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太子食品工業と村松博士
先代工藤一男氏が、"村松教授による科学的な分析による納豆の作り方の指導等を受け"「後熟製法」を考案とのこと。
産学協同の先駆的成功事例として紹介されることが多い。
※後熟製法:高温での発酵後に、低温熟成を行う製法。現在ではどの納豆メーカーでも行われている。
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かくた武田と村松博士
半沢洵教授や村松博士の協力で、納豆菌の純粋培養に成功した初の納豆業者。
発酵室の設計や、経木、折箱への容器開発にも取り組んだ。とのこと。
参考)
農業協同組合新聞>みちのくを生きる女性たち
http://www.jacom.or.jp/series/shir114/shir114s0306...
まるごと青森>かくた武田 「青森納豆」
http://marugoto.exblog.jp/4182382/
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丸勘商店と村松博士
村松博士の指導のもと、製法や衛生容器の開発に取り組んだ。とのこと。
*左は最新納豆製造法に掲載の同社商品「
盛岡納豆」。右写真の人物は村上勘之助と初代当主とのこと。
参考)
丸勘商店>丸勘商店のあゆみ
http://www.marukan-natto.jp/column/history_marukan...
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大内商店(花巻)と村松博士
先代大内金助氏は、村松博士の助手として納豆菌の純粋培養の研究に携わった。
参考)
花巻このごろ>花巻の名人・達人>大内俊佑
http://michinoku.ne.jp/~susumu3/meijin17.html
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宮沢賢治と村松博士
宮澤賢治の詩の世界サイトで公開されている「賢治 日めくり」では、村松先生という名前で何度か登場。賢治の学生時代や東北砕石工場技師時代のエピソードを知ることができる。
「1932年3月20日(日)(賢治35歳)」には、村松教授が京都に栄転との記述あり。
http://www.ihatov.cc/today/3_20.htm
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成瀬金太郎
成瀬金太郎は、宮沢賢治の同級生。上記サイトには「東カロリン群島クサイ島の南洋拓植工業会社に赴任」との記述あり。
帰国後、村松博士の計らいで盛岡高等農林学校に教師として赴任。後に、全国味噌工業組合連合会、全国味噌統制株式会社を経て、「株式会社成瀬発酵化学研究所」を興す。
著書に「味噌醸造法」「最近納豆製造法」(村松博士と共著)など。
なお、成瀬発酵化学研究所の商標は金太郎マークを使用している。