以前の段階で特定の個人や集団を犯罪者として葬ろうとする出鱈目な言説をふりまいていることは、絶対に関係あるところに、現在の情況は突入しているとおもっている。この浮遊する社会現象になかに、わたし(たち)はわたし(たち)の理念を確定すべき課題を背負っている。誤ることは恐れるべきでないし、誤らないことを自慢したりすべきでない
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麻原彰晃の欠陥
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わたしはオウム真理教の教祖麻原彰晃を、その著作から判断して優れたヨーガの修行者だとおもってきたし、いまもおもっている。この人が失策を演ずるとしたら穴(欠陥)はただひとつ、文明の歴史をすべて何者かの陰謀としてとらえる退化した史観や社会観にあるとおもう。これはエコロジストにたいするわたしの考えとおなじだ。優れたヨーガの修行者がかならずしも文明や社会や歴史や現在の世界情況の優れた分析や実行者とはかぎらない、ヨーガの修行者だから、俗世間のことに関心をもつべきでないなどとはいわないが、人はしばしば不得手な穴(欠陥
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錯誤に加担した
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理性的にいえば、サリンを製造し、それを放出させて、故意にしろ偶然の不注意にしろ、無差別に無関係の人々を殺傷したと立証できないかぎり、どんなに警察や報道機関が限りなく黒にちかいという印象を与える発表や報道をやったとしても、その会社員を犯人扱いにして誹謗したり、極めつけたり、村八分にしたり、悪魔のようなどぎつい色彩で塗りつぶしたりすべきではない。法を侵犯しているかどうかと、道徳を侵犯しているかどうかとは、げんみつには関わりのないことは、法治社会での大原則だからだ。また法の判定にたずさわる者が違法だとも法の侵
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平和
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「戦争と平和」というふうに対照的に言いますが、それでは平和というのは一体何なんだということになります。平和というのは、一人一人の考え方であり得るわけです。ある人は自分のの一家が無事平穏に暮らせて家族内の争いもなく無事平穏にきょうも明日もやっていけるということこそが平和なんだと考えるでしょうし、ある人は自衛隊みたいなものはみんななくしちゃえば平和ということになるというふうにお考えになるかもしれない。夫婦の仲が悪いから、夫婦の仲をうまく調節することができれば自分にとって平和だよという人もおられるでしょうし、子
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トルストイの大長編のモチーフ
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トルストイが、戦争というものはだめなものだというか、一方はナポレオンであり、一方はオーストリアの皇帝であり、一方はロシアの皇帝でありという、皇帝たちが自分たちの意向によって戦争を始めて、やはり死に行く者は一般大衆なんだということを描きながら、主人公にとっうては平和というのは死以外のものではなかったし、自然を眺めた時の平穏な感じというのが平和なんだという以外になかったということが、トルストイの大長編のモチーフになっていると思います。
(「戦争と平和」1995.3.10旧府立化学工業学校に置ける講演。「戦争
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