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タグ検索で1982年は8件見つかりました。
素人の時代
先進的な資本主義が何か未知の段階に入りつつあるぞという、そういう感じ方の中では、それは、だから素人であろうと、玄人であろうと、みんな同じじゃないか、大して違わないじゃないか、ボタン一つ押せるか押せないかという違いで、素人がいつだって玄人に回るとか、そういうことっていうのが出来るようになったということじゃないか。
(大西巨人との対談1982.11.29於大宮市 「素人の時代」1983.5角川書店に収録された)
:| 芥川賞がほかの歌謡大賞と同じ並みになってきた、こうしたことは悪いことではなく、必然である。
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円熟したヴェルテル
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わたしたちは『若きヴェルテルの悩み』を終りまでたどりながら、空想する。もしヴェルテルが自殺せずに生きながらへ、いわばにがにがしく円熟していったとしたら、というように。そしてこのにがにがしく円熟したヴェルテルが、こんどはロッテのような婚約者の定まった、だが、ひらかれた市民階級の女性ではなく、市民階級の下層のほうで半ば閉ざされた庶民の家族を意識の眼をくぐらしながらしか、恋情を遂げられない環境の、素朴な若やいだ娘と出逢って恋をしたとしたら。こんどはどんな悲劇が持ちあがり、誰が自殺することになるのか。
たぶん
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ごろつき、無頼漢
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いやしくも文学という最低限界の了解のうえにたった普遍性をもつはずの商業雑誌の編集責任者が、はっきりと党派集団的とわかる(個人がどんな党派的な思想をもとうとそれは自由である)政治的な「声明文」を掲載したり、それについての「アンケート」を募ったり、また「編集後記」で編集責任者が、自らの責任で依頼した執筆者の言説が、政治思想的に気に喰わないからと批判したりするのは、退廃いがいの何ものでもない。
編集責任者が個人として思想的な特定の党派や、理念や、好悪感をもつことが当然だ。また職制上の部下や同僚を督促して、そ
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反核と反原発
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「反核」と「反原発」を結びつける理念も錯誤である。「反核」というときの「核」は核兵器あるいは核戦争を意味する。核兵器または核戦争としての「核」は、クラウゼヴィッツの古典的な『戦争論』によってさえ、べつの手段による「政治」の問題にほかならないのだ。ところで「反原発」というばあいでも、あくまで取扱い手段をめぐる政治的な闘争で、核エネルギイそのものにたいする闘争ではない。核エネルギイの問題は、石油、石炭からは次元のすすんだ物質エネルギイを、科学が解放したことを問題の本質とする。政治闘争はこの科学の物質解放の意味
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「あの人」よりは先に死なんぞ
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江藤さん。プライベートにはときどき口にしますけれど、公けにあんまり口にはしないんですが、ぼくは「あの人」より先には死にたくねえ、「あの人」より先に死なんぞ、と思っているわけですよ。それはぼくら戦中派の何か怨念みたいなもので、思っているんです。
(「現代文学の倫理」江藤淳との対談1982.4「海」に掲載「難しい話題」1985.10.5青土社に収録された)
:| この「あの人」とは昭和天皇のことである。この江藤との対談はあとでいろいろと話題になり、かつ「海」編集部のつまらないあとがきがあったりして、揉めたわ
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停滞
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わたしたちが停滞をいうとき、起源的な概念でふたつの意味をあたえている。ひとつは農耕的な共同体の意識形態にまつわるものなのだ。もうひとつは現在の諸産出の物質的な形式に付与されるイメージに関するものなのだ。わたしたちの現在は停滞しているそうだ。その停滞は共同的な意識としてか、あるいは物質的な形式のイメージとしてか、何れかを指しているのだ。
(「マスイメージ論−停滞論」1982.4「海燕」に掲載 「『反核』異論」1982.12深夜叢書社に収録 「マス・イメージ論」1984.7福武書店に収録)
:| 現在のさま
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美少年たちの同性愛
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わたしたちはこの作品のはじめに、じぶんを虚像に同化させるために、不可避的にじぶんの実像を腐蝕してゆく人物たちのうごめく世界を求めたかった。だが作者は束の間のうちに少女コミックにしばし執着されている世界、美少年をめぐる、美少年たちの同性愛の世界を、言語の劇画的な手法で描きたいという願望に乗りかえていったようにおもえる。わたしたちは、主人公の美少年今西良(ジョニー)が、同性愛の行為のなかで終始一貫して、ただ苦痛に身を縮め、顔をひきつらせるだけの、ただのエロス的な愉悦を感じないという苦としての設定のなかに、か
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現在の特徴
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現在の特徴はすでにあらかじめ、大規模でぶ厚いイメージの社会的様式を既得の層として存在させていることだ。映像や画像だけではなく、言語もまたこの社会的様式のなかでイメージの記号として位置づけられている。この大規模なぶ厚いイメージの社会的な様式は誰がつくりあげたかはっきりしている。物質的な価値にイメージの価値をつけくわえて競い合わねばならない諸々の社会的必要と、それに協力して付加イメージを創出する専門家たちの利益集団が、このイメージをいっそう大規模に膨らませる方向を推進しているものだ。
(「空虚としての主題−
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