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タグ検索で2005年は16件見つかりました。
社会の中での自分の役割と個人的な内面
戦争中のぼくは、社会の中での自分の役割と、個人的な内面を、ごっちゃにしていました。だから戦争に負けて、社会ががらっと変わったとき、個人としての自分までが、立っている足もとの地面が揺らいで、この先どう生きていっていいかわからないような状態になってしまったのでしょう。
「社会的な個人」と「個人としての個人」を自然に分けるのは難しいことですから、あくまでも理念として分離する修練をしたほうがいいと思います。
自分の中で「これは社会的な個人の問題だから、役割は果たしておこう」「これは個人としての個人の問題だから
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%bc%d2%b2%f1%a4%c... - 2006年12月10日更新
大切なのは、今の時代のすがたを自分で判断すること
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自分にはどうにもならないところで、世の中が180度変わってしまう。そういう経験をすると、大きな衝撃を受けると同時に、生きていること自体が虚しくなってしまいます。
玉音放送を聞いたときのぼくは、まさにその衝撃と虚しさの中に突然、ほうり込まれた状態だったのです。
そのとき以来、ぼくは今までこうつねにこう思ってきました。今世の中がどうなっているか、どんな方向に動いているのかを、いつも自分なりにつかんでおくべきだ。そうでないと、自分の意志とは関係ないところで社会に大変動が起こったとき、とんでもないことになっ
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直接本人に聞くのがいちばんいい方法
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皆さんの友達づき合いの中でも、「ここだけの話だけど、特別に教えてやるよ」などと言って、誰かの噂話をする人がきっといることでしょう。でも、そういう話は無視するか、または「本当なのかな?」と気になった場合は、直接、その当事者に尋ねればいいのです。本人に聞くのがいちばんいい方法です。
(「13歳は二度あるか」2005.9.30大和書房「第1章新聞を読む、時代をつかむ」)
:| これもまた充分に納得してしまいます。というよりも、これもまた私がずっとやってきた方法でした。「特別に教えてあげる」などというたぐいの話
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公開されている情報で把握する
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いわゆる「消息通」とか「情報通」とかいう人がいます。特別なコネがあったり、情報通をもっていたりして、普通の人の知らない裏事情に通じていると自称している人のことです。
こうした人が「ここだけの話だけど」「自分だけが知っている情報なんだけど」と言っている情報を、ぼくは信用していません。
ぼくのところにも、新聞記者などからそうした情報がもたらされることがありまが、たいてい間違っています。
見方が偏っていたり、小さな一部分は正しくても、それにとらわれて、全体としてみると歪んでいたり、ずれていたりするのです
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制度としての教師
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たしかに「制度としての実朝」という役割をずいぶん意識的にも無意識的にも実朝はさせられたし、担っていったと思いますね。特に、そういう言葉を確か使ったと思いますが、宗教的といいますか、「祭主としての実朝」といいますか、とにかく源氏の氏神が関東の近いところに二カ所あってそこにお参りするというのは実朝の役割として欠かさずやっていく。そういう役目も制度のなかの役割だったと思いますね。征夷大将軍は名ばかりでそれらしいことはあまりしていないのですが、祀り事みたいなことはいつでも欠かさず、年中行事のようにやっていたとい
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人間力
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そうしますと人間の総量というのは年齢にふさわしくだいたいが同じなのではないかと思います。アバウトで言えば人間としては変わりがないのです。知識を増やせば知識を増やした分だけ他のことについての見解や体験とか考え方とかはあまり豊富でないということになります。この学校は世間からあまりよく言われていないけれども、学生はすごくいろんなことについてちゃんとした考えをもっているじゃないか、見解を披露しているじゃないかとわかったんです。それでこれはちょっと違うぞ、社会的にというか世間的にというか一般社会のいう学校の優劣や
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無償で贈与し、逆に農産物を食糧分だけ輸入する
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と、漠然と予測している。
(「時代病」2005年7月31日ウェイツの「あとがき」)
:| このことは、吉本さんは前にも言われていて、それが実に私には判りにくいことでした。でも今は何故か納得してしまうのです。その私の納得の内容を私がもっと展開できなければならないと考えているのが、今私の段階なのです。
[[隆明鈔--吉本隆明鈔集]]
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消費産業ともいえる第三次産業
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と定義できるのではないか。
(「時代病」2005年7月31日ウェイツの「あとがき」)
:| このことをいつも感じてきていました。第三次産業の次に、第四次産業、第五次産業が出現するのではなく、この第三次産業が「消費産業」といえるというところが大事なのだと思います。消費はまた生産なのだと思えるのです。ただ、これはマルクスの言葉でもあるんだな。
[[隆明鈔--吉本隆明鈔集]]
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老幼の類似性と現在の社会現象
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老齢と幼少とはさまざまな比喩で語られる。「春」と「冬」とか、「芽生え」と「冬枯れ」であったり、「活性」と「衰退」であったり。逆に同一や類似でも比喩される。逆に同一や類似でも比較される。幼児はうまれたばかりのとき、普通の病気という病気は一通り背負いこむ。老人もまた病気にかかりやすい。もちろん逆な意味でもいえる。幼児は一通り病気にかかるが抵抗力が強化される。老人は二つ以上の病気が重なると病気の危険性が増す。幼児は赤ん坊のときよちよち歩きをはじめる。老人は脚力が衰えてよちよち歩きになる。幼児の言葉はたどたどし
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柳田国男と折口信夫の弥次喜多道中
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それにしても折口信夫という国文学者はたいへんな人だと改めておもう。歌人の岡野冬彦は柳田国男と折口信夫を弥次喜多道中のように描いた末、柳田国男が修理中の天皇陵にずかずか入って、とがめる門衛にお説教をし、折口信夫が代わりに謝罪してすました挿話を書いていてわたしは興味深く読んだ。
しかし、岡野冬彦がその本のなかで折口信夫の同性愛やナショナリストぶりを見つけているのはつまらないことだ。こういう固定観念から解放されて、お前みたいな門衛など以前は要らなかった。天皇陵など自由に出入るできるんだと説教する柳田国男と代
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美しい花がある。花の美しさはない
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日本近代文芸批評の祖である小林秀雄の『無常というふこと』という古典芸術論のなかに、梅若方三郎の演じる能「当麻」を鑑賞したときのことを記した章がある。そのなかで世阿弥の『花伝書』の「花」という能の概念にからめて「美しい花がある。花の美しさ(などというものは)はない」という名文句がある。「美しい花」という絶対的な能演技はあるが、「花の美しさ」という比較説明的な能演技は世阿弥の能概念にはないのだという意味だ。
わたしも文芸批評にたずさわってきたからわかるが、こんな簡潔で見事な表現はなかなかできないものだ。こ
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自己表出と指示表出の度合
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極端に考えると数字は「指示表出」だけ。胃が痛いのを「痛い」とおもっただけで他人には全くわからなかった場合には「自己表出」だけだと考えられるかもしれない。けれどこまかく見れば「3プラス5は8」を暗算するのと、声に出すのと、ノートに記すのとは「自己表出」の度合が違っている。胃が痛いと内心でつぶやくのと、沈黙のままでいるのとは「指示表出」の度合が違う。だから言語はすべてこの両者の織物で、その度合が違うだけだとみなすのが妥当だといえよう。(「中学生のための社会科」2005.3.1 市井文学)
:| この吉本さん
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中学生のための社会科
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この本の表題として『中学生のための社会科』というのがふさわしいと考えた。ここで「中学生」というのは実際の中学生であっても、わたしの想像上の中学生であってもいい。生涯のうちでいちばん多感で、好奇心に富み、出会う出来事には敏感に反応する軟らかな精神をもち、そのうえ誰にもわずさわれずによく考え、理解し、そして永く忘れることのない頭脳をもっている時期の比喩だと受け取ってもらってもいい。またそういい時期を自分でもっていながらそれに気づかず、相当な年齢になってから「しまった!」と後悔したり、反省したりしたわたし自身
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昭和天皇は家訓的世界に大胆に手を入れた
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実は、昭和天皇がまだ皇太子のとき、相当激しい皇室改革を行っています。牧野伸顕の日記によると、昭和天皇は摂政になる条件として、「宮中の女官をみんな家に帰して、通いにしてほしい」ということと、「生まれた子供を自分たちで育てたい」ということを挙げたといいます。また、側室を廃止した。これは女官や側室、それから乳母、教育係といった存在を排除することで、自分たちの家族を大切にし、守っていくという意味がこめられていたのではないか。つまり、昭和天皇は、家訓的世界に大胆に手を入れたことによって、近代家族としての天皇家を作
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天皇家をほんとに維持できるのか
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その意味では、昨年の皇太子発言は、このままいけば離婚か、若隠居するしかないというところまで追い詰められてのことではないでしょうか。表だけをみると単なる奥さん擁護にみえるけれども、実は、「今のままの家訓的世界を背負って、天皇家をほんとに維持できるのか」という深い問いかけがあるとみなければならない。だから、ちょっとやそっとの言い方では駄目で、「人格を否定する動きがあった」というくらい激しい言葉でないと家族が解体してしまう、という気持があったのだと思います。だから弁解もしないだろうし、弟や天皇から「前もって相
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家訓をめぐる問題
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いま、皇室で起きている問題をつきつめて考えていくと、最終的には「家訓」をめぐる問題につきあたるんじゃないかと思います。たとえば、大名や豪商、豪農の家には、代々、その家に伝わる家訓が残されていますが、日本の思想史をたどってみると、どうも、これが非常に特異で、重要な要素であることがわかってくる。
その「家訓」というものの特徴は何だ、と言われると、大きく二つのことが挙られると思います。ひとつは、内容がきわめて日常的かつ具体的であること。たとえば、朝は何刻に起きて、起きたらすぐに東の方に向かって太陽を拝めと、
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