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北海道帝国大学の半澤博士との出会いを経て納豆製造の産業化を目指す。後に文化室、回転接種器などを発明、納豆の量産化技術を確立する。
宮城野納豆(現在の宮城野納豆製造所)を創立し衛生納豆を販売。後に、宮城野菌(三浦菌とも)として知られる納豆菌の販売も行う。
宇都宮高等農林学校の山崎百治博士との共著である「納豆の合理的製造法」の序文中では、山崎博士より『納豆菌の研究と納豆の製造では、日本一の名人』と呼ばれている。

経歴

1886年(明治19年) 5月17日、石川県金沢市十三間町の永島家の次男として生まれる。
年不明        石川県立第一中学卒業。
1906年(明治39年) 盛岡高等農林学校入学。
1909年(明治42年) 盛岡高等農林学校獣医科卒業。
1910年(明治43年) 七塚原種畜牧場(広島県)に勤務。
年不明        極東練乳の極東農場に勤務か。
1920年(大正09年) 納豆容器改良会から半沢式製法習得証明を授与される。
           このころ、極東練乳を退社か。
1921年(大正10年) 文化室を発明。仙台市南小泉にて衛生納豆の製造を開始する。
1924年(大正13年) 入夫により三浦姓となる。
1928年(昭和03年) 東北産業博覧会にて銀牌を受賞。
1935年(昭和10年) 原町鹿島(現銀杏町)に新工場を設立。
1940年(昭和15年) 全国納豆工業組合協会の初代会長を努める。
1942年(昭和17年)頃 回転式圧力釜を発明(現代表の三浦晴美氏によれば、二代目一夫氏の発明とのこと) 
1972年(昭和47年) 逝去。享年87歳。

著書・著述

納豆の合理的製造法」:1949年発行。山崎百治博士との共著。
「納豆製造の秘訣とコツ」:1950年。食品加工VOL.4, NO.12
「納豆えの期待」:1961年3月
「日本人はもっと大きく,強く、健康になれないか」:1971年6月

宮城野納豆の掛紙の変遷

下記左図版は南小泉工場製の掛紙。
中図版は半澤コレクションに残る掛紙(現銀杏町工場での製造)。
右図版は現行製品の三角経木納豆

(画像クリックで拡大表示します)

宮城野納豆製造工場

半澤洵編「納豆製造法 第三版」(昭和11年)の扉に掲載された"宮城野納豆製造工場の納豆製造実況"。
右図上段は圧烝釜。回転式圧力釜はまだ採用されていない。
左図上段は箱詰作業。折箱に蒸した豆を入れ、それを仕込箱に入れ、折箱にふたをする。奥から手前へと流れ作業になっているのが見て取れる。
左図下段は包装作業とあり、紙製のラベルを巻き付けている作業と推測される。作業場奥に見える仕込み箱の量に圧倒される。

(画像クリックで拡大表示します)

宮城野納豆製造所外観


固定釜が回転式烝煮釜に変わった以外は、現在もなおほぼ同じ設備を使い続けているという。(2010年1月取材)
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