納豆wiki - 相澤商会
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明治41年創業の種苗商社。創業者は札幌農学校(後の北海道帝国大学)出身の相澤元次郎。札幌市南一条西三丁目八番地(三越横、現在の丸善のあたり)に本店をかまえる。
昭和17年統制のため閉店。昭和24年再開する。以後、不明。
1919年(大正8年)に設立された納豆容器改良会の事務局がおかれた他、半澤博士の応用菌学教室で製造された納豆菌の販売を行う。
世界初の納豆菌販売業者として近代納豆の普及に大きく貢献する。

相澤元次郎
北海道士族出身。札幌農学校第15期生で明治30年7月卒業の学士。
北海道庁拓殖課嘱託員「相澤元次郎」が作成した北海道小作條例草案理由書(明治31年)などが北海道大学北方ライブラリーに残る。
明治42年2月発行の札幌農林学会報第一号の会員名簿ページでは、職業=「実業(相澤商会主)札幌区会議員」として掲載されている。
半澤博士の姉=雍(やす)と結婚、娘の満壽(ます)は歌手となり「時計台の鐘」の歌い手として知られる。


早川珍竹林
本名は早川千代松。職業、医者。
半澤博士の妹=澄(すみ)と結婚、秩父別に住む。一書によれば"早川元次郎弟千代松"との記述あり。
雑誌「納豆」第一号に早川千代松名で「納豆製法実験」を、早川珍竹林名で「納豆名家句集」と「秩父別交龍社吟句集」を寄稿。(納豆製造法目次を参照)
大正10年から北海タイムスで俚謡の選者を務め、投句をもとに「俚謡集」として編集、昭和5年相澤商会から発行される。


相澤商会営業案内
明治四十五年営業案内
明治44年12月25日発行
牧草、野菜、花卉、果樹、農具などが美麗なイラストにより紹介される。本文48ページ。
応用菌学教室から納豆菌が販売されるのは大正7年頃以降のため、納豆菌の記述はありません
春季営業案内
第22巻第1号
1928(昭和3)年
納豆製造法
定価金一円五十銭

納豆菌(ルビ:なつとうのもと)
(送料共)
一 ヶ 二十銭
一石用 一円五十銭
三石用 二円五十銭
一、三石用は別に送料箱代 内地 三十銭 樺、朝 四十五銭
営業案内 第三十巻第6号
昭和十年秋期
(1935年)
納豆製造法
定価金一円五十銭

納豆菌(ルビ:なつとうのもと)
送料共
五升用 二十銭
一石用 一円
三石用 二円
一石用三石用は別に送料箱代 内地 五銭
SEED BOOK FOR 1938
昭和十三年春季 営業案内
第33巻
昭和12年12月25日発行
(1937年)
再版大訂正増補六百頁
納豆製造法
定価金二円五十銭

納豆菌(ルビ:なつとうのもと)
内地送料共
五升用 二十銭
一石用 一円
三石用 二円
満州、朝鮮、台湾は送料三十銭加算
SEED BOOK 営業案内
昭和十三年度秋期
(1938年)
再版大訂正増補六百頁
納豆製造法
定価金二円五十銭

納豆菌(ルビ:なつとうのもと)
内地送料共
五升用 二十銭
一石用 一円
三石用 二円
満州、朝鮮、台湾は送料三十銭加算
営業案内秋期
第34巻
1939(昭和14)年
再版大訂正増補六百頁
納豆製造法
定価金二円五十銭

納豆菌(ルビ:なつとうのもと)
内地送料十銭
五升用 二十銭
一石用 一円
三石用 二円
満州、朝鮮、台湾は送料三十銭加算
昭和十八年春季 営業案内
第三十八巻
(1943?年)
再版大訂正増補六百頁
納豆製造法
定価金二円五十銭

納豆菌(ルビ:なつとうのもと)
内地送料十五銭
五升用 二十銭
一石用 一円
三石用 二円
粉末菌六石用四円
朝鮮、台湾は送料三十五銭加算
昭和二十四年春の巻 営業案内
第四十巻第一号
昭和24年1月15日発行
1949(昭和24)年
新製水溶液 納豆菌
荷造送料
五十本迄 二十円
 一斗用 二十円
 一石用 百 円
荷造送料共 十本迄 三十円
※昭和3年、10年の納豆製造法は増訂第二版。昭和13年以降は増訂第三版。
※相澤商会営業案内の一部図版についてRose-colored Glassesのはるまき様からご協力をいただきました。



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