1952年(7)
1960年(9)
1961年(9)
1962年(7)
1965年(11)
1966年(7)
1970年(15)
1971年(17)
1974年(8)
1978年(11)
1979年(10)
1982年(8)
1983年(7)
1992年(13)
1993年(38)
1994年(15)
1995年(13)
1997年(9)
2001年(22)
2002年(14)
2003年(13)
2004年(28)
2005年(16)
2006年(27)
漢詩(11)
吉本隆明(525)
吉本隆明全著作(単行本)(47)
三曹の詩(10)
昭和35年(9)
昭和36年(9)
昭和40年(11)
昭和45年(15)
昭和46年(17)
昭和49年(8)
昭和53年(11)
昭和54年(10)
昭和57年(8)
平成13年(22)
平成14年(14)
平成15年(13)
平成16年(28)
平成17年(16)
平成18年(27)
平成4年(13)
平成5年(38)
平成6年(15)
平成7年(13)
平成9年(9)
隆明抄(120)
隆明鈔(364)
タグ検索で2003年は13件見つかりました。
そばの美味さ
そばの美味さというのは、結局汁の美味さとそばの純度で決まるのではないのか。その上つけくわえれば、名声かなと思っていたが、まてよ少し違うかなと考えさせられた。そば汁といえば鰹節に醤油とミリンと砂糖だろう。どう配合を変えても際立った美味さがつくれるとは思えない。そば粉のつなぎに何を使っても、純度の具合だけに違いない。そう思いこんでいたが、もう一つ何かがあるに違いない。通でもないわたしにはそれ以上のことは判らない。
(「佐渡、洗練の味」2003.9「サライ」小学館に掲載)
:| 吉本さんはやはり科学者なのかな
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%a4%bd%a4%d0%a4%c... - 2006年12月10日更新
老いというものをいつ感じたか
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%a4%bd%a4%d0%a4%c... - 2006年12月10日更新
老いというものをいつ感じたか、ということですが、あるとき、これは自分がずっと考えてきたのと違うな、と思いました。
歳を取るということは、次第に手足の動きが鈍くなるとか、足腰の運びもそうなって、というものだと、若いときは、想像していたものですが、実際に、自分のカラダが、これはいかんと思い始める頃になってみると、全然違っていますね。
歳を取るということは、スムーズではないですね。段階的です。
(「人生の作法」2003.8.14/21の「週刊新潮」に掲載され、「人生とは何か」2004.02.10弓立社に収
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%cf%b7%a4%a4%a4%c... - 2006年12月10日更新
老人ホームの隣に保育所を
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%cf%b7%a4%a4%a4%c... - 2006年12月10日更新
これは、僕の持論なんですが、老人は、思春期までの子どもと非常に相性がいい。
老人はだんだんと死に向かい、子どもたちはこれから育っていく。そういう
関係がいちばん合う。
だから、老人ホームとかの施設の隣に、保育所とか幼稚園を作ったらいいと思いますね。そしてできればお互いの間を出入り自由にしてほしい。
やっぱり老人というものは、精神的に寂しいものです。これは西洋人だって同じ。が、彼らの場合は、教会とか宗教活動に身を投ずる人が多い。彼らは、教会で奉仕したりすることで、精神的に満たされる。
日本の老人の
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%cf%b7%bf%cd%a5%d... - 2006年12月10日更新
現在の俳句と短歌の違い
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%cf%b7%bf%cd%a5%d... - 2006年12月10日更新
現在の俳句と短歌の違いをいえば、やはり俳句のほうが様式として新しく、ひとりでにモダンな要素を醸し出す表現であるといえるのではないか。同じ作家が短歌も俳句もつくるとすると、短歌のほうがどうしても古いと感じられる。
今、俳句を詠む人が短歌に比べて多いのは、より短いために入りやすいということもあるが、俳句のほうがモダンな感覚を盛り込みやすく、現在の感性でも容易に入っていけるのだと思う。
(「現代日本の詩歌」『俳句という表現』2003.04.30毎日新聞社)
:| このことがこの私にも身体で理解できるような思
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%b8%bd%ba%df%a4%c... - 2006年12月10日更新
主観と客観と必ず織り込まれている俳句
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%b8%bd%ba%df%a4%c... - 2006年12月10日更新
芭蕉でいえば、「荒海や佐渡によこたふ天河」という句は、全部風景描写のように読めるるが、それはそのように工夫されているからで、芭蕉は「よこたふ」という言葉に単なる客観描写を超えた主観的な意味合いを込めている。こうした主観化をもし行わないとしたら、「佐渡にかかれり天の川」のような表現になるはずだ。
やはり芭蕉の「象潟や雨に西施がねぶの花」でも、中国春秋時代の美女を比喩に使った「西施が」という形容に主観化が働いているといえよう。このように俳句は、五・七・五の音数律とともに、その中に主観と客観と必ず織り込まれ
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%bc%e7%b4%d1%a4%c... - 2006年12月10日更新
俳句という詩形の常道
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%bc%e7%b4%d1%a4%c... - 2006年12月10日更新
俳句は、五・七・五のうち、例えば最初の五が客観描写であれば、入れ替わりに後の七・五は自然詠であっても主観的な表現になっているのが特徴だ。逆に、五だけが主観的な表現で、七・五は客観的であるような区切りがつくのが、芭蕉や蕪村の時代から変らない俳句という試形の常道である。
(「現代日本の詩歌」『角川春樹』2003.4.30 毎日新聞社)
:| これを読んだときに、俳句というどうしても慣れることができなかった詩形に少しは何かを感じることができる糸口になったような気がしている。
:| なるほどなあ、俳句もまた詩な
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c7%d0%b6%e7%a4%c... - 2006年12月10日更新
俵万智の短歌
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c7%d0%b6%e7%a4%c... - 2006年12月10日更新
俵さんの短歌が支持されるのは、一つには現代の若く、賢明な女性の感情を言い当てているところがあるからだと思う。これは、人気のある優れた文学作品に共通する特徴でもある。つまり、多くの読者が「こういうことは私にもある。よくわかる」と共感できる要素をもっているのだ。
では、この歌人の本心はどこにあるのかというと、なかなか結論を出すのは難しい。作品からは、自然に、普通の息遣いをしているとしか感じられないのだが、本当にそうなのかという疑問は完全には消えないからだ。読む人によっては、意図的に自分を、そういう女性の立
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c9%b6%cb%fc%c3%d... - 2006年12月10日更新
美空ひばり
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c9%b6%cb%fc%c3%d... - 2006年12月10日更新
私は美空ひばりさんという歌手を世界的な歌手として、とても高く評価している。日本語の歌を欧米の有名なコンサートホールで歌っても、現地の人にきちんと通じる歌手だ。うまさ、雰囲気、表現力。欧米の人も、世界的レベルの歌手だとわかるだろう。
日本人のクラシック音楽の歌手は、日本ではうまいかもしれないけれど、世界レベルにはなかなか達しない。欧米では日本人でもこれくらいは歌えるのかと珍しがられるだけだ。でも美空ひばりさんは実力で、海外の聴衆を驚嘆させるだろう。「現代日本の詩歌」『歌詞という表現』2003.4.30
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c8%fe%b6%f5%a4%d... - 2006年12月10日更新
優れた詩の条件
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c8%fe%b6%f5%a4%d... - 2006年12月10日更新
詩には、その時代時代で言葉の先端を切りひらく高い価値を追及する側面だけではなく、多くの人々に強い印象を与え、愛唱される要素を備えた優れた詩も存在する。後者の意味で優れた詩であるための条件の一つは、その詩がある種の「流れのよさ」をもっていることだ。
詩の「流れ」とは、意味の移り変わりの速さと、その多様さ複雑さを含んでいる。流れのよい詩であれば、読む者、聞く者に入っていきやすいということになる。
(「現代日本の詩歌」『優れた詩の条件』2003.04.30毎日新聞社)
:| 散文でならその内容だけで読ませる
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%cd%a5%a4%ec%a4%b... - 2006年12月10日更新
谷川俊太郎の詩人の原点
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%cd%a5%a4%ec%a4%b... - 2006年12月10日更新
誰でも自分の中で何割かは、どういうことをしても一生なんてつまらないものだと考えたり言ったりしても、残りの何割かでは倫理的に生きることの意味を考えているものだ。ところが、谷川さんには若い時から倫理的な要素があまり鮮やかではなくて、そういう資質を意識して深めていくとこうなるという珍しいタイプの詩人なような気がする。うがった見方かもしれないが、この詩人の原点には、自らの出生に対して「望んでこの世に生まれたわけではない」という思いがどこかにあるのではないか。この原点を外さないように、というのが詩人としての谷川さ
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c3%ab%c0%ee%bd%d... - 2006年12月10日更新
谷川俊太郎の詩の特徴
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c3%ab%c0%ee%bd%d... - 2006年12月10日更新
大抵の人は何かのために生きている。何かをしようと意図したり、何か意味ある行き方の流れの中に自分も一緒に身を置いて流れていきたいといった願いをどこかにもつものだ。だから、大部分の詩人は自分にとっても重要な意味があり、他の人にとってもそうではないかと思えることを詩の主題に択ぶ。近代詩人はヨーロッパでもそのように意図してきた。谷川さんの著しい特徴は、そういうことを意識的に避けて、本当なら日常茶飯に転がっていてエッセイや日記に書き記すような、詩の主題にはもちろんのこと文学表現の主題としても少しも重くはないことを
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c3%ab%c0%ee%bd%d... - 2006年12月10日更新
谷川俊太郎
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c3%ab%c0%ee%bd%d... - 2006年12月10日更新
谷川俊太郎さんは近代の詩の歴史の中で、北原白秋や三木露風などと同じように、言葉の個性をきちっと打ち出しながら純粋詩から歌謡までの多彩な作品を書くことのできる詩人の一人だ。手法的、技術的には現在の生々しい感性を備えながら、歌謡向きの作品も書くことができる。藤村以降、現代に至るまで多くの詩人は、いつでも自分の言葉の固有さにこだわり、不器用に力を投入する姿勢をいちずに示すだけだった。谷川さんのように多彩に、詩のジャンル全般に取り組んで高い技術で優れた作品を書くことのできる詩人は珍しいし、現在では他に見当たらな
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c3%ab%c0%ee%bd%d... - 2006年12月10日更新
世界史の全般にわたって形が見えなくなっている
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c3%ab%c0%ee%bd%d... - 2006年12月10日更新
''世界史の全般にわたって形が見えなくなってしまっている''
世界がこの先どうなっていくっていうのは、経済的理由や軍事的理由をいくつかあげることはできても、これが主たる理由だというのはなかなか指摘しにくくなっているということが言えるんじゃないでしょうか。それは、世界史の全般にわたって形が見えなくなってしまっていると。つまりこれまでは、単純に言ってしまえば軍事力と経済力のふたつを見ていれば、だいたい世界史的な行き方と現状の対立の原因が、一般的にはわかるものではあったんですね。
しかし現在の状況を見ると
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c0%a4%b3%a6%bb%c... - 2006年12月10日更新
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c0%a4%b3%a6%bb%c... - 2006年12月10日更新